主催者の石川です。あらためて何でこんな事を開催しようと思ったのかを記録として残しておきます。
今年は東日本大震災から10年ということでPTAの行事では防災教育会をやったり、日ごろは機能別消防団に参加したりと比較的に防災への気持ちはあるほうです。それでも自分が防災の担い手として主体的に地域に関わってこなかったのは、地域に主体的に動いている諸先輩方がいたからかもしれません。
近所のおじいちゃん(同級生のお父さん)達が毎年お寺でやっている追悼イベント。これまでは「あー、毎年やってるな。えらいなー。」くらいにしか思っていませんでしたが、気仙沼でともしびプロジェクトをしている杉浦君が愛知に里帰りしていた2021年1月に命灯会の話があがり、こういカタチなら自分も携われるかもしれないという想いを持ちました。
しかし、共催させてもらうつもりだった追悼イベントはコロナ禍で中止。お寺として法要を執り行うのみとなり、もし開催するなら単独開催となりました。
東日本大震災に大きくかかわっていない自分が3.11をテーマにしたイベントを主催すること。イベントに協力してくれる人たちへの謝礼、本業との時間のやりくり、家族との時間が減ること…様々な葛藤があり、ギリギリまで悩んだ結果、自分が導きだしたのは「開催する」という選択でした。理由は大きく2つあります。
1つは、東日本大震災について知らない世代、これまで興味を持てなかった人たちへのメッセージです。
自分の娘はちょうど2011年生まれで東日本大震災の記憶はありません。私が戦争を知らない世代であるように彼女も戦争や震災は知らずに大人になっていく可能性があります。でも私は戦争のことを多少は知識として持っています。それは周りの大人たちがその記憶を伝える活動をしてくれていたから。だから私も記憶を残してくれた他の大人たちのように伝える活動をしようと思いました。
もう1つは、まちづくりのともしびを消さないということです。
イベント=まちづくりではありません。でもイベントを通じて伝えられる歴史や文化はまちをつくる人の心を育て、イベント関連の事業者への利益ももたらします。コロナ禍でこれまでと同じカタチで開催ができなくとも、これまで続いていたこの事業を新たなカタチでつなぎたいと思ったのが2つ目の理由です。
少しでもこの地域や私たちの暮らす日本が悲しみにつつまれた状態から明るく前を向いて進めるように変化をもたらすことができれば幸いです。ぜひご参加のほど、よろしくお願いします。
追記:康全寺の常夜灯
山門の左手に「西尾町道路元標」という立て看板と石柱があります。これは大正9年に各市町村の起点を示すものとして置かれたものだそうで、西尾町の県道や町道の原点を示す標識として、この場所が当時の西尾の中心だったことを示しています。
そして、道を行き交う人たちを照らすあかりとして常夜灯がありました。(画面左奥)今は常夜灯はなくなってしまいましたが、皆さんが進む未来へ向けて、あかりを照らせるようなイベントになれば幸いです。