インプロを一度経験すると、装えない自分に出会います。
インプロ 、即興演劇はその名の通り、用意された台詞・筋書きなど一切ありません。自分の言葉と身体とその場にいる仲間だけで演劇的空間を立ち上げようとする、言ってしまえば、非常にクレイジーな試みです。
初めてインプロに取り組む時。
自分が吐く言葉によって、進行しているシーンを台無しにしたらどうしよう、仲間から嫌われたらどうしよう。そんな恐怖が否応なく去来します。けれど飛び込まないと物語が進まない。こんな板挟みにあいながら、ある種追い込まれながら、言葉をポツリ、ポツリ。ジェスチャーでわちゃわちゃ。手探りでなんとかこなしていく。当然たくさん失敗します。落ち込みます。反省します。恥ずかしい!
しかし、その瞬間自覚された自己は、きっとなにによっても装えない裸の自分です。「なにもない」状態から苦し紛れに出てきた、「自分だけ」の言葉や身振りと向きあう経験をしているからです。普段から僕たちは、失敗するたびに言い訳を繰り返し、誰かに悪評を受けそうになるたび自分を守り、認識したくない自分像に、巧くベールを貼って、それを見ないようにしていきています。けれでどインプロは、そのベールを強制的に剥がし、まさにその自分像の中から、「自分だけ」の言葉や体を引っ張り出してきます。
最初はとっても恥ずかしい。けど、そんな自分を晒した時に現れるのは、吹っ切れた爽やかさと、さらけ出した仲間への信頼と、「自分だけ」のものに対する自信です。使い物にならなくなってしまったベールを見つめ、脱皮し段階を超えられたような、達成感を覚えます。そしてそんな裸の自分を見て、快く笑ってくれる、一緒にいる仲間たちに言いようのない信頼感を覚えます。
装えない自分でいること、それが認められること、それは果てしない苦しみと快感の反復であり、同時に掛け替えのない自分や他者との出会いの場なのです。
インプロを通じて、僕はたくさんの装えない自分と出会いました。失敗を正直に告白し、今日の調子が良くないことを正直に認め、シーンの中でもたくさん失敗を繰り返しました。いいシーン全然作れねえ…くっ…。悔しい…
しかしやがて、いいシーンを作ることが決して最大の目的ではなかったことに気づきました。装えない自分に出会うことが、人生の局面においても成長の鍵になるのです。そしてなにより、装えない他人を見ることは、面白いのです。チャーミングなのです。人間を見る目が、優しく広く思慮深くなります。インプロはその全てを経験させてくれました。
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即興を始めるとき、確かにそこには何もありません。
しかしそこには全てがあります。
「自分だけ」の言葉や経験の蓄積。そこに覆われたベールをばっと剥いで、仲間のと見せ合って、わっはっはと笑って、失敗して、成功して、今ここにしか起こり得なかった時間を謳歌する。
裸の自分は、裸のみんなは、想像できなかったような無限の地平へ、自分を連れて行ってくれます。
オンラインプロ部第1期
はしもん