青梅駅のホームから続く階段を降りると、改札に向かう地下道に昭和を感じさせる風合いの映画看板が並んでいて。
ずいぶん少なくなってきたけれど、街を歩いていても、あちこちに映画看板を目にすることができます。
この街をはじめて訪れた人からは、よく、青梅って映画館があるんですか?と聞かれる所以。
むかし、織物産業が栄えていたころ。。。そうガチャ萬時代。
西多摩商業の中心だった青梅の街は活気にあふれ、商店街の往来にはたくさんの人があふれ、すれ違うのもひと苦労するほどだったそうで。。。
“青梅キネマ" "青梅大映" "青梅セントラル" という 3館の映画館があった時代の話デス。
それぞれの映画館の前には行列ができ、いつも大入り満員の盛況だったんだって。
映画は当時のみんなが熱狂する娯楽だったんだなぁ。。。
今はもう、その事実を知る街の人も少なくなってきたけれど、街のあちこちに飾られる映画看板は青梅の古きよき時代の名残でもあり、昭和レトロの風景を象徴しているものなんだととても思います。
時代が変わっても、その映画看板を描き続けてきたのが、最後の映画看板師とよばれた故 #久保板観 さんでした。
青梅出身の板観さんは、中学卒業後、地元青梅の映画館で上映される作品を紹介する看板を描きはじめました。
どうしても絵が描きたくって、映画看板に目を付けた板観さん。ずいぶん安い金額で請けちゃったなんて伝説を聞くこともあります。
1973年に最後の映画館が閉館するまでの間、彼が手がけた作品は4千枚にものぼります。
そして、映画館がすべて閉館したその後も、泥絵の具をニカワで溶いて、板観さんは映画看板を描き続けてきました。
ひとつひとつ手描きで描き上げた看板は、映画看板があったことを知らない世代でも、どことなく懐かしさを感じる風景を街のあちこちに作り出してくれました。
NetflixやAmazonなんていう、家ですきなときに、すきな環境で、すきなだけ映画を観れる時代にあって、”エンターテイメントとしての映画“ は、すでにむかしのそれとは、あり方や意義がかわってはきてる。とてもそう思います。
でも、この新型ウイルス騒ぎによって、ぼくたちの生活そのものが変容し、人と会うこと、人と集まることが制限され続けている今。
ぼくたちは、板観さんが描き続けてきた映画看板の下をくぐり、列をなし、1つの銀幕をみんなで眺めて笑ったり泣いたりしていたあの時代を。ぼくたちの多くはみたことのない風景だとしても、取り戻したいって、そう思うのです。
コロナ禍の今だからこそ、安心も安全も大事にしながら、ぼくらはみんなで集まり、そして、むかしっから、このまちでエンターテイメントとして楽しまれてきた映画をたのしみたい。
そんな思いでCinema MADE IN OMEを企画しました。
みんなで集りません?
そして、いっしょに笑ったり、共感したり、ときにちょっと感動する、そんな一日を過ごしません?
そんなことを想っちゃうあなたとお会いできることを、ぼくらとても楽しみにしています。
チケットはこちらから購入できます。
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