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震災で孤立した島を救った船を残して「思いやりの心」を育む場にしたい!

東日本大震災の津波で孤立した宮城県気仙沼市大島。「島民のために」と大津波に立ち向かい奇跡的に乗り越え、島の命綱となった「臨時船ひまわり」。本土を結ぶ大橋開通によって役目を終えましたが、「ひまわり」と船長・菅原進の想いを伝え継ぐために船を保存するプロジェクトです。

現在の支援総額

705,000

35%

目標金額は2,000,000円

支援者数

71

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/11/17に募集を開始し、 71人の支援により 705,000円の資金を集め、 2020/12/31に募集を終了しました

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現在の支援総額

705,000

35%達成

終了

目標金額2,000,000

支援者数71

このプロジェクトは、2020/11/17に募集を開始し、 71人の支援により 705,000円の資金を集め、 2020/12/31に募集を終了しました

東日本大震災の津波で孤立した宮城県気仙沼市大島。「島民のために」と大津波に立ち向かい奇跡的に乗り越え、島の命綱となった「臨時船ひまわり」。本土を結ぶ大橋開通によって役目を終えましたが、「ひまわり」と船長・菅原進の想いを伝え継ぐために船を保存するプロジェクトです。

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2011年6月9日にようやく僕は気仙沼大島に歌いに行きました。
港には大きなフェリーが打ち上げられて半分ほど陸上に横たわっていて、ため息が出ました。

「早く気仙沼に行きたい」と思っていた理由は「Birthday」という歌があったからです。
ご存じの方もおられるでしょう、NHKの人気番組「鶴瓶の家族に乾杯」の主題歌です。
実はこの歌は気仙沼で書きました。
今から20年以上前、大島でのコンサートが終わったその夜、殆ど寝ないようにして書き上げたものでした。
ですからあの大地震の後、僕は一日でも早くこの歌を故郷に帰してあげたい、という思いが募っていたのです。
6月9日にこの歌をようやく故郷に帰した日、既に夜になり、定期便が終わってたので大島からの帰り道は、ひまわりさんが気仙沼まで送ってくれました。菅原さんからあの日の話を沢山伺いました。20メートルの第一波、もっと高かった第二波。「地震が来たらすぐ沖へ向かって船を出せ」「津波がおさまっても決してすぐに帰るな」お年寄りに教わったように、そのまま沖合に停泊して夜中中「だれかいねーかぁ」と声を枯らして叫び続けたこと。その後は「ひまわり」がたった一隻で大島と気仙沼とを結ぶボランティアを行ったこと。あの災害を忘れないために、あのときの感謝を込めて、「ひまわり」は陸上保存されることが決まりました。
この度は、その「ひまわり」を護る為の屋根を作ろうという動きが始まりました。
僕も一生懸命応援します!みなさんもどうか応援して下さい。
そしてきっと「ひまわり」に会いに来てください!                                                             ~ さだまさし ~






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