宮城県気仙沼市の離島・大島と本土を1970年の運航開始から50年間にわたってつないできた臨時船「ひまわり」。急病人や妊婦、急用があれば夜中であろうと、早朝であろうと、本土との懸け橋になってきました。東日本大震災による大津波で定期船フェリーがすべて流出し、大島は一時孤立。そんななか、大島の人々の命を繋いだのが、津波に向かっていって奇跡的に生還した「ひまわり」でした。震災からわずか2日後。「ひまわり」は運航を再開。定期船が復旧するまでの8ヶ月間、無償で島民や物資を運び続けました。その活躍の様子は、小学6年生の道徳の教科書にも紹介されています。2019年4月に本土と大島を結ぶ橋が開通。臨時船の役目は終えました。しかし、長きにわたって大島の人々の命を支えてきた臨時船「ひまわり」を保存して、東日本大震災を奇跡的に乗り越えた「ひまわり」と船長・菅原進の想いを伝え継ぐ場を伝えていくためにも、プロジェクトに協力ください!よろしくお願いします。
「島民のために」20mもの大津波に向かっていった「ひまわり」
臨時船「ひまわり」を保存する会の菅原美希恵と申します。「ひまわり」船長の娘です。
2011年3月11日ゴーーーーという大きな地鳴りとともに、経験したことのない大きな揺れが襲ってきました。「大きい津波がくるぞ!お前は孫と高台に逃げろ!おれは船を出す」そう言って父は着の身着のまま走り出していきました。「船がなくなったら島のみんなが困ってしまう」すでに港には第一波が襲来し、黒い波が押し寄せているなかでも、父に迷いはなかったそうです。
「どうして船を出すのを止めなかったんだ」高台にある小学校に避難した私たちにそんな声も投げかけられました。津波に向かっていく「ひまわり」の姿を見たという知人の声も聞きました。不安に襲われ、父の電話を鳴らし続けたものの、つながらず。もしかしたら・・・そんなことが頭をよぎり不安がいっぱいのなか、一度だけ電話がつながったのです。「おれは無事だ。お前たちも気をつけろ」すぐに電話は途切れてしまいましたが、父が、そして「ひまわり」が無事だということを知って安堵したのを覚えています。あとで聞くと、20メートルもの高さの津波を登り越え、ジェットコースターのように垂直に下り落ちると、次の波が襲ってくる。そんな状況下でつながった電話だったそうです。意識を失いかけ、何度も諦めかけた死闘を乗り越えられたのは、「大島のため」その一心だったといいます。
奇跡の生還。孤立した島で命綱となった「ひまわり」
気仙沼港と大島を行き来するには定期船が主な交通手段でした日中の定期船の運航が終わると、臨時船「ひまわり」の出番です。仕事が遅くなった人、冠婚葬祭で駆けつける人、急病人、お産のため。島民の方々と本土をつなぐ貴重な船だったのです。
東日本大震災のとき、通常本土と大島をつないでいた定期船は津波で陸に打ち上げられ、大島は孤立して、文字通り「孤島」となっていたのです。さらに、津波によって重油が流れ出て発生した気仙沼湾の火災が大島にも燃え移り大規模な山火事となっていたのです。交通路も断たれ、島は絶体絶命の状況でした。
そんな状況のなか、震災翌日に瓦礫でいっぱいになった海から島へと帰ってきた「ひまわり」。その翌日、あの大震災からわずか2日後に運航を再開。透析が必要な島民や急病を患った島民、家族や親戚、友人を探す人々、医師や看護師。食糧や、衣服、消防ポンプなどを船いっぱいに積んで、走り続けました。
あの津波を乗り越えた「ひまわり」こそが、大島の希望となり、命の架け橋となったのです。大島の人々の「命綱」となった「ひまわり」は、約8カ月、無償で島民の足となったのです。ときには、海上で犠牲者を見つけたこともありました。この活躍が様々な海外メディアや、出版社の方に取り上げていただき、2012年には『津波をこえたひまわりさん 小さな連絡船で大島を救った菅原進』(著者=今関信子 佼成出版社)という書籍が出版されました。小学6年生の道徳副読本としても採用されています。
「船を残してください」の一言で保存を決意
2020年4月、島民の悲願だった「気仙沼大島大橋」が開通。それと同時に、島民たちに別れを惜しまれながらひまわりは50年の役目を終えました。
当初、船を解体して廃棄しようとしていました。しかし、船長が自らの経験を各地で講演活動を行っていくなかで1通の手紙が届いたのです
気仙沼と大島に「ひまわり」という船と船長の名前を残してください
この手紙に胸を熱くして、保存を決意しました。2017年12月に、島民有志を集め「臨時船『ひまわり』を保存する会」を結成。震災後に縁のあった鎌田實先生が保存会会長となり、大島で慰問コンサートを開いた歌手さだまさしさんも趣旨に賛同いただき、会の名誉会長に就任いただいています。
運航を終えた「ひまわり」を2020年8月に陸にあげて、高台にある移築した菅原家の自宅敷地内に保管していました。ある日、陸にあがった「ひまわり」に泣いてすがる住民がいました。「この船のお陰で、家族7人も助けられた。船長にはたくさん迷惑かけたっけな。夜中に起こしても、返事一つで船出して連れてってくれたな」50年間にわたって大島の人々を支え続けた「ひまわり」。大島の多くの人々にとってかけがえのない存在であることを再認識させられたのです。
保存館を通じて私たちが伝えていきたいこと
「ひまわり」を震災遺構として保存することで、私たちが伝えていきたいことは、自然の恐ろしさや、震災の悲惨さはもちろんのこと、何よりも伝えたいのは、「人のためにという思いやりの心」です。
震災前から、大島の人々が困ったと言えば、夜中でも早朝でも関係なく、走り続けたこと。「島のために」と真黒く巨大な津波に立ち向かっていって奇跡的に乗り越えたこと。「お互い様だから」と自身も自宅が水没する中、無償で大島と本土の架け橋となり続けたこと。
