初めての投稿になります。
映像プロダクションSTUDIO IKKIの岡本と申します。
今回の『魲ムラマリ首園』では、主に映像演出として参加させていただいています。
これまでマサ首さんとは、KUBISMのPVを作らせていただいたり、
昨年末に原宿で開催した「KUBICOLLECTION」においては、企画から設営、廃地愛IKKI首名義でのコラボ作品を作るなど、共同制作という形で一緒に個展をやらせていただきました。
万里絵さんとは信州新町美術館の展覧会に行かせていただいたり、年内に予定している個展の企画プロデュースとして作品選定から入らせていただいたりと日々お世話になっています。
早速ですが今回はマリ首園絶対に面白いです!というお話しと、僕なりの見所をご紹介させてください。
《面白プロジェクト・マリ首園》
阿呆みたいな見出しで恐縮ですが、マリ首園は完全なる面白プロジェクトだと思っています。
マサ首さんの作品も万里絵さんの作品も初めて拝見した時はよく解らなかったですが、
表現としての凄味だけはヒリヒリと感じました。
例えば偶然喫茶店で耳にした音楽に、
歌詞の内容とかメロディーの秀逸さとか時代背景における革新性その他諸々、
そんなこと何一つ解り得なくとも激しく感覚を揺さぶられる体験はあるように、
お二人の作品の前に立つと理性による判然とした理解は何一つ無いのですが
今までに感じたことのない世界線に触れる新鮮さと興奮がありました。
ちなみにその後お酒の席などでマサ首さんに作品のテーマ性を聞いたときは
「これは俺がもし少女趣味だったらということを考えながら…云々」ということをおっしゃっていたり、
万里絵さんに連続して登場するモチーフの意味を聞いてみた時は
「何か気になるから描いちゃいます」とおっしゃっていたりと、結局今も具体的なものが僕の中で明晰になっているわけでは無いです(笑)
けれど注釈も解説も技法もテーマも思想も何も知ったこっちゃない次元からでもお二人の作品は楽しむことができる。それは作品自体が独立した表現としての魅力を展開しているからだと思います。
そして、それだけ力をもった作品群が一堂に会するマリ首園。
こんな面白いアートプロジェクトは中々ないはずだ!と思うわけです。
《個展における空間性》
何か論文の副題みたいでしんどいですが、、
堅苦しい話ではなくて僕が思うマリ首園の見所を最後にちょっとだけお話しさせてください!
以前、長野の某ハードオフにマサ首さんの版画(石版式のリトグラフ)が置かれているという衝撃事件を目の当たりにしました(笑)
雑多なリサイクル品の陳列棚に埋もれ、マサ首さんの作品は魅力を極限まで削ぎ落とされていました。
でも仮にリサイクルショップで個展開いてくださいという企画があれば、見せ方次第で作品を活かすことはできるとも思います。立派な美術館で展示されていようがキュレーター次第で名作が死んでしまうこともあるように、作品はそれ単体としてもちろん存在感を発揮しますが、同時にそれを取り巻く空間の具合をどうするかによってその魅力は増幅されたり希薄になったりもするものです。
マサ首さんが掲げる「表現一個体的空間」という考えは、そういった作品を取り巻く空間をいかにキュレーションするかという観点に対しての試みも強く感じる言葉だなと思います。
そういった意味でも、動物園!? 植物園!? マリ首園!?
まず改めて何ですか!? その角度のコンセプト(笑)
もう既に面白過ぎます。
しかもそこにあるのは目に優しい植物でもなければ、馴染みの癒し動物たちでもない。
得体の知れない珍獣・珍種のマリ首ワールド。
この年、長野で、FLATFILE SLASHで、
今の「魲ムラマリ首」にしか生み出せない全表現を、どうぞお楽しみに!