「生きている東京」展について
コロナ騒動がはじまって、街が機能しなくなり思ったことは、2011年の震災の時、夜も真っ暗な東京の事でした。電力は最低限にして生活し、窓を全開にして風を通すことも気が引けた日々だった。今回は街から人は消え、最小限の行動で暮らしていく。緊急事態宣言の中「不要不急」が連呼される。さっさと数週間、営業も、展示も閉めてじっとして「アートも不要不急」と認めれば良かったのか。働いているみんなと話して、ショップは全員がオープンしたい、と決まり。ワタリウム美術館も日曜だけ特別に休館にして、アポイント制でオープンと決定。そういえば2011年の震災の翌日午後からワタリウム美術館は開館した。今回も4月からメディアで同じ映像と同じスローガンで自粛、自粛と息が詰まりそうになる。人に迷惑をかけないで多様な選択があって良いのではないかという思いと、どんな時でもアートや音楽や文学や哲学がある日常は必要だと思っていたからだ。メディアではついに関東件で開館している美術館はワタリウム美術館だけとなったことを取材という依頼を何社から頂いた。それはそれで私たちの思いとは異なっていると思い、全てお断りさせて頂いた。開館していることを宣伝したいのではなく、普通に開いていて、日常にちょっと異なるイメージに触れたい、リフレッシュしたいという人たちのために普通にオープンしていたいという意からかけ離れてしまうなと思ったからだ。
生きている東京展は、日に日に魅力がなくなり、平凡になっていく東京に私たちが知るアートだけでも元気にやっているということを見せたくて、担当の森さんさんからアイデアがでて速攻でいいタイトルだと後押しした。ここ数年、コレクションを中心とした展覧会は森さんに担当になってもらっている。私や姉だとそれぞれの作品への想いと余計な情報多すぎてクールに構成できないという理由からだ。今回も結構な物量とデーター量でそれが分かり私だったらこんなに作品持ってこなかったと思う。だから、とても良い展覧会になったと思います。手前味噌で恐縮ですが、こんなことやっていたんだと他人事のように思い出しております。(やっと今日オープンしてクールに見れての感想です)お時間がある時立ち寄っていただけば嬉しく思います。展示準備終了直後、活動記録書かないと思いダラダラとお付き合い有難うございます。