2017/09/02 07:56

まあたいがいの人はそうなのだろうが、裁判などというものは私に取っては生まれて初めての経験である。
経験する前は「とてつもなく高尚なもの」だというイメージがあったが、実際には「幼稚園児の泥の投げ合い」みたいなやり取りも行われたりするのだろうか、今回の裁判ではいくつかJASRACの主張に首を傾げるようなものがあったのでここで紹介しておこうと思う。

まず著作権裁判ではよく「カラオケ法理」というものに則って裁判が進められるが、「客ではなく店が演奏している」という論理には、「店が客を管理支配している」という前提が必要不可欠である。

まあ例で言うと、ある犯罪が起こった場合、その実行犯を「手足のように」使って犯罪をさせたとしたらそれは実際に手を下したのと同じでしょ、という理論である。
だから、演奏者ではなく「店が演奏している」という理論を成り立たせるためには、店が演奏者を「管理支配」しているということが大前提となる。

ビートルズの箱バン(給料をもらって言われた演奏をやるバンドのことを称した業界用語)や、オールディーズの店で演奏している店ならともかく、「ライブハウス」というものが果たして出演者を手足のように管理支配しているか?・・・

私自身、爆風スランプなどがアマチュア時代に出演していたライブハウスも、その後数多く出演させて頂いた全国のライブハウスは、どれも決して私を「管理支配」していたとは思えない。

今回裁判の中で、JASRACの理論「店が出演者を管理支配している」という主張に対しての反論のひとつとして、出演者の中から何人かが「自分は店に管理支配されたことはない」という「陳述書」を書いて下さったので、それを裁判所に提出させて頂いた。

こうして実際に出演者が「管理支配されたことはない」という陳述書を提出したことに対して、例えば「私は管理支配された」という出演者を見つけて来て反論するのが「正々堂々」とした「議論」だと私は思うのだが、ところがJASRACは思いも寄らず次のような文書を裁判所に提出して来た。

ーーーーー引用ここからーーーーー

「原告第5準備書面」p17
乙39~46(陳述書)について
(1)信用性について 被告らが準備書面において記載内容を引用する乙39~46(ライブ出演者の陳述書)は、作成日付、宛名及び内容自体から明らかであるように、本件訴訟における原告の主張立証に反論反証する目的で作成されたものである。したがって、上記甲号証に比し、信用性の劣るものである。

ーーーーー引用ここまでーーーーー

それはJASRACにしてみたらそんなものを提出されたら困るというのはわかる。
でもそれをこのように否定したら裁判にならないではないか。

我々はこのように反論した。

ーーーーー引用ここからーーーーー

「被告第11準備書面」p18
原告は、出演者の陳述書(乙39~46)について、本件訴訟における原告への反論反証の目的で作成されたものであるから甲号証よりも信用性が劣るなどと主張するが(第5準備書面17頁)、原告により本件訴訟が起こされなければこのような陳述書を作成する必要がなかったことはいうまでもなく、提起された訴訟における反論反証と関連性のない陳述書を提出することは無意味であるから、原告の主張は、畢竟、陳述書の信用性を一般的に貶めるものに等しく、意味をなさない。かかる無意味な論理で陳述者の供述の信用性を一般的に否定することは、訴訟において真実の究明に協力する陳述者を侮辱する暴論である。

ーーーーー引用ここまでーーーーー

ところがJASRACは自ら陳述書そのものの信用性を否定しながら、今度はその陳述書内で重箱の隅をほじくるように反論の材料を探して来る。

ーーーーー引用ここからーーーーー

「原告第5準備書面」p18
出演のきっかけについて、乙40(佐々木隆の陳述書)には、「このお店にライブを見に行ったら、その場で『せっかくだから(ドラムを)叩いてみたら』と勧められて、お店でドラム演奏を披露したところ、それを見たお店の方(たしか赤間さんだったと思います)から『どうですか。(このお店に出演してラ イブを)やったらどうですか。』というようなことを言われ、」と記載されている。すなわち、被告末吉の音楽仲間である本件店舗の従業員赤間が、被告末吉の意向ないし方針の下、佐々木の技量や音楽の傾向を確認した上で、ライブ出演を勧誘していることが伺われるのである。
ーーーーー引用ここまでーーーーー

ところが、JASRACが主張するこの
「従業員赤間が、被告末吉の意向ないし方針の下、佐々木の技量や音楽の傾向を確認した上で、ライブ出演を勧誘した」
というのは全くもって的外れである。

なぜならJASRAC自身が目を皿のようにして粗探しをしている私のブログには実はこんな記述があるのだ。

ーーーーー引用ーーーーー

毎月「Throw」という自らのトリオで出演してくれている佐々木隆さん。
実はお恥ずかしながら昨日初めてライブを見させてもらった。

ーーーーー引用ーーーーー

つまり、私は佐々木さんが店に出演するようになってから初めて佐々木さんのドラムを聞いたということである。
我々は「被告第11準備書面」にてこのように反論する。

ーーーーー引用ここからーーーーー

「被告第11準備書面」p18
原告は、「従業員赤間が、被告末吉の意向ないし方針の下、佐々木の技量や音楽の傾向を確認した上で、ライブ出演を勧誘した」(第5準備書面 18頁)と主張するが、被告末吉は佐々木氏が本件ライブハウスに出演するようになってから初めて同氏の演奏を見たのであって、事前に同氏の技量や音楽の傾向を確認したものではないから(乙63)、原告の主張には理由がない。

