こんばんは。
三日月とカフェの橘洋二です。
今日の活動報告は
「石畳の見どころ」をみなさんに
お伝え出来たらと思います。
黒山城址-落ちなかった城-
今から約800年前、
平家が築いた愛媛大洲喜多地方で
最も古い城と伝わります。
南北朝時代には雲州久保郷に生まれた
「久保伊予守源高実」が長慶天皇に長く仕えて軍功をたてこの城に就封し、以後、城主は12代続きました。
12代好武の時には、長宗我部や豊臣秀吉の軍に度々攻められましたが、落城しませんでした。
★これから試験シーズンですね。受験生と共に石畳に訪れてみてはいかがですか。
隠れキリシタン地蔵-石畳にもキリシタンがいた-
県道の道端と鳥越街道の2か所に
お地蔵様があり、その着装する袈裟の結び目が「十字」になっています。
天草を追われた隠れキリシタンの人達が残したと伝わります。
キリシタンは「お大師様」の縁日に仏教信仰として密かにお祈りしていたのかもしれません。
雨山城址-河野氏築城の城-
承久3年(1221)に始まる城で、
高縄城(松山市北条・高縄山)主河野通信の義弟、河野宗賢(出雲坊宗賢、または城戸宗賢)が築いたと伝わります。
後に黒山城主久保伊予守源高実の要塞を経て戦国時代には来島氏の子孫、城戸宇京太夫通成が居城。
土佐の長宗我部勢が城を囲み10数日間の激戦によく耐えました。
城兵は兵糧攻め、特にのどの渇きに苦しみましたが、幸運にも恵みの雨が降って城は救われ、土佐勢は引き上げました。
以後、天山城は雨山城に改名されました。
★この城主に嫁いだお姫様の名前が橘だったようです。
神秘的ですね。
今日は、石畳の見どころを
お届けしました。
完熟石畳栗は、こうした石畳の歴史に支えられて、今日もすくすくと育っています。
橘 洋二