度重なる戦争により、破壊された建物が残るガザ地区。今回は、昨年、今年と2年連続でガザでのビジネスコンテストの運営を担ったメンバーの岩田より、ガザの人が話してくれた戦争の経験を紹介します。
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—— 戦争中は皆、当時7歳だった弟でさえも、ただ死を祈った。
これは、私たちがガザの滞在中に、昨年の準優勝チーム・Sketch Engineeringのアマルとガーダ、そして日本での留学経験を持つリームとの食事の席で耳にした言葉です。
ガザで出会った人々のほとんどは、いつも笑顔でジョーク好きな明るい性格なだけに、一緒にいると、彼女たちが今までに体験してきた壮絶な過去をつい忘れそうになるくらいです。
そんな楽しい夕食の時間でも、ふとした瞬間に戦争中の経験を思い出し、私たちに話をしてくれました。
「戦争中、私たちはただ死を祈った。人々がアッラーにお願いしたことは、生きることよりも、安らかに死ぬことだった。当時7歳だった私の弟でさえも、負傷して苦しみながら生きるより、どうか痛みなく死ねますように、毎日そうお祈りをした」
「たとえ空爆前にイスラエル兵からの電話が来てもあえて電話をとらず、下手に避難しようとして負傷するより、自分らの慣れ親しんだ家で死ぬことを選んだ人もいた」
戦争中の彼らのこうした祈りや心情の背景の一つには、ガザでの医療サービスの問題がありました。特に戦争中は、ガザで利用可能な治療法は限られており、負傷しても回復するどころか、手術後の感染症などで悪化した例も多かったため、負傷すれば死よりも過酷な未来が待っている−そう考えたそうです。
「2008年に始まった戦争の初日に起きた出来事を、今でもまだ鮮明に覚えている」とアマルとガーダ。当時17歳だった彼女たちは、イスラエル軍が何時にどこに最初の爆弾を落としたのかまでも忘れられないと言います。
「それは2008年12 月27日午前11時半、多くの学生が行き来する大学のすぐ横だった。爆音とともに、突然目の前で木や車が空を飛んでいるのを見た。
その時私たちは、何が起きているのか分からなかった。だってこの出来事の数分までは、戦争を一度も経験したことのないただの学生だったから。
でもこれが、私たちの人生が180度変わり始めた瞬間だった」
いつもは私たちの前で弱音を全くはかない彼女たちも「あの時は、当時は本当に辛かった」と繰り返しました。
「でも不思議なことに、戦争中でもいいこともあった」とリームは言います。
「戦争中、人と人との距離が縮まって団結し、それまで以上にお互いを助けあい、励まし合うようになった。知り合い、他人関係なく、誰であろうと水、食料、電気、寝る場所、情報を共有し合って、共に悪夢を乗り切ろうと人々はひとつになっていた」
[ガザ市のシーフードレストランにて: 写真左 アマル、左奥 リーム、右奥 ガーダ]
ガザに来ると、絶えず耳にする厳しい生活環境とは対照的な、ガザの人々が持つパワーはどこから来るのだろうと常に考えさせられます。
それと同時に、目の前にある過酷な状況を生きるしかなくなった時、人はここまで強くなれるのだと、気付かされるばかりです。
彼らの人生や故郷への想いを諦めない姿勢を、私たちと共に応援していただけたらと思います。
引き続きご支援やシェアをよろしくお願いいたします!