1日バタバタしてて遅くなりすみません……さて、筆談カフェって知ってますか?店内では声出しNG、ペンと紙のみで会話するカフェです。あえてこれをやる理由は色々ありますが、▶カフェの静けさを活かしたいから ▶おひとり様を大切にしたいから ▶読書がメインだから ▶コミュニケーションのあり方について世間に問いたいからなどなど色々です。今日は三重県にある筆談カフェでゲストバリスタをしてきました。メニューオーダーも声出しNGです。細かいことは筆談で相談しながら決めます。2人以上でいるのに声を数時間出さないってこと、日常生活でほぼ無いと思います。僕は色んな所で出張バリスタをしてきたので、ろう者だけのイベントなんかは当たり前に1日声出さないです。というか出す必要が無いので忘れます。1日そうやってると、声出していい所で出すの忘れますけど。さて、筆談カフェにおいてお客様(聞こえる人達)に増えるものがあります。それは何でしょうか?探せば色んなものがあるかもしれませんが、ひとつ確実なのは表情です。顔です。声で伝えられなくて、ありがとうの気持ちを伝えたかったり、申し訳ない気持ちを伝えたかったりすると、自然と表情で表そうとします。手話をする時は表情がすごく豊かになりますが、それも声を出さないで感情を伝えようとするということ。同じ言葉でも感情の強弱は、表情の強弱や手の動きの速さ大きさで伝わり方が変わります。僕なんかは難聴者で手話も多少勉強してきたので、声も手話もできます。でも聞こえる人よりも表情は確実に豊かだと思ってます。というかポーカーフェイス苦手です。聴覚障害者は聞こえない分、相手の表情からよ感情を読み取ろうとすることが多いので、顔色を伺いがち。。。なんてこともあります。そんなわけで筆談カフェは表情というコミュニケーションを思い出すためにも有効です。といいつつ僕もいまの店内間借り営業であるフシイロさんにてどこかのタイミングで夜営業しようと思ってます。夜営業の時は筆談カフェです。僕の補聴器?もちろん取ります。
カフェ の付いた活動報告
SNSが当たり前の世界になったことで、文章としてみるその人が本性なのか出会って話すその人が本性なのかよく分からなくなってるから不思議な世界ですよね。何が言いたいかというと僕は全然怖くなくて優しいお兄さんですよってことです。本当に。僕は海外渡航経験が多少あって(イタリアとかドミニカ共和国とか)、文化の違いってすごいなあって毎回思います。イタリアはとにかくコーヒーが好きで常にコーヒー飲んでるような、、、朝起きてコーヒー、お昼前にコーヒー、昼食後にコーヒー、おやつ休憩にコーヒー、夜はワイン飲んで締めにコーヒーって感じです。ドミニカ共和国は島国なので、のんびーりとしてますね。集合時間が2時間遅れなんて当たり前で、今日が楽しければまあいいさ!お金もないけど、明日のご飯どうするかは明日考えればいいこと!そんな感じです。文化の違いといえば聴覚障害者、日本手話を第一言語として生きているろう者も日本に住んでいながら文化はちょっと違ってきます。言語が違えば人間関係のあり方が変わるので。日本語は遠回しに伝える文化があって、ストレートにズバッと言うことは失礼なこととされてる感じありますよね。ろう者の文化ははっきりズバッと言う方が割と多いので、そこですれ違いが起きることもあります。日本手話はどちらかと言うとストレートに伝えることが多い英語に近いです。日本1つ見ても県民性や家庭環境などで全然違う文化があって、なんなら血液型でカテゴライズしてあなたはこんな人!って決められてしまうことも、、、他人のことを無意識に決めつけてしまうのは仕方がないことですし、「人を見た目で判断するな」とか「一部分だけ切り取ってみんな一緒だと思うな」とかずーーっと昔から議論されてきたことです。流行り廃りもありますしね。1年前の当たり前が簡単に当たり前じゃなくなっていく現状の社会において間違いなく大切なのは、相手の価値観を受け入れることなんじゃないかなあと。生まれた子どもが男の子の身体だから「〇〇くんだね!」って気軽に言うのもちょっと考え直さなきゃいけないって、数年前の価値観では全然なかったことです。実は僕は保育士と幼稚園の免許を持っていて実習も何回か行きました。その時に入ったクラスの1人の男の子(保育園の枠組みとしては)から「先生ちゅーしよう」と言われたことがあります。もちろんしませんでしたが、この子に対して「そういうことは男同士でするもんじゃないよ」って、、、言えませんよね。この子にとって自然に出た感情だとしたらその言葉はナイフに近い言葉で、、、ってことが一瞬で頭を巡って「だめー!」って言えたのでまだ及第点なのかなと自己解決してますが。だからこそ僕は「障害」という言葉のいまの在り方を変えることもできると思ってますし、誰もが自分らしく他人の価値観を認め合って生きることがそんな難しいことじゃないと思ってます。他人から見たその人の悩みって小さく見えてもその人本人にとってはものすごく大きい悩みかもしれなくて、その人本人からすると自分の悩みがくだらない小さいことだと笑われたらどうしようって思うかもしれません。「珈琲が飲めるようになった」飲める人はなんだそんなことかって思いがちでも、その人にとっては珈琲が飲めたこと+アルファの大きな喜びが隠れているかもしれない。自分らしく生きるって、自分らしく(他人との比較じゃなく)がんばること。漠然と考えると無謀なことも紐解いていくと意外と近くに感じることができて、あとは声をあげる人が増えれば少しずつでも変わっていけるはず、、、
