「スキ」の数こそ少ないが、チャレンジ介護士篇を読む多くの人に関心を持って頂いているのが、主人公である海野総一についての話です。既に紹介した「ボランティア活動、介護と医療(4)」には及びませんが、全60話の物語の中で2番目に読まれているのが「海野総一(2)」です。その前の「プロローグ(1)」を一つの物語(第1部)が完結した後に誤って削除してしまっていますが、当初のものと新しいものを読んで頂いている閲覧数を足すと「海野総一」を少し上回ります。この辺から、チャレンジ介護士篇に関心を持って「プロローグ」から「海野総一」へと物語を読み進めて頂いていても、そこで多くの人が離脱してしまっているという残念な現実もあります。
介護・福祉とは関係がない、むしろ対極にあるような投資業界から介護・福祉業界への転身は、それほど多いことではないでしょう。
海野は、著者である私の性格や気質を引き継いでいるようです。私が、私の経験、学び、思考を描き出す上で中心となる存在が主人公の海野なのですから無理もありません。海野は、必ずしも私自身ではありませんが、私の理想が描き出した人物だと言えます。
例えば、私は、社会人になって証券会社の営業マンとしてキャリアを始めた後、ファンドマネージャー(ポートフォリオマネジャー)になることを目指していました(ビジネススクールへの出願エッセイにはそう書きました)。多額の資金を運用して利益を上げれば、人に喜ばれるであろうし、利益の一部から比較的良い報酬を受けられるだろうと思っていました。
そんな純粋な投資のイメージは、徐々にベンチャー投資の色彩を帯びていきます。それは「インターネット・バブル」と言われた1990年代後半から2000年代初期をはさんだ時期の出来事でもありました。「ハンズオン型」と言われるような、投資家自ら投資先の経営に参加して投資先企業の価値(株価)を高める投資スタイルに共感して、そのような働き方を目指していました。
それから、企業再生投資にも少しだけ関わりました。経営が悪化、または、破綻した企業に投資して経営状態を改善して、企業価値(株価)を回復させるという仕事です。私は、これらの仕事に主に営業の仕事として関わってきました。それは、端的に言えば、投資を必要とする企業に投資家を紹介する仕事です。安い価格で株式を引き受けて、株価を上げて売却することによって利益を直接得る仕事に魅力を感じていましたが、私が実際に関わってきたのは、投資家に投資先を紹介して手数料を頂く、あるいは、そのような取引に関わるコンサルティング料を受ける仕事でした。
海野総一は、アメリカの西海岸の短大を卒業後、東海岸の大学の3年次に編入します。しかし、1年で中退して、短大時代の友人の勤める投資会社で働くことになります。この投資会社とは、私が手がけてみたいと思っていた投資を行う会社のイメージから作られています。
このようにチャレンジ介護士篇のストーリーを組み立てながら、私は海野の中に、理想の自分を描き出そうとしていたのかも知れないと改めて思います。それでも、私自身の能力や思考による限界が何となく設定されていて、海野自身もそのような天井を打ち破るために苦悩しているように思います。
海野の存在は、私のイメージから遠く離れて独り歩きをしない範囲にとどまっています。少なくても、今回の60話からなる第1部においては、そのようです。
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