クラウドファンディングも残すところあと6日になりました!ここまで150人を超える方々から支援と温かいメッセージをいただいております。本当にありがとうございます!残り6日ですが、書籍の価格を安くするために引き続きご支援をお待ちしております。
さて今回は新たな企画が始動するため、お知らせいたします。
ハッシュタグ「#ハルモニの言葉」キャンペーン
「私たちのことを全世界の人々に知ってもらいたい」、
「希望をつかみ取って生きよう。
私は希望をつかみ取って生きている。私みたいにやってごらん」
日本軍性奴隷制問題を訴えていく過程で、平和のためにたたかう人権活動家となったハルモニたちは、私たちに多くの大切なことを伝えてくれました。
この企画は、私たちとみなさんでハルモニたちの記憶の輪を広げていくものです。ハルモニの語った言葉の中で心に残る言葉を一つ選び、動画や写真、文章にしていただきます。
クラウドファンディングはあと1週間で終わりますが、記憶し、正義を追求する活動はこれからも続いていくという思いから、今回の企画を考案しました。
※ハルモニとは、韓国語でおばあさんの意で、日本軍「慰安婦」被害者に尊敬と親しみの意味を込めてハルモニと呼んでいます。
参加方法は以下の通りです。
- ・ハルモニたちの言葉を一つ選ぶ(参考までに本ページ下部にハルモニの言葉を記載しておきます。)
- ・紙に選んだ言葉を書く
- ・選んだ言葉を紹介する短い動画を撮る
- ・SNS(Twitter, Facebook, Instagramなどなんでも)
- ・動画が難しい方は、写真でも文章投稿でもOK!顔が見えなくても大丈夫です。
- ・「#ハルモニの言葉」を投稿文章に書く
参考までに私たちも動画を作成したので見てみてください!
〜心に残るハルモニの言葉〜
宋神道さん(在日の「慰安婦」被害者)
「戦争は国のためじゃなくて、しないのは自分のためなんだから」
「人の心の一寸先は闇だから。人の心が信じられずに生きてきたんだよねえ。騙されてばかりいたからさあ。でも、裁判かけて、体験を話してから、ちっとは安心した。オレも少しは人間らしくなったよ。すっかりあか抜けたババアになっちまった」
「たとえ裁判に負けても、オレの心は負けてないから」
「政治家はみんな月給泥棒だ。海のかもめみたいに按配のいいとこばっかり食らってさ。日本の政治家のやること、へたくそなんだよ」
「戦争の時はお国のためって、日本人として引っ張って行って、戦争終わったら朝鮮人だの、慰安婦だのと、差別つけて、意味が取れないんだよね。だから裁判かけたんだよ」
「オレは命きたないから」※死にたくなくて必死に生き延びたことを宋神道さんはこう表現する。
姜徳景さん
「私たちのことを全世界の人々に知ってもらいたい」
「当事者が行動しなければ誰が感心を持ちますか。具合が悪くて休みたい時もあるけど、こんなふうに出てきて、思い切りスローガンを叫んで元気を出そうと頑張っているんです」
「日本は、ハルモニたちにお金をいくらか渡せばいいと思っているけど、とんでもない! 私たちハルモニは年も取っているし、身体も悪いけど、私たちは死ぬまで、全員死んで最後の1人が残った時まで日本政府と闘うから。私たちハルモニはそんなに簡単には死なない。長生きしますよ。もっとやりますよ。日本がそうさせたんだ、私たちを」
吉元玉さん
「死ぬまで傷が癒えることはありません」
「あの苦しい記憶、辛い記憶を一つ一つ胸に抱いてたら、今日まで生きることはできなかったでしょう」
「ある日、水曜デモに出てみたら、『あ、違うな、私が恥ずかしいんじゃなくて、日本政府が恥ずかしいと思わなければならないんだな』と思ったんです」
「私たちのために若い人たちがあんなふうに闘っているのに、当事者が隠れて生きる必要はない、一緒に闘おう、そう思って出てきたのが2002年だったと思います」
「学校で来てくれと言えば行くし、他のところでも行きます。今は私が恥ずかしいのではないと分かっているから。それに、私が言うことを日本政府が聞いていると思うから、ありのまま全部話します。そうしたら少し楽になりました。これを隠して、世の中に知られるかと秘密にしていた時には本当に大変でした」
「争いのない国、戦争のない国をつくりたくて、具合が悪くても出掛けていきます。死ぬまで傷が癒えることはありません。せめて真実を明かしてほしい。日本政府に良心があるなら、今からでも恨(ハン)を解いてくれなきゃいけないんじゃないでしょうか」
金福童さん
「希望をつかみ取って生きよう。私は希望をつかみ取って生きている。私みたいにやってごらん」※死の1ヵ月前の言葉。
「今、私たちは夜中に具合が悪くなったら病院に行けるくらい、皆さんのおかげで楽に暮らしています。なのに勘違いな政府が(和解癒し)財団をつくると言う。私たちがいつまで生きると思ってるの。朴正熙大統領の時には血まみれになって死んだ人の命の代金でセマウル運動をしたと思ったら、その娘は、ハルモニたちの命の代金でもなく、ハルモニたちを売り飛ばして金をもらって政府で財団をつくると言う。そんな財団なしで私たちは今日まで生きてきました。だから私たちは財団には絶対的に反対だし、私たちの後ろには国民がいる。国民の皆さんが最後まで、私たちが解決する時まで、一緒に闘ってくださったら有り難いです」
金学順さん
「いつかは明かされるべき歴史的事実だから打ち明けることにしました」
※金学順さんは1991年8月14日、韓国で初めて記者会見の場で自身が日本軍「慰安婦」被害者であることを公にしました。
「いつかはこの事実を明かそうと、いつも思ってきました。テレビで日章旗を見ただけで胸がざわついて、挺身隊の挺の字を聞いただけでも息が詰まるので、恨(ハン)を解きたかったのです。私の青春を返してください」
「私が誇ることもできない過去を暴露したのは幾ばくかのお金をもらうためではありません。日本で国民基金を集めるくらい誠意を見せてるんだからほどほどにしておけばいいのに、どうして粘るのだといわんばかりの日本側の見方は、本当に我慢できません」
黄錦周さん
「私はもう死んでも悔いは無いけど、歴史歪曲だけは絶対にダメ」
「歴史に何を残す気なの? 私たちが全員死んだらどうするつもりなの? 死ぬほど詫びても足りないくらいなのに、こんなだから、私たちは悔しくて悲しくて生きていけない」