支援者の皆様、大変お世話になっております。
さて、今日の画像は法華寺跡です。
三成、秀吉、出会いの地と看板が掲げてありますが、あくまで一説として心に留めおいてくださいませ。
ある寺の小姓、としか書かれていなかった文献しか残っておりません。ここだったんじゃないか?程度のものです。
まあ、与次郎という幼なじみもいらしたことですし、訪れてこられたことはあったのでしょうね。与次郎はこの寺の寺男をしておりましたし。
この寺は、己高山鶏足寺という本山の下に別院として存在した寺です。
イメージでは、浄土真宗で言うところの東本願寺があって、旧長浜市内にある大通寺御坊さんと同じような位置づけの寺です。
その下に、里寺の竜泉寺があって、
鶏足寺→法華寺→竜泉寺
という系列と考えていただければ、それが近いと思います。
記録では、真言宗となっておりますが、鶏足寺は何度も宗派を変えては蘇っておりますので断言はできず、天台宗だった時もあるようです。
この、法華寺は、今は山の斜面に石垣と坊が建っていた土地のみ残し、完全なる跡地です。
最上段の本堂の左下の平地に三珠院があり、そこに三成が頼った老院の善説がおられました。
法華寺は、聞きそびれたのですが大正、もしくは昭和初期までは住職がおられたらしいのですが、この方が少々問題のある方だったようで、贅沢三昧して借金で倒れ、土地を売り払ってしまい、事実上の廃寺となりました。
そういうわけで、坊の跡地は林業のための杉畑となっており、今は林です。
本堂の跡は手入れされて小さな神社の祠と東屋が作られておりまして、当時を偲ぶことができるのは、お城跡にも負けない立派な石垣です。
面が反るようにして自然石を綺麗に積み上げた石垣は、何百年という年月を目の当たりにさせてくれます。
若干崩れ始めているのが心配ですが、今はまだ形を留めておりますので、十分に見られます。
さて、本堂の左下の三珠院跡は、杉林で少し湿った湿地のようになっていますが、ここの奥辺りに三成公のお母様、瑞岳院の宝篋印塔が、名前が彫られた面を後ろ向きにして置かれていたそうで、それを與志漏神社近くの戸岩寺近くに移されました。
今は己高閣という収蔵庫に大切に安置されております。
今は疫病の流行で案内所が休まれ、収蔵庫は厳重に閉じられてしまっていますが、世の中が落ち着きましたらお参りいただきたいです。
あ、法華寺は、1人で安易に行かないでくださいね!
山寺ですから、猿や鹿やイノシシ、何より熊が怖いので、複数名、もしくは保存会の方の案内にて安全にお越しになることをおすすめします。