ガザ現地に渡航した笹尾です。ガザでのビジネスコンテスト「Gaza Entrepreneur Challenge(GEC 2017)」開催より約一か月が経ちました。
帰国後は報告書作成や報告会準備を行ったり、日本側でサポートしてくれたガザビジメンバーや友人たちに経験を話したりしながら、ガザで見たもの、聞いたものを咀嚼してきました。今日は、私なりにガザでの5日間から感じたことを率直にお伝えします。長くなりますがお付き合いください。
大学時代は紛争解決学を学び、パレスチナ支援のNGOに関わりながらも、これまで一度もパレスチナ・イスラエルを訪れたことがありませんでした。もっと言えば、今回が初めての中東渡航。文献からの情報や人から聞いた話でのみ知っているパレスチナ世界に実際に足を運ぶことができるGEC 2017は、待ちに待った機会でした。
ガザは「天井のない監獄(Open-Air Prison)」と呼ばれることを、ご存知でしょうか。今回の渡航で、私はこの言葉の意味を肌で感じることになりました。
2017年3月、昨年度ビジネスコンテストの優勝/準優勝者として来日したマジッドとアマルとの出会いが、私にとって初めてのガザ出身の友達を持った瞬間でした。彼女たちの帰国は寂しかったけれど、半年後には私がガザを訪問して再会できる、そう思うとそれほど辛い別れとは思いませんでした。
今回、マジッドはアメリカで学ぶ機会に恵まれガザには不在でしたが、アマルとは半年ぶりの再会を果たすことができました。アマルは訪日の経験をプレゼンしてくれるなどGEC 2017を盛り上げてくれ、また日本から来た我々をこれ以上ない温かさでもてなしてくれました。アマルだけでなくGEC 2017を厚い協力体制で支えてくれた現地インキュベーターの方々などともとても親しくなり、新たな友達が沢山できました。
実は、ガザ渡航前、友人たちに「ガザってどんなところなの?危なくないの?」と聞かれる度、行ったことのない身でどのような回答をしていいか分からず、「去年も開催しているし、たぶん大丈夫」と曖昧な返事をしていました。正直、人々がどのような生活を送っているのか、本当に危険がないのか、心の底から理解しているとは言えない状態で、えいや!と飛び込んだ部分もあります。
そんな私を待っていたのは、至って「普通」の人々の生活。もちろん電力不足や紛争の影響など不自由が沢山あり、物的欠乏の中に置かれながらも一見我々と変わらぬ精神状態で生活していること自体が、彼らの奇跡的なresilienceを物語っているとも思います。
[カメラを向けたら、写真を取り合おうといった少年]
人々の関心や楽しみは日本に暮らす我々と変わらず、友達とアイスクリームを食べに出かけ、家族との団らんを楽しみにし、趣味の絵を描き、試験に向け勉強をする、そんな「普通」の生活が垣間見えました。それこそが私にとって大きな発見であり、滞在中、「なんだ、意外と普通だ」と安堵したのを覚えています。
一方で、ガザの人々と仲良くなるにつれ、「監獄」を感じるようになりました。
「次会えるのはいつだろう」という話になると、いつも外国で新たな友達ができると起こる「次は東京で待ってるよ、ぜひ来てよ!」という会話ができない。そんなこと絶対に言えない。彼らがガザから出ることはまず不可能であり、次に会うのはほぼ確実に、私がガザを再訪するときだから。
もちろんガザを再訪したいのでいいのだけれど、これではまるで、私が「面会」に来るみたいじゃない。そう思った瞬間ハッとし、背筋が寒くなりました。
ここはまさに、天井のない監獄。空は見える、けれども壁に囲まれ外には出られない。私はこれまで座学で学び、日本でプロジェクトに携わりながらもこの数年間、「天井のない監獄」の本当の意味に気がついていなかった。
だから、私は伝えたい。私がガザで見たもの、感じたものを。誰もが容易にガザに行ける情勢ではないからこそ、行く機会を掴んだ者の責任として。
11/2には報告会を予定しており、決まりましたら、ウェブサイトやFacebookでご案内しますので、ぜひお越しください。
長文になってしまいましたが、少しでも多くの方にガザとはなんなのか、我々がガザに足を運ぶ意味を知っていただきたいと思い今回の振り返りを書かせていただきました。キャンプファイヤはまもなく終了しますが私たちの挑戦は続きます。この挑戦が不要になる日を心待ちにしながら。
あと少し、応援をいただけるとうれしいです。