Yahoo!ニュース個人に下のような記事を書いてみました。 下記URLにあります。 https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20170729-00073878/ ※ 「モーニング」を出す高校内居場所カフェ~西成高校モーニングとなりカフェの試み ■ボーダーカフェの見学 大阪府立西成高校の「元祖」高校内居場所カフェである「となりカフェ」は今年で6年目になるのであるが、これまでの大阪府の委託事業という形態を離れ、ことしからついにNPOと高校の自主運営となった(名前も正確には「cozyとなりカフェ」と少し衣替え)。 となりカフェと高校内居場所カフェの取り組みや意図については当欄でも度々触れている(未来、群れ、変な大人~高校生居場所カフェほか「サードプレイス」論、高校居場所カフェに学校ソーシャルワーカーもいたりする「学校イノベーション」)。 一言でいうと、大きな目標としては「高校中退予防」であり、そこにぶら下がる行動指針としては、1.「『文化』の提供とシェアによる支援」と、2.「食事と(ネグレクトや経済的)虐待発見の貧困支援」の2つがある。 その2つは各居場所カフェのカラーによりバランスがとられており、たとえば神奈川県立田奈高校「ぴっかりカフェ」や大和東高校「ボーダーカフェ」は(いずれもNPO法人パノラマ運営田奈校図書室の中の週1カフェ「ぴっかりカフェ」運営ボランティアレポート)1.の色合いが大きい。 先日僕は大和東高校のボーダーカフェを見学してきたが(西成高校Y校長先生といっしょに大阪から訪ねた)、150人は超えるであろう生徒たちが次から次へとカフェ(大会議室にカフェ調で机を並べている)にやってきては手作りケーキや駄菓子を食べ、いろいろな種類のソフトドリンクをがんがん飲む光景は圧巻だった。 音楽もいきなりレッド・ツェッペリン「永遠の詩」が結構な音量でかかり、ツェッペリンマニアの僕は思わずテンションが上がった。 生徒さんも僕に向かって「大阪弁しゃべって~」とか「おおきにって言って~」と陽気に語りかけてくれ、急造ボランティアを引き受けた僕も、思わずドリンクやお菓子をどんどん振る舞ってしまう楽しさだった。 また隅っこのほうでイヤホンをして勉強する生徒さんの机に僕はお菓子をこっそり置いたりもしたのだが、イヤホンを外してニッコリ微笑んでくれたその表情も印象的だ。「逢魔が刻」(大島弓子『夏の終わりのト短調』)の高校生たちがもつ不思議な魅力に、僕自身すっかり励ましてもらい、どっちが支援者なのかわからない、あの独特のコミュニケーションがそこでも生じていた。 大和東高校ボーダーカフェでお手伝いする僕(ボーダーエプロンおじさん)大和東高校ボーダーカフェでお手伝いする僕(ボーダーエプロンおじさん)■cozyとなりカフェ ボーダーカフェやぴっかりカフェは毎回150~200名程度の生徒が「来店」し圧巻の賑わいを見せているのだが、これは高校内居場所カフェの2つの意味のうち1.「文化」の提供とシェアによる支援をメインとしたサービス提供であり、そこを基盤として高校中退予防を目指している。 このような居場所カフェが校内にありNPOの第三者が運営することで、そこに「サードプレイス」が生まれる。そのサードプレイスが生徒たちになぜか高校に留まり続けることを呼びかける。サードプレイスからの呼び声が、退屈で苦しい逢魔が刻に、別の風を迎え入れる。 西成高校のとなりカフェはどちらかといいうと、2.の貧困支援の意味合いも含まれる。これは西成高校だけではないのだが、こちらは150名も生徒はやってこないものの(部屋は20人も入ると超満員になる)、常連さんを中心に、常連さんに連れられてきた生徒、一人でぶらりとやってくる生徒、初めての生徒など多種多様だ。 クラスを楽しむ生徒もいるが、クラスではあまり「素の自分」を出せない生徒や、家庭環境が複雑で食事をあまりとれない生徒・着替えのない生徒・家がごちゃごちゃしていて帰りづらい生徒なども多く含まれる。そういう生徒は自分から「食べていない」とは訴えることはあまりなく、何気ない雑談のなかからポロッとこぼれ出る。 あるいは、二日前も今日もお昼を抜いているようで、友達から一口だけ分けてもらっていたりする。また、襟の汚れなどから着替えていないことなどが推察される。そうした日常のふるまいから生徒のリアルな日常に気づくのも、となりカフェの役割だ。 日本の貧困は「見えにくい」と専門家は指摘するが、たしかにそのとおりで、生徒のふるまいを表面的に見ているだけでは普通にスマホをいじっているし冗談も言うしでなかなかその生活の実態はつかみにくい。 居場所カフェのようなくつろいだ空間、cozyな空間で見せる何気ないふるまいや一言に、彼女ら彼らの「リアル」が凝縮されていたりする。ここでも「サードプレイスの力」は発揮される。 ■モーニングと光のある朝のとなりカフェ 諸事情で朝食を抜く生徒が、西成高校的高校では半数を占めるという。僕の知り合いの教師は、「高校で朝食を提供できないか」と長年考えてきたらしい。が、現実には、早朝出勤や業務過多や予算不足のため難しい。僕も、それ(朝食提供)は実は考えたことがなかった。 それが先日、僕の法人のあるスタッフが、「となりカフェでモーニングを出してみたい」と提案してきた。 最初僕はいつもどおり聞き流したものの(50歳を過ぎて集中力が落ちた)、よく考えると、「それってナイスアイデアではないか!」と気づいてしまった。そう、僕も知り合いの教師と同じく、その可能性は少しは考えるものの、現実には企画化さえしてこなかった。 だが、「モーニング」には、もちろん食事摂取(10代の身体には大切な朝食)の重要性は当たり前として、それに伴う様々な「文化」がある。トーストやコーヒーのいい香り、背景に流れる音楽、朝日のきらめき、眠いながらも「おはよう」と言ってしまう1日のコミュニケーションの始まり、それらが渾然一体となって「文化」を形成する。 そして、ある種の家庭(残念ながら貧困家庭に多いと思う)には、そうした「朝の文化」があまりない。文化がないと、それに付随するさまざまな価値の広がり(食事内容や音楽等)も経験できない。 おいしいトーストと気持ちのよい音楽、そして光、そのような空間すべてで1つの「支援」のかたちが形成されている。モーニングと光のある朝のとなりカフェは、何よりも強力なサードプレイスなのではないだろうか。 ■「高校内居場所カフェ2.0」の象徴 そこで、2学期のcozyとなりカフェはモーニングを試しにやってみることにした。「キャンプファイヤ」という団体が行なうクラウドファンディングにも初めて挑戦している(当欄での積極的PRは反則のような気もするのでここを参照ください→西成高校で2学期から「モーニングとなりカフェ」を始めたい!)。 早朝出勤や準備等、スタッフもたいへんだろうが(1回目は僕も行こうと思っている)、なんとか成功させてみたい。幸いにも校長先生はじめ教員の方々に応援いただいており、はじめはぼちぼちと、数名でも生徒が集まってもらえれば、そこでcozyな空間を提供してみたいと考えている。 まさにこれは「高校内居場所カフェ」が「2.0」の時代を迎えたことの象徴にもなるように思う。★