今回のプロジェクトは、誰も損しないようにしたいなあって考えて試行錯誤してます。まず主役となるのが、▶what’s!? coffee▶就労継続支援事業所▶購入者(お客様)▶珈琲農園これらが主役になってきます。まず一番のテーマとして助けたいのが就労継続支援事業所なのは間違いありません。珈琲焙煎後の作業、珈琲雑貨の作業などで可能な限り仕事依頼をすることです。この点だけは必ず守ります。what’s!? coffeeは仕事依頼をすればするほど自分にも利益は必ずくるので問題ありません。お客様へは最高な珈琲と美しく使いやすい珈琲雑貨を提供すること。珈琲農園へは、商社購入であれば数多く購入できるようにすること。ドミニカ共和国は直接取引ができるようにするので、数多く高く購入できるようにすること。そして、全ての事においてファンになって貰えるようにしたいなあと思ってます。就労継続支援事業所のファンが増えるwhat’s!? coffeeのファンが増える珈琲農園毎にファンが増える購入したお客様にも、良いものを知っている購入しているという面で少しでも貢献できるように頑張りたいです。そのために必要なことのひとつが、味以外でパッケージなのかなと。飾って見ておくだけでも華やかになれるような、そんなパッケージデザインを頑張ります。僕が笑センス磨きます。
what's!? coffeeとして活動していて、様々な仕事を引き受けています。中でも「障害者バリスタを育てて、企業へ障害者雇用を目指す」というプロジェクトは、障害者福祉業界の数ある企業においても結構有名な企業と事業提携して行っています。一般の大手企業が福利厚生の充実が社員のモチベーションアップに繋がるというデータからどんどん改善をしてきているのが数年前からのことで。食堂のランチが毎日無料で食べられたり、社外で使えるお得な福利厚生があったり、、、外資系企業なんかはもっと凄いですよね。そんな福利厚生の充実化という部分に目をつけて、障害者雇用を社内カフェでやるのも面白いよね?となったのがこのプロジェクトでした。名古屋でちまちまと活動している僕が東京に出張してまで、講師になってくれないかという依頼がきたのは非常に嬉しい出来事でした。現状の日本においての障害者雇用の雇用率は、法定雇用率によりかなり高くなりました。50%近くの企業が障害者雇用の法定雇用率基準を守っているとのことで。ただそこには問題もやはりあって、雇用されたは良いけど法定雇用率を達成するためだけに無理やり雇われ、結果すぐにやめてしまうというミスマッチングが数多くありました。無理やり雇われて、障害者雇用の労働基準時間である6時間、ただ会社にいてくれればそれで良いというような扱い方をされる人もいたとか。。。今までの障害者雇用の目標は「とにかく雇用を増やす」でしたが、今は「やりがいを持って働くことができる雇用を」という形になっています。量より質ってことです。さて、企業においての障害者雇用の法定雇用率はどれぐらいか知っていますでしょうか。何人の社員がいたら、何人障害者を雇う基準でしょうか。意外と知らない人も多くて、意外な数字に驚く?人もいるのかもしれませんね。なんなら基準を満たさないとその企業には罰則のようなものがありますから。。。
少しずつ少しずつ、色んな方からご支援や応援をして頂いております。僕がはなにも凄くなくてなにも偉くなくてなにもずば抜けた取り柄がある訳でもないです。これは本当にそう思っていて、小さい頃から高校生までは真面目にサッカーをしていました。身体が特別大きいわけでもなく、足が誰よりも早いわけでもなく、テクニックが凄い訳でもない。なんなら小学6年生までは「場面緘黙症」といって、家族以外の誰とも声を出しての会話はできませんでした。社会不安障害みたいなものです。聴覚障害があるとか無いとか以前に、チームプレーであるサッカーを無言でやるというのはなかなか難しいことです。ただ、クラブチームに入っていたことや、父親が小学6年までがっつりサッカーの特訓を一緒にしてくれたことで、技術は自信がありました。父親との特訓で毎朝6時に起きて個人での朝練を1時間やってから学校に行く。ということを言われるがまま6年ほど、頑張ってやってたので練習量がそのまま技術に結びついていたんです。会話は、小学6年の担任の先生がクラスを巻き込んで声を出して会話できるようにしよう!と試行錯誤してくれたので、なんとか喋れるようになりました。とはいえビビリな性格だったのでサッカーのプレイも積極性がなく、クラブチームでは万年補欠。高校に行って少しは積極性も出たものの、下部チームで3年が終わり。(強豪校だったので部員100人ぐらいいました)ただ、練習量が自分の結果にそのまま出るという経験はかなり今の自分に活きています。高校の時は既にサッカーへの努力を怠っていた自覚があります。独立起業して1人で生活費も含めてやりきること、新しいプロジェクトを成功させること、そういった事の結果は結論泥臭く努力できるかどうかで分かれ道になると思っています。僕がいま、1000枚のチラシを手配りで配りまくったり、毎日活動報告を更新したり、色んな人に頭を下げて支援のお願いをしたりすることができるのは、努力は必ず結果に出るということをサッカーから学んだからでした。そして自分のためだけではなく、自分と誰かのために頑張ることが自分の好きなことの1つなのかなと。自分がどうお金を儲けるか。。。ということは無視できない問題でありながら、自分が儲けることで誰かも儲かって幸せになる。その方が楽しいですしやりがいを感じます。何者でもない自分は、自分の為にという理由だけではどこかサボって手を抜いてしまいます。ですが自分の為でもあり救いたい誰かの為にという理由ではサボれません。手を抜けません。ここまで長々と書きましたが、結論追い込まれないと100%の力が出せないから追い込みますってことです笑最後まで、手を抜かず全力で。