苦節何年でしょうか。やっと、やっと、実店舗、EC共に再OPENすることができました。書きたい事は山ほどありますが、さしあたり再開のご報告をさせて下さい。こんなに時間がかかるとは思ってなかった。思えば数年前、大好きなシェムリアップで、学のない若い友人達が手に職を持てるよう寺子屋や職業訓練校のような形のものを作りたくて始めた新工房。当時持てるもの全てを賭けて始めましたが、日本人の詐欺師に騙されて、作ったばかりの工房とその土地を強制立退きに遭い、全部失いました。事情を知らない人からは信用も失なったと思います。その直後には泥棒にも遭い、這々の体でなんとか移ったアパートの一階で工房だけは存続させ再開に向け動いていた矢先にコロナが来て。その後さらに移転したばかりの物件で街を挙げためちゃくちゃな道路工事なんかも始まって。そこからはほんとにしんどかった。ほんまにしんどかった。色んな理由でこの地を去らなければいけなくなった人達が多い中、とにかくまだここに立っていて、まだ生きてる。それだけで運が良かったのだと思います。なんとか工房だけは稼働させて海外からのOEM(委託生産注文)を受けて凌いできました。その途中、一番最初から5年間ずっと寝食共にして一緒に働いてくれた一番最初の職人で、工房を立ち退きで追われた時も中国企業から引き抜きされた時も他所には行かず自分に着いてきてくれてたリー君が交通事故で突然亡くなり、わけがわからなくなって、しばらくは何もできなくなりました。途中何度折れかけたか。自分を騙した人達や、その後の環境や状況をどれだけ恨んだか。それでも、頭が普通でなくなるような状況でも、しんどいのは自分だけでなく、横を見たら隣で同じように息切れして胸押さえて倒れかけてる、みたいな人達が周りには何人かいて、お互い大汗かきながら「ウチもキツイけどおたくもキツイでんなぁ。でも頑張らなあきまへんなぁ。」と強がり冗談言いつつ笑い合うことができた人達が身近にいた事でなんとか正気保つこともできたように思います。この数年、しなくても良い回り道を散々して、唯一それでも良かったかもなと思えたことは、他人の痛みを想像したり汲み取ることができるようになった事かもしれません。散々地べた這いつくばり回ったおかげで、前までは素通りして目にも入らなかった景色が沢山見えた。文字通り目線が落ちないと見えないことは思っているよりも多いのかもしれません。よく「同じ目線で」みたいなことが言われるけど、そんなものは調整やコントロールしてできるようなものではない。人は自分が痛みを以て体験したことしかわかり得ない。他にも、もし全てがトントン拍子で進んでたら出会えなかったであろう人、これから一生付き合っていくかもしれない人にも出会えました。そんな中でも、僕達はいくら能力的に低くても、どれだけしんどくても、ズルしたり嘘をついたり、人を騙して支持を集めたりしたことは一度たりともなかった。それだけは胸張って言えます。当たり前のことかもしれないですが、切羽詰まった時に人の本質は出ると言うし、残念ながらこの期間中に身の回りでそういう景色を本当に散々見ました。確かに辞めたら終わり。汚いことをしてでも生き残ったもん勝ちという人と、そんな事をするくらいであれば綺麗に死んだほうがマシという人。本当に様々な人間模様や人の機微が見えたし、人間関係を考えるきっかけになりました。お茶を濁そうと思えばいくらでもできる中で、自分達はどういう行動を取るのか、散々考えました。どちらか一択ではなく、自分達は嘘も付かないしズルもしない。その上で生き残る。それから理想に近い未来を自分たちで作っていく。時間がかかっても、なんとかなるまで何度もやる。内容に大小あれ、同じ経験をした者だけにしかわからない魔法みたいなものがあると思います。そこに言葉なんかひとつも要らない。わかる人にはわかる。そんな事を思いました。その上で、ズルしてる人も、嫌いなあの人も、もしかしたら見えない所で色々な事情を抱えているのかもしれない。それを推し量るくらいの多少の想像力は今はついた気がしなくもないです。長い間ずっと自分はつくづく運がないんだなぁと思っていましたが、全ては考え方次第で、どれだけお金を積んでも手に入れることができない経験を沢山したと思うようになりました。