道徳の教科書に掲載されたことによって、修学旅行生等で「ひまわり」の話を聞きにくださることもありました。そうした子どもたちにとって、船長・菅原進と学ぶ最高教材になると考えています。道徳の教科書に掲載いただいたのも、きっとそうした想いがあるからでしょう。震災の記憶は薄れてしまうけれども、「心」はその人の財産となって、永久的にあるものだと思います。
「船長のような人助けになるような仕事につきたい」ある日の講演を聞いた子どもからいただいた手紙にあった一言です。「ひまわり」記念館を通じて、船長とひまわりを語り継いでいくことによって、このような想いを持つ子どもたちを増やしていきたいと思っています。
プロジェクト資金の使い道
現在、敷地内に固定されている「ひまわり」をより安全に、快適に見学いただけるよう整備するための資金とさせていただきます。
・柵、手すりの設置
・出口、入り口、船へ登る階段の整備
・トイレ、水回りの整備
・東日本大震災等での活躍を伝える展示品の製作
・休憩場所として整備
・リターン費用(チケット作成、ハガキの発送費用等)
リターンのご紹介
5,000円 コース(郵送での発送となります)
■臨時船「ひまわり」を保存する会代表と船長 菅原進より、感謝のメッセージカードをお届けします。
10,000円 コース(メールにて視聴権お知らせします)
■船「ひまわり」が展示までの記録の動画配信
▶船「ひまわり」が陸にあがり、展示場に固定されるまでの記録の動画をメールに送信します。
30,000円 コース (事前に予約をしていただきます。チケット有効期限は1年以内となります) ■「ひまわり」船長 菅原 進 による語り部チケット
▶1000年に一度と言われた大津波を乗り越えた当時を振り返り、体験者船長・菅原進から
画像の説明をしながら実際の迫力ある話を語っていただきます。
■ 「ひまわり」記念館のフィールドワーク
▶津波を乗り越えた「ひまわり」の、船内等ご案内します
日程:事前予約有(令和3年3月から令和4年3月迄) 場所:宮城県気仙沼中山 人数制限有:1〜10名 限定:30名様
※訪問される際の交通費、滞在費は自己負担となりますので、ご了承ください。
最後に
「みどりの真珠」と称される大島。2019年4月に開通した気仙沼大島大橋で市内からも気軽に、ドライブで訪れることができるようになりました。島の最高峰「亀山」には頂上付近まで車で行くことができ、展望台からは三陸リアス式海岸を一望、絶景が楽しめます。さらに2021年度前期放送予定のNHKの連続テレビ小説「おかえりモネ」の舞台としても脚光を浴びています。船を保存される場所の近所には、民宿もあります。観光で訪れていただいた皆さんにも、大島のきれいな海や豊かな食を満喫いただいて、観光の休憩も兼ねて気軽に立ち寄っていただき、船長とひまわりのエピソードを知ることによって、あたたかい気持ちになるようなスペースを作っていきたいと思います。また、橋がかかったことによって、気仙沼本土を訪れていた修学旅行生なども気軽にバスで大島までくることができるようになったので、さらに多くの小中学生に訪れて頂くことも期待でき、よりいっそう震災や思いやりの心を学べる場になると考えています。
船長であり、父である菅原進は、なによりも「努力」という言葉を大切にしてきました。努力し続ければ、いつか必ず花が咲くことを、身をもって体験してきたからこそだと思います。「ひまわり保存館」の設立に向けて、私たちも努力し続けます。ご協力のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
《 サイト・SNS 》
公式サイト : http://himawarigo.com/
INSTAGRAM : http://instagram.com/himawarigohozon
このプロジェクトは、東日本大震災からの復興につながる
クラウドファンディングをサポートする
「復興庁クラウドファンディング支援事業」の対象プロジェクトです。
最新の活動報告
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2020/12/13 13:442011年6月9日にようやく僕は気仙沼大島に歌いに行きました。港には大きなフェリーが打ち上げられて半分ほど陸上に横たわっていて、ため息が出ました。「早く気仙沼に行きたい」と思っていた理由は「Birthday」という歌があったからです。ご存じの方もおられるでしょう、NHKの人気番組「鶴瓶の家族に乾杯」の主題歌です。実はこの歌は気仙沼で書きました。今から20年以上前、大島でのコンサートが終わったその夜、殆ど寝ないようにして書き上げたものでした。ですからあの大地震の後、僕は一日でも早くこの歌を故郷に帰してあげたい、という思いが募っていたのです。6月9日にこの歌をようやく故郷に帰した日、既に夜になり、定期便が終わってたので大島からの帰り道は、ひまわりさんが気仙沼まで送ってくれました。菅原さんからあの日の話を沢山伺いました。20メートルの第一波、もっと高かった第二波。「地震が来たらすぐ沖へ向かって船を出せ」「津波がおさまっても決してすぐに帰るな」お年寄りに教わったように、そのまま沖合に停泊して夜中中「だれかいねーかぁ」と声を枯らして叫び続けたこと。その後は「ひまわり」がたった一隻で大島と気仙沼とを結ぶボランティアを行ったこと。あの災害を忘れないために、あのときの感謝を込めて、「ひまわり」は陸上保存されることが決まりました。この度は、その「ひまわり」を護る為の屋根を作ろうという動きが始まりました。僕も一生懸命応援します!みなさんもどうか応援して下さい。そしてきっと「ひまわり」に会いに来てください! ~ さだまさし ~ もっと見る
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