ーーーーー引用ここまでーーーーー

このバカげた小さな論争はここで終わって、JASRACからは反論がない。
「JASRACは何の根拠もなく、ものを断定して来る」という話はここでも書いたが、前述の「原告第5準備書面」p18にある
「被告末吉の意向ないし方針の下、佐々木の技量や音楽の傾向を確認した上で、ライブ出演を勧誘している」
というのはもう根も葉もない「いいがかり」ということになる。


このような「いいがかり」に近い主張は数多く見られるのだが、次に紹介する主張の「オチ」は、これはもう「いいがかり」を通り越して「笑い話」である。


「出演者ではなく店が演奏をしている」という「カラオケ法理」を当てはめて私を被告としたいJASRACにとっては、どうしても「末吉は経営者である」ということを立証せねばならない。

ところが「経営者」という「法律用語」は存在しないので、本来ならばカラオケ法理に則って、(私自身が出演者として演奏する場合は別にして)「演奏したのは出演者ではなく被告末吉である」ということを立証するべきなのである。
とにかく「末吉は経営者である」と立証したいJASRACは、私のTwitterアカウントを見つけて来て鬼の首を取ったようにこのような主張をして来た。

ーーーーー引用ここからーーーーー

「原告第2準備書面」p31
「livebarxyz(ファンキー末吉)」 というアカウント名 (甲19の1)は、被告末吉が自ら選択して取得したものであるところ、このアカウント名は「本件店舗= 被告末吉」という一体性を明示するものである。

ーーーーー引用ここまでーーーーー

Twitterをやっている人の中には、この自身のアドレスの後ろに「何日まで海外」とか、「最近落ち込んでいる」とか「近況」などを付け加える人も多い。
店舗などの店長や宣伝担当の中には「自分の名前のアドレス(店の名前)」などと「店用アドレス」を作る人も少なくない。

いずれもそれが店の経営者であること、ましてや「演奏者ではなくその人が演奏している」ということを表しているなどということは全くない。

またこのアドレスはもともと店のアカウントとして開設したもので、最初は店のスタッフである「ディオけん」をはじめ、みんな共用で使うためのものであったのが、店のスタッフがみんな自分のアカウントを作ってつぶやきだしたので、じゃあこのアカウントは末吉が使いますよということで(ファンキー末吉)を入れたのだ。

私は、店のスタッフがこのアカウントを使って書き込みをしているログを見つけて来てそれを反論として裁判所に提出した。

それがこのログである。

それに対するJASRACの反論を見た時に、私は思わずぷっと吹き出してしまった。

ーーーーー引用ここからーーーーー

「原告第5準備書面」p9ー10
乙37の同アカウントの一番下に記載されているツイートを参照すると、被告末吉は「文字放送もっとやれ―!!こら赤間 !!客に酒作る暇あったら俺のために文字放送しろ!!うりゃ―!!酔っ払い末吉」と書き込んで、従業員赤間に対し、ライブの様子を「文字放送」するよう業務指示をしている。このように,被告末吉が本件店舗の従業員に対する業務上の指揮命令権を有していることは明らかになっている。むしろ、乙37の同アカウントによるツイートは被告末吉が本件店舗の経営者であることを強く示すものである。

ーーーーー引用ここまでーーーーー

なぜぷっと吹き出してしまったかと言うと、私にはこれがまるで、幼稚園児が「違うもん違うもん」と駄々をこねるように感じてしまったのだ。

「Twitterアカウントがlivebarxyz(ファンキー末吉)であるから演奏者ではなく末吉が演奏している」
という理論だけでもかなり遠いのに、
「文字放送もっとやれ―!!こら赤間 !!客に酒作る暇あったら俺のために文字放送しろ!!うりゃ―!!酔っ払い末吉」
というのが業務指示だから「演奏者ではなく末吉が演奏している」という主張はあまりにも遠すぎやしないか?

いや、これってそもそも業務指示?・・・(笑)


裁判は終わり、残念ながら今回の裁判では
「ライブハウスにおいて演奏しているのは誰なのか」
ということについてはちゃんと議論されはしなかった。

箱バンの店とは違って基本的に自身のオリジナル楽曲を演奏する場合の多いライブハウスにおいて、出演者は果たして管理支配をされているのか。
「この曲の中から歌って下さい」と機材を与えて客に「歌わせている」カラオケ店と違って、その日の演奏曲目を知り得ないライブハウスの経営者は果たして「演奏している」と言っていいのか。
コンサートホールより大きなライブハウスもあり、飲食を売っているコンサートホールもあるのに、なぜコンサートホールなら侵害主体は演奏者で、全く同じ形態であってもライブハウスなら経営者が侵害主体にさせられてしまうのか。

次にライブハウスがJASRACに訴えられることがあったら、これらの「著作権の侵害主体」についてはもっとじっくりと論議する必要があると強く思う。

「カラオケ法理」をどんどん拡張してゆくJASRACの論理に関しては、多くの著作権学者が既にいろんな警告を鳴らし始めてているので最後に紹介しておこう。

 

【判例評釈】
飲食を提供するライブハウスにおいて演奏者が主催するライブ演奏の主体はライブハウスの経営者であるとして演奏権侵害が肯定された事例
知財高判平成28年10月19日(平成28年(ネ)10041号)Live Bar事件
東洋大学 法学部 安藤和宏

 

【鑑定意見書】
平成28年12月26日神戸大学大学院法学研究科教授 島並良

慶應義塾大学大学院法務研究科(法科大学院)教授奥邨弘司(おくむら こうじ)
Digital & Law 研究室
ライブハウスX.Y.Z.→A事件知財高裁判決について

「日本の音楽が危ない~JASRACとの死闘2862日」執筆中、こちらで発売支援をお願い致します。

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