周りには宝物みたいなスタッフもいる。そう考えると、多分運が良かったんだと思います。=====工房の方はこのプロジェクトの目標でもある技術交換で交流していた同業競合他社がほぼ軒並み閉業してしまった為、当初の目標を超えて、そこの失業したスタッフ達を弊社で面倒を見て雇う事になって1年と少し、現在ではスタッフも5人になり、今では元いた子達が「ロックルー(先生)」と呼ばれてもっと若い子達を指導しています。もうどこに出しても恥ずかしくないスキルを持った子もポツポツ出てきました。己の甲斐性を超えた活動を曲がりなりにも今こうして続けられてるのは、場面場面で色々な形で助けて下さった方々のおかげです。本当にどうもありがとうございました。中には、その時その時やりきるのが精一杯で何も恩返しができてなく、結果的に不義理をしてしまってるような人もいて、ずっと胸のつっかえになっています。そんな人にもこれから一人ひとり連絡させて頂くつもりです。こんな散々なだらしない人間に、懲りずに応援してくれた人には、時間はかかっても絶対応援して良かったなと思って頂けるよう、そのままにするつもりは毛頭なく。とはいえ今現在何か状況が劇的に良くなったわけではなく、現在進行系で死にかけてるわけではありますが、気持ちが変わったらあとはやるだけです。これからどうしていくか今も毎日頭から煙出るくらい散々考えてます。カンボジアに来て7年が過ぎましたが、やっと今初めてスタートラインに立てた気がします。まだ辞めるわけにも、終えるわけにもいかず。とにかくまだここに立ってて、まだ生きてる。それはとりあえず事実で。なんとかもうちょい頑張って生きて行きます。にゃんこ達もいてますし。======もう一つ。今までこだわりや理想論だけで突き進んで来た気がしますが、本当に好きなものや大切な物を守っていく為には苦手分野から逃げず、曲りなりにも起業家の端くれの端くれとしてちゃんと数字と向き合わなければいけないと身を以て痛感しました。何かを変えないと同じことを繰り返すだけ。いくつか立てた今年の目標のうちのひとつに「居心地の良い同じ場所からアウェーに出て勝負する」というのがあります。コロナが明けつつあるからか、立て続けに3つ4つ日本からTVの話もありました。以前なら違うリアクションを取っていたと思いますが、今年は多少恥をかいたとしてもちゃんと人前に出て挑戦して、知ってもらう努力をしていこうと思います。毎日毎月電卓とにらめっこする日々。ここから先、どうなっていくかまだわかりませんが、どうか引き続きよろしくお願いします。過去2回のプロジェクトで「工房にお名前を記載」のプランでご支援頂いた方々です。心より感謝申し上げます。これも全手作りで屋上に新しい作業部屋を増築しました。現在の作業場所の工房です。胃潰瘍で文字通り胃に穴が革漉き機で指先カッツ欠陥工事で雨が降るとすぐ洪水になる工房前停電でも電話の明かりで作業するリー。この間あった色々を写真で並べたらなんか笑ろてしまいました。なんでものづくりしてるだけでこんな血まみれなるかねξ「真剣になっても、深刻になるな」昔尊敬していた上司に言われた言葉です。どんな事があっても、笑い飛ばして頑張ります。散々バカだの不器用だの言われてどないしょうもない僕らですが、アホウはアホウなりに愚直にやるしかないので、そのスタイルは貫いて頑張ります。長文すんません!これからもお付き合いいただけると幸いです。
少し久しぶりの活動報告になってしまい申し訳ありません。 今回日本は2ヶ月半ほど滞在し、日本進出の組織づくりの為の行政への各種届出や申請、日本政策金融公庫を含めた金融機関との面談、古物商免許やその他許認可取得などなど諸々の手続きを終え、先日カンボジアに帰国しました。 丸2年ぶりの一時帰国。日本も同様で大変な状況にある中相応しくない表現かもしれませんが、つい数日前までいたシェムリアップの文字通り地獄のような状況と比べると日本は本当に天国みたいな場所だなぁ‥というのが一時帰国した時にしみじみ感じた、正直な感想でした。 