一枝さんはいつも福島にいる。
今日は飯坂の集会所、明日は南相馬の仮設住宅。
あの人のこの人の話を聞きたい、前に話を伺った方は今どうしてるだろう、、。
福島県内を東奔西走。菩薩のような語り口で被災者の話を聞き取ってそれを自らの言葉で記す。
「聞き書き」をこの10年続けていらっしゃる。
なぜ福島なのか、、。
それは30年前からライフワークとして続けていらっしゃるチベット問題への取り組み、そしてもっと前の自らの出自、満州からの引き揚げにあるのかも知れない。
「弱者がいつも不条理にさらされる社会」
時は流れても不条理はなくなるどころか一層色濃く人々の背後に迫る。福島原発事故から10年が経とうとしているが、復興色が強いニュースの中で取り残されている弱者たちがいる。その弱者たちの口から発せられるもの中にこそ、起こったことの真実が隠されているのではないか、、。
一枝さんは今日も福島にいる。
そして人の話を熱心に聞き、それを記録し続ける。
作家の渡辺一枝さん。応援メッセージありがとうございます。
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今、ここからは海は見えない。
以前は家の一部の土台が残っていて、かつてそこには人が暮らしていたと分かる場所だった。今そこは真新しいアスファルト道路を挟んで芝生の原と植栽の広場になり、南に目をやると、コンクリートの高い防波堤が見えるだけ。海は見えない。
初めて訪ねた10年前の夏以来何度も通い、仮設住宅で被災者の方達から話を聞かせてもらった。話を聞いて自宅が在ったという辺りに行ってみれば、そこには暮らしの跡が何も残っていなくても、例え草茫茫の荒れ野でも、聞いた話から被災前のそこでの日々を想い浮かべることはできた。私の想像が実際とは似て非なるものであったとしても、そこには人の暮らしが存在したということが、確かに窺えた。草茫茫の向こうには、海原が光っていたから。
今、ここに立っても、かつてここに人の暮らしが在ったことは窺い知れない。暮らしの残骸は片づけられ、それらを覆っていた草はすっかり刈り取られ、砂礫の広場になった。そこに立っても被災前のそこがどんなだったか、想像すらできない。かつてそこに住んでいた人でさえも、前がどんなだったか思い出せないのだから。こうして記憶も消されていった。
やがてそこには工事車両が行き交い、真新しいコンクリートの建物が出来上がった。こうして記憶はベリッと剥がされて、全く別物がそこに嵌め込まれていった。初めてここを訪ねる人には、嵌め込まれた別物が以前からのこの地の姿だと意識付けられるだろう。こうして地図は塗り替えられ、歴史は消されていく。
2021年4月。
抗う者たち、記憶を消し、歴史を消す力に抗う者たちが、それぞれの船を舫い合い、大きな船団を組んでタワーホール船堀にやって来る。彼らは物語を紡いでいく者たちだ。そこに在った暮らしを、そこに生きた人々の思いを未来に繋いでいく者たちだ。彼らの集う場に立つあなたもまた、物語を紡ぐ一人になる。伝えていこう!消されぬ歴史を!
来たれよ!もやい展へ!!
渡辺一枝(わたなべいちえ)
1945年、ハルビン生まれ。89年に18年間の保母生活に終止符をうち作家活動に入る。チベット、中国、モンゴルへ旅を続けている。著書に『時計のない保育園』(集英社文庫)、『チベットを馬で行く』(文春文庫)、『わたしのチベット紀行』(集英社文庫)、『風の馬 ルンタ』(本の雑誌社)など多数。『マガジン9条』発起人の一人。ご主人は作家の椎名誠さん。
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