「私の写真が展示されていました」
はじめてワークショップに参加したのは1998年です。 下手な日本語で通訳を担当しました。この写真は「笹の墓標展示館」に展示されていた当時のものです。 写真はご遺族から話しを聞いている平和な雰囲気ですが、実は最初に「聞き取りのために韓国と日本から来ました」と説明したとたん、おじいさんからすごく怒鳴られ “どうして日本人がここにいるんだ。君らは私たちが日本人からどんな事をされたのかも知らないのか。日本人は出て行け!” とすごく叱られました。
私はそれを通訳できず、涙だけぽろぽろと流していました。その遺族の心境は分かります。でも今まで何もしてこなかった私を含む韓国の若者は歓迎され、私の歳と同じ期間、ずっとこの問題のために努力してきた人たちは、日本人だという理由で悪口をいわれ拒否されるという矛盾をどうすればいいか分かりませんでした。
「笹の墓標展示館」には、この遺族がこのように怒りを表さなければいけなかった歴史が記録され、それに向かい合ってきた人々の足跡が残っています。文字で見る歴史ではなく、皮膚で感じる死んだ者、生きた者の歴史。それは巨大なる残酷な歴史に向って小さな私に何ができるかの問答を投げかけています。この一枚の写真がずっと展示されることを願う欲張り屋な私は、まだあの矛盾を解決できず問答に答え続けています。
東アジア共同ワークショップ韓国
朴辰淑(パクジンスク)