当然日本のように政府からの休業補償や補助金助成金などもない中、文字通り街中の泥をひっくり返した様な工事、毎日何度も何時間も起きる停電・断水、勝手に敷地内に入り電線をぶち切ったりドアやガラスをぶち壊したまま放置していく業者、壊したものを元通りにするのに金銭を要求する業者、修理に来ない業者、来たら来たで別のものを壊して帰る業者、更にその修復に金銭を要求する業者ete.. そんな傍ら、工事をする部屋の隅で黙々とサンプル作りとスタッフトレーニングを続けてきました。 ベストな環境とは言えないかもしれませんが、屋根と最低限の道具さえあればものは作れます。 TwitterなどSNSでは普段起こるこんな出来事をできるだけ笑いに変えて書いているつもりですが、本業以外のトラブルがあまりにも多過ぎて、日に日に余裕が消えていくのが自分でも笑えず、時々痛々しく感じたりもします。 工事にしても現場の人は頑張っていますし、刺すべきは人でなくシステム、といつも言い聞かせてはいますが、わかっていても心身共に余裕のない状態が2年も続く中で、自分が育ってきた常識やロジックとはあまりにもかけ離れた事が起こる毎日につい声を荒げてしまう事も多々あり、あくまでよそ者は自分なのであって、居させてもらっている立場だということをつい忘れてしまい、いつも神経を尖らせ怒っている、そんな事が増えました。 6年間いて色々な事を理解しているつもりでもこんな有様。 時々冷静になって俯瞰し、相手の立場になって物事を考えた時になんだか情けなくなり、反省を重ねる毎日です。 自分は誰かに呼ばれたり、頼まれてカンボジアに来たわけではなく、誰に求められたわけでもなく自分で選んでここにいる。勘違いするなよ。と改めて。2022.02.22.没===強迫性障害とうつ病=== そんなこんなのストレスのせいなのか、単に普段の不摂生がたたったのか、カンボジアにいる間つい放置してしまっていた体調不良をこの日本滞在中にちゃんと検査しておこうと思い病院に診察に行ったところ、本当に胃に穴があいてしまったようです。 その他にも、ある事がきっかけで今まで行かなかった心療内科に行くことになり診てもらったところ、強迫性障害からのうつ病との診断。 おかしかったのは周りでなく自分の方で、気づかぬうちに晴れてめでたくリーガルジャンキーになってしまったのでした。 見るからに商売っ気のなさそうな(失礼)経験豊富そうな年配の先生は、診察一番「まっすぐ歩いてみて」と言った後、少し診ただけで「あぁ‥」と言い、軽い問診後、少し間があった後「長い間しんどかったやろ。よう頑張ったな」と言いました。 信用出来る先生だと思い、強迫観念のこと、スタッフが事故で死んだ時のこと、その後のこと、それから今までのことを話しました。 考えすぎかもしれないけど、僕の話を聞きながら時々ぼーっと遠い目で何かを思い出しているような顔で窓の外を見る先生を見て、勝手に先生の過去に起きたことを想像した。 カウンセリングのような所ではなく、病院なのに、病院や先生に全くメリットがないような事も長々と話をしてくれ「3つだけ約束してくれるか?」「わかりました」というやり取りをした後、「アカンなと思たら何時でも良いから電話しておいでな」と言ってくれました。 前の患者さんの3,4倍の時間を取ってしまっていた事に気づき申し訳なく思いながら、今まで心療内科や精神科なんて行きたくもなかったけれど、良い先生に出会えて本当に良かったし、こんな先生も居るんだなと、どんなきっかけでも行って良かったなと思いながら歩いて帰った。 この先生がこの壺を買うと良いことあるぞ、とか言うと買っちゃってたかも。それくらい。 それは冗談ですが、ここまで露骨に心と身体は本当に繋がっているのだなとつくづく実感しました。 治るものではなく一生付き合っていくしかないとのことで、これから先のことを考える転機になりました。=== 胃潰瘍の方は日本で治療し完治したと思っていたものの、帰国後また痛み出し、日本の医師の「再度痛みだしたら癌の可能性もあるので精密検査を」という言葉を思い出してビビってしまい、つい昨日カンボジアの大きな病院で内視鏡検査を受けて来たところです。 幸い癌はなく、ストレス性の胃腸炎でした(まぁまぁ痛かった)。 日本帰国している間にもスタッフが順番にデング熱やコロナ感染で2-3週間の一時閉鎖を数回(こちらも皆回復し、命に別状はなし)、カンボジアに戻って来てからも早々に水漏れからくる水道管の破裂で元栓が閉まらず数日間水を噴射したまま水道メーターが周りっぱなし…などなど早速地味なトラブルがボディーブローのように積み重なる毎日。 