今回、ガザでのビジネスコンテストに参加した方の1人、キズキの安田さんからのメッセージをお届けします。
安田さんは学生時代からパレスチナに関わり、卒業後は起業し、中退不登校向けの塾などを経営してます。昨年に引続き、今年もビジネスコンテストのプログラムの一環で、現地の起業家に自身の経験を話していただいたりしました。
[写真は最終日、優勝チームECO HOMEやガザのパートナー団体との夕食会。右から2番目が安田さん。後方の真ん中に写っているのが昨年の準優勝チームSketchのメンバーのガーダとアマル]
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ガザに渡航した安田です。
今回は、昨年に引き続き、ビジネスコンテストに参加しました。
僕は大学時代に、本プロジェクト代表の上川路が立ち上げた「日本・イスラエル・パレスチナ学生会議」(イスラエル・パレスチナの学生たちを日本に招致する活動)に参加しました。
その時からパレスチナへの思いを強く持ち続けていましたが、大学卒業後は日本で起業し、今は教育・福祉関係の会社を経営しています。
けれども、このビジネスの経験が、少しでもガザの起業家たちの役に立てればと思い、2度目の参加となりました。
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ガザ到着初日、昨年夏の準優勝チームSketchのメンバーで、今年3月に日本に招致したアマルに街を案内してもらいました。
アマルは、昨年と比べて英語が流暢になっていました。
「初めてガザの外に出て、ちゃんと英語を使う機会があって、初めて人に伝えることが大事だと知ったわ。」
日本からの帰国後、映画を英語字幕で何度も見て単語や表現を増やした、と。
ガザという監獄の中で25年間生まれ育った若者が、ガザの外に1週間出るだけで、これだけ成長できるのだと知りました。世界における機会の不平等が優秀な若者の可能性を潰していることを、知りました。
その翌日、実際のビジネスコンテストが始まりました。まずは1次選考です。僕は審査員ではなかったものの、どんなビジネスプランが出てくるのか楽しみにしていました。
しかし実際には、あまりにプレゼンテーションのレベルが低く、戸惑いました。論理的に説明する力、審査基準を想像する力など、すべてが欠けていました。
「これでは、審査以前の段階だ・・・」
そのため、その日のプログラム終了後、僕は1チーム1チームを周り、「人に伝わるプレゼンテーションとは何か」レクチャーして回りました。
僕のアドバイスに対して、必死でメモを取る彼らの姿に手応えを感じながらも、
「翌日の最終選考で、良いチームを選べるのだろうか・・・」
不安が募りました。
そして翌日、最終選考でした。1次プレゼンを突破したチームのプレゼンを再度聞きました。
すると、どのチームもスライドをほぼ全て作り直していました。たった一晩の間で、10枚以上のスライドのほとんどを修正したのです。しかも彼らの母国語ではない英語で。
多分、ほぼ徹夜だったのではないかと思います。
一番熱心にスライド修正に取り組んだチームは、廃材から家具を作るチームでした。彼女らの最終プレゼンは素晴らしいものだったけれども、残念ながら彼女らは2位に終わり、優勝することはできませんでした。
けれども、彼女たちは僕に、とびっきりの笑顔で話しかけてくれました。
「日本にも行けないし、お金ももらえない。でもこのコンテストに参加して、本当に良かった。今まで知らなかったビジネスのことを、たくさん知ったわ。」
僕は起業家・経営者でありながらも、ビジネスそれ自体にはあまり価値を感じていません。便利な社会がより便利になったところで、人間の幸福はそれほど変わらないと思っているからです。
けれども、ガザでの起業支援は「普通のビジネス支援」とは決定的に異なります。
若年者失業率60%という仕事がないという絶望を希望に変えることができる。そして、我々外国人の支援によって「世界から見捨てられている」という悲しみも希望に変えることができる。
このプロジェクトは、確実にガザの若者たちに希望を与えています。
日本からは見えづらいかもしれませんが、多くのガザの若者たちが変わり始めていることは信じてください。