障害者が困るなあ…と思う場面は様々ありますが、中でも対人関係は障害関係なく誰もが困る問題ですよね。
障害当事者である自分も、特に聴覚障害というコミュニケーションにおける障害をもつ自分も対人関係で困ることは多くありました。
タイトルのように、「良心より知識」が障害者お呼びその他のマイノリティのことを理解するためには必要不可欠です。
「障害を持ってるやつはダメだ」
「少数派の意見は聞く必要がない」
など、分かりやすく攻撃してくる人に関しては困るものの【関わるべきでない人】という認識がしやすい面があります。
むしろ、「私は気にしてないから大丈夫!」と言って自己解釈により【良心から障害という壁を無くしてくれる人】の方が困ることもあるんです。
例えば最近でいえばLGBTQにおいて問題発言で炎上している議員さん。
この方も知識が乏しいからこそ生まれた発言なのでは?という見方ができます。
さすがにあそこまで発言してしまうと知識云々のレベルを超えてしまってますが、「私の周りにはいないから」「新聞等の情報しか知らない」という無知が故に【好きでLGBTQの道を選んだ人達】という捉え方になってしまっています。
法として守る必要はないけど、LGBTQの人がいることに関しては問題ないと思っている。好きでその道を選ぶ人達だっているしね。
この考え方が【良心より知識】が大切であることを表しています。
LGBTQの人達は好きでそうなったわけでなく、いつからか【自分は周りと違うのかもしれない】という自覚が生まれ、自分らしく生きようとした場合にはマイノリティになります。
それは趣味嗜好の話ではなくその人自身なので、障害者で言えば耳が聞こえないのに聞こえる事を強要されているのと同じなんです。
完璧に全ての事柄において知識をつけろというのは無理なことですが、目の前の人がどういう人でどんな問題や壁があるのか…を少しでも理解し知識として受け入れることができるようになれればいいなあと思います。
全ての人が、「自分らしく」生きることができるように。