1つ解決しようとすると新たに2つ3つ新たな問題が起きるといういつもの3歩進んで5歩下がる状態で何も進まない状況の中、やっと、やっと諸々の工事箇所の修繕も終わり、ある程度制作に集中できる環境ができました。(工事はまだ続きます) これから時系列が少し前後する形にはなりますが、時間を見つけつつ少しずつ遡ってプロジェクトの進行状況の活動報告を投稿していきます。 すべての進行状況が当初の予定よりも大幅に遅れてしまっており本当にすみません。 現時点で制作したサンプルが300種類を超えてきたところで、数種類に絞っている最終段階です。 こういうのは100や200じゃ意味がないんです。 当初は本当に1000種類くらい作るつもりでいましたが、それが終わる前に潰れてしまうので、どこかで線を引く必要があります。 プロダクト以外のパッケージやカードなども今までタイやベトナムの近隣諸国で作っていたものを全てカンボジア国内生産に移管しました。 現在目標として4月までに物理リターンとバウチャーの発送、ECサイトリニューアル、現地ショップ再オープン、日本での本格販売開始を一斉に同時に行う為フル稼働で作業を進めています。 すぐに送れるものもありますが、バウチャーは日本進出第一弾のプロダクトを含めリニューアルし充実した状態のECサイトすべての商品に使えるようにしたいと思っていますので、もう少しだけお時間見て頂ければ幸いです。===最後に=== 正直なところ、もうあかん。もう、無理や。今度こそもう続けられん。と思う事は毎日のようにあります。 大したことをしていなくてもただ活動場所がカンボジアというだけで取り上げて頂いたりする事もあれば、何かやってるように見えることもあるようですが、僕の場合は単に他の事が何もできず、これしかできないからやっているというのが本当のところです。 正直もっとしたたかにうまくやれば、もっと楽で、早く進む方法って沢山あるのかもしれません。 誰かの為にとか、社会の為にとか、もしかしたら延長線上にはいくらでも良いように言えるのかもしれませんが、正直なところ自分が「好きだから」「やりたいからやっている」としか言いようがなく、そんな自分のエゴ全開のわがままの為に沢山の人を巻き込んでしまっている以上、社会的な何かに結びつけて良いように言うのは少し違うのではないかなと思うようになってきました。少なくとも順番が違う。 できそうだからやるわけでもなく、儲かりそうだからやるわけでもなく、困っている人がいるからやるわけでもなく、好きだから、自分がやりたいからやっている。他のことは関係なく。 とはいえ日本の銀行なんかは日本で何の実績もない自分達には厳しいもので、その結果現実は帰国時未だにアルバイトをしたりと情けない限りです。 でも自分や誰かに嘘をついて物事を都合の良いように曲げて人の支持を集めるよりかは、自分が好きでやっているだけと言い切る方が性に合っています。(だから売れない芸人さんや音楽家なんかについ感情移入してしまいます) ずっと思っている事ですが、多分、自分を犠牲にしての「誰かの為に」は続かない。「誰かのために」が嘘でなくても、限界があります。 時間、お金、労力、限られた資源を、放出し続けないといけないからです。 その先に勝算でもない限り、資源には限りがあります。いつか尽きる。 でも自分の内側から湧き上がってくる気持ちは、尽きることがありません。 自分が情熱を注げる心底好きなことがもし誰かの為のイコールになる瞬間があったら、それこそ何よりもサスティナブルで、継続出来ることなのかなと思います。 好きなことなら、どれだけしんどいことでも、続けられる気がするので。 誰にやれされているわけでなく、自分が選んでそうしているはずなので。 スタッフを含め、一度深く関わった人間くらいは自分の力で幸せにしたいと思っています。 少しずつ身辺整理をしつつ、時間はかかっていてもお世話になった人には順番に恩返しをしていき、少なくとも自分達で決めた線までは何がなんでも実現する。 それには自分の持てる全てをBETして全責任を持ちます。 応援して下さった方々にも同様で、いつかもっと大きなお返しができるようにといつも考えています。 数年前の物件強制立退き以降ずっと問題ばかり起きて何ひとつできていいないのに、充分良いように綺麗事を言ってしまっているか。 コロナが落ち着いてきたとはいえ、正直なところ、状況は一向に良くならないどころか全く希望も見えないというのが正直なところ。 でもただでは転ばないし、このまま終わるつもりは毛頭なく。 出来ること思いつくことを全てやってみて、どんな方法をでもやめなければ先には繋がる。その間に糸口が見えたら即全力で手繰り寄せる。 深夜2時、こんな事を書いていたら世界では戦争が始まってしまいました。 ニュースが気になって仕事が手に付きませんが、今日も生きて、自分の仕事を全うするしかない。 今はとにかく生き残ること、続けること。全部それからだと思っています。 死んだらぜんぶ終わりですから。
こんにちは、古白川です。仕事が終わると(というか力尽きると)椅子で横になったまま記憶なく即寝落ちで気づいたら朝、みたいな日々でSNSもほとんど見なくなってしまいました。エアコンなしの屋上と1階を、裸にパンツ一丁の汗だく姿で木や鉄の塊を運んだり、壁に穴開けて粉まみれになったりというゴリゴリの肉体労働。考えたらこの1年ずっとそんな感じな気がします。よくインスタで見かける、頭でぼんやり想像していた爽やかでオシャレな海外起業ライフとはえらい違いやなぁ…と思いつつ「あともーちょいの辛抱じゃー!!」「放課後電磁波クラブ!」と奇声を発しながらパンツをクイッと引っ張り上げてハイレグTバックにしながら肘直角のフォレスト・ガンプ走りで階段を駆け上がる自称CEOにスタッフ一同苦笑いですが、朝から晩まで考える暇もないくらいまでとにかく動きまくり働きまくるというのも未来への不安を消すひとつかなとか思ったりもしています。ずっとずっと暗い話が続いていたので、少しくらいフザケたり笑いがあってもバチ当たらんよなぁ…なんて思いつつ。スタッフのみんなが楽しそうに働いてくれているのが唯一の救いです。動画を載せたいんですが、一度youtube等にUPしないとダメみたいなので今度挑戦しますそんなこんなの毎日で進展のあった活動をいくつか報告をさせてください。<リターン製作中!>現在、応援して下さった皆様へのリターンの製作を進めています。革の部分は全て手縫い、真鍮部分も薬莢の弾丸を溶かすところから、ひとつひとつ色んな思いを込めながら、完全ハンドメイドにてお作りしています。また、ECサイトのチケット(金券)発行やお名前掲の看板やウェブサイトなど、物理リターン以外のリターンも平行して準備中です。共にリターン欄に「お届け予定11月」と記載していますが、もう少し早めにお届けできるよう頑張ります!また、現在ECもしばらく代わり映えありませんが、次の写真撮影をした後に一気に新しいデザインのものを追加する予定ですので、ECチケットはその時にお使い頂くのが色々と新しいものが選べておすすめです。(随時告知させていただきます!)<技術交換開始!>当初予定していた技術交換相手はAJ社1社だけの予定でしたが、さらに2社増えました。ひとつはAJ社と同じくカンボジアの彫金職人のいる同業のJT社、もうひとつは中華系ベトナム人の運営する鐵工所T社です。JT社とはAJ社ではできない鋳造関連の技術とレザークラフトのお互いの技術交換を。T社からは機械を使わない特殊な形のネジやボルトのタップの切り方やダイスの使い方、大きめの金属の扱い方を学びます。特に後者はシェムリアップではできる所がかなり限られているのでなんとか習得したいです。もうひとつ、ミシンを使う会社とも技術交換の話をしています。ベトナムからの使者このおっちゃん、こう見えてめっちゃ凄腕なんです<新スタッフ加入!>技術交換でAJ社からうちに派遣される予定だった彫金職人の内の1人であるKinh君(キン君。皆にはケンと呼ばれています)がコロナ後仕事の激減により事実上の解雇状態になってしまったようで、その後市場で魚売りとして働いていましたが、彼から連絡があり「やっぱり魚売りではなく職人として働きたい。ボン(お兄さん)の所で雇って欲しい」と相談があり、私たちの会社で住み込みで働くことになりました。「もう今日から今すぐ働きたい」と、急に勝手に家財道具一式全部持って来た時は驚きましたが、動機のある人は強いと思います。周りからは聞いていましたが、孤児院育ちでいわゆる自閉症気味というか、少し変わった所があり、コミュニケーションが難しい部分がありますが、真剣な話を沢山しました。彼の未来に投資します。全く未知数でしたが、既に1ヶ月ほどレザークラフトのトレーニングをして簡単な直線の縫い物くらいであれば綺麗に縫うことができるようになりました。相変わらず毎日の停電の中スマホとロウソクの灯りで頑張ってくれています。逆に2ヶ月目の現在は革職人のNary(ナリ)がKinhに彫金を習う形で進めています。正直なところ、Kinhが来てくれたことにより技術交換の一つのゴールを半分達成してしまい、私達側としてはAJ社との技術交換に出向く必要性が少し下がってしまったのですが、AJ社には他にも派遣予定だった職人がいるので先方が必要としていれば引き続き行うつもりです。(現在は先方にドバイから大量の注文が入ったそうで、少し先にお願いしますと連絡を頂いています)とても面白いやつなのでこの時の事とKinh君についてはまた時間がある時に詳しく書きたいと思います。彼は今、亡くなったReach(リー)が住んでいた部屋に住んでいます。つくづく面白い(おかしな?)タイミングだなと思いますが、そういうのも運命みたいなことなのかもしれません。<新作業所設置中!>リターン製作と並行して、現在スタッフ全員フル回転で革工房の屋上に新しい彫金用の作業所を設置しています。当初AJ社の代表と相談していたスケジュールはだいたい月に2,3度お互いの工房を行き来して行う予定だったので、自社工房に設備を設置するのはある程度段取りを覚えた後で…と考えていましたが、Kinhがうちに来たことで他所で学んだことを即自分達の工房で毎日必要な時に実践でき、より多くの時間をトレーニングの時間に充てることができるため先に作ってしまうことにしました。何度も挑戦してはダメになっていた事だったので、一気に物事が進んだ感じがあります。プロジェクト目標金額を超えて応援していただいたこともあり、最低限の必要工具として当初10万円に設定していた設備補強費を少し上げさせて頂き、揃える工具の範囲を広げました。(当然リターン原価やその他必要経費も大幅に上がってしまいますが、全て大切な投資と捉えています)プロジェクト本文にも書いたように、商品を購入して頂いたり、応援して頂いた分をただ延命の為の固定費に充て消費してまた同じことを繰り返してしまうのではなく、今のうちに人や道具に投資し、先に繋がるような時間の使い方をして、最大限に活かしたいと考えています。相変わらず国内の状況は良くならず、潰れる事業者があとを断ちません。知人友人で苦渋の決断をした所も沢山あります。世界中どこも同じだと思います。うちも店舗を閉めて早1年数ヶ月になりますが、カンボジアは事業者の休業補償などないので、なんとか色々な手段で自分たちで道を切り拓いていく必要があります。今回のプロジェクトに関しても一部批判をしている人がいる事も聞きました。色々言いたい事もありますが、全ては自分で責任を取ると決めた上での決断です。やってみて死ぬかもしれないし、結果笑われるかもしれません。簡単に考えたわけではなく、散々悩んだ末にその時に最善だと思って決断して行動した事です。それを間違いにしない為にも、多少時間はかかっても必ずひとつひとつ実現していくんです。<この先の予定>現地での状況がある程度落ち着けば、今回のプロジェクトのもうひとつの目標である日本を含めた海外進出のため、タイミングを見て一時帰国を予定しています。日本国内でも登記をし、いくつか新しいチャレンジをします。(いつも色んな想定外の問題が次々に起こるので、先に大風呂敷広げず、進んだことからひとつずつ報告しようと思います…)今の世界の状況を見た時、現状維持しようとすると死ぬ。と思いました。今回のコロナが起こらないとやってなかっただろうな…という事も沢山あります。挑戦していきます。決して器用な方ではなく、やることなすこと本当に遅くて情けなくなる時もありますが、ゆっくりでも確実に一歩一歩進んでいくつもりです。長くなってしまったので、今度からは活動報告も短く、少しずつ行っていく様にしますね!これからも、どうぞよろしくお願いいたします!放課後のフォレスト・ガンプ 古白川