2021/05/18 20:00

 マリアは仙台歴史博物館で支倉常長を描いた絵を観た。

 アカプルコに着き、イスパニア総督に表敬訪問する際の煌びやかな衣装の油絵。支倉は

家来にも同様の衣装を着せ街中を闊歩した。白の絹地の着物と羽織袴。これだけでも派手。

羽織の袖と裾には幅のある紅色が彩どられている。羽織の背中は濃紺。裾から背中には黄

色のギザギザが伸びていた。新選組の羽織の背中のギザギザに似ている。逆だ。常長の羽

織のデザインを新選組が真似たのだ。紅色が太陽。濃紺は闇。ギザギザは闇に喰い込む陽

の光。着物には胸元から下に続く刺繍。竹の葉。鹿。猪。それらの色に合わせた脇差が二

本。丁髷と草履のサムライの衣装としては奇異ではあるが派手と云うより絢爛豪華が妥当。

何れにせよ伊達男の面目躍如。                                                  

「この絵が伊達男のルーツ。わたしには珍妙に見えるけれどスペイン人は随分と驚いたと

思う。スペインには絹が無かった。シルクロードで僅かに運ばれていた時代に色鮮やかな

絹の着物の立派な正装には仰天したと思う。この絵は伊達男の語源のひとつですか…」

「スペインでの衣装は語源ではないけれど伊達藩のサムライの行動様式のひとつ。それが

語源。スペインでも日本と同じ様に振る舞っていたのが伊達男たちの凄い処だ」

 マリアの質問が始まった。

「仙台で建造された船なのにスペイン語の名前が付けられている。どうしてなんだろう」

「俺も不思議なんだ。政宗号とか伊達丸が筋だ。当時の日本にはガレリン船の造船技術が

なかった。それにこれだけの船を四五日で完成させるのは無理。宣教師ソテロを始めとし

たスペイン人の力が必要だった。スペインまでの航海にもスペイン人の船乗りの助けが欠

かせなかった。日本人はスペインまでの海路が分からなかったんだ。それと通商を可能に

するにはフィリッペ三世からのお墨付きが要る。国王への敬意を船名で表したのでは…。

おそらくソテロからの進言を政宗は受け入れた」

「海彦。サン・ファン・バティスタは洗礼者の聖ヨハネなんだよ」

「えっ。知らなかった。これは自慢できる」

「政宗はどうしてスペインとの貿易の独占を望んだのだろう…」

「政宗は戦国の武将。強い者に付いても何時か支配の頂点に立つ野心があった」

「政宗は怖い」

「家康が戦国を終わらせた。これからは武力の時代ではない。富の力が世の中を席捲する

と政宗は考えた。富を生むのは米と銭。徳川を凌ぐ富を手に入れたら世の中が変わると」

「政宗の野心で嘉蔵はスペインに来たんだ」

「そうだよ」

「海彦は伊達男の意味を三つ教えてくれた。ひとつは勇敢に戦う伊達藩のサムライ。政宗

の像にそれが在った。支倉はひときわ目立つ衣装。これは洒落者。ふたつは分かった。侠

気とは弱い者を助ける。そうだよね」

「うん」

「侠気には他に頼まれたら断らないと言う意味はないの」

「ある。あるよ」

「これで分かった。伊達男とは、支倉のように舞台衣装のような目立つ格好で現れ、周囲

を驚かせ、楽しませる。そして勇敢に戦う。嘉蔵は侠気の男伊達なんだ」

「マリア。よく辿り着いたね」

「海彦のオカゲ」

「政宗は奥州には我ありと全国に知らしめたんだ。天下統一に向けた野心が、そうさせた。

とにかくイヴェントやセレモニーで家来に派手な誰もまとったこのない豪華な衣装を着せ

た。自分もそうした。伊達藩のサムライは強いと思われていたから、それと重なって旗本

や江戸詰めのサムライ、町人にも、強くて格好良いのが、伊達男と呼ばれたんだ」

「それで伊達男が日本語として今に残ったんだ。日本語は難しい。言葉に歴史がある。ひ

とつの言葉に三つも意味がある。それに単語を置き換えると意味が変わる」

「言葉は慣れ。慣れながら疑問を解いてゆく。その繰り返しさ。俺はスペイン語をまった

く使えない。スペイン語を懸命に勉強してもマリアの日本語には遠く及ばない」


 海彦は急いで家に戻った。祝宴準備は大変。彩は志乃と静の料理を手伝っている。彩も

気合が入っていた。気合が入るとすべてを仕切ろうとする。それが海彦への命令になる。

「お膳と食器と座布団を蔵から出して。落として割らないように。それから寝具一式も。

寝具は仏間に置いて蒲団袋から出すのよ」

 海彦は…今日だけは…と言い聞かせて我慢した。

 盆・正月・法事には本家に人が集まる。その時の人数の多さと、志乃と静の奮闘ぶりは

何時ものこと。三の膳まで整えなければならない。食器も沢山。大皿から中皿、小皿。小

鉢や碗、刺身用の舟などなど。漆塗りの箸と根付を思わせる箸置きまで。

 ビール・日本酒・ジュース・茶・水は特大の保冷庫に必要分を入れて置く。

蔵から出した食器を丁寧に洗い、布巾を何枚も使って綺麗に拭く。これらが海彦の役目。

 もてなしの茶を入れ、盆で運ぶのは彩。茶器も蔵に在った。

 瀧上家では仕出しを頼まない。志乃と静が前日から腕によりをかける。普段は使わない

調理場と竈は離れにあった。茶碗蒸しひとつ取っても人数分よりも多く作り、不意の来客

に備える。今夜は赤飯だった。竈の巨釜に載せた蒸籠から湯気が昇っていた。煮炊きはプ

ロパンガス。コンロが三つ。鍋も大きい。豚肉入りの芋煮。味つけは仙台味噌。焼き魚は

炭を熾してバーべキューコンロで外。

 今夜は鯛。三匹を魚屋が昼に届けてくれた。二匹が御頭付き舟盛りの刺身。舟も蔵に。

刺身は静。鯛を三枚に下ろし、アラと皮付きの身を取り分け、鉄串に身を差し、持ち上げ、

皮に熱湯をかける。皮は縮む。柔らかくなる。同時に皮の臭みを消した。

「これが湯引き」と彩に要領を教えている。湯引きされた皮と身を丁寧に切り、舟に盛り

付けてゆく。ふたつの舟には大根の妻の上に大葉が敷かれていた。。

 静はアラを捨てない。昨夜からの昆布の出し汁でお澄ましを作る。この三つ葉入りのお

澄ましは絶品だった。静の自慢料理のひとつ。残りの一匹は海之進が鉄串を差し込み焼く。

「盆と正月が一緒に来た」と静が言った。

 

 鯛三匹は海彦にとって初めてだった。本当に今日は我家にとって晴れの日なんだ。

 瀧上家の離れの風呂は大きい。大人二人が手足を伸ばして湯舟に浸かれる。竈も風呂も

薪。一昨日の午前中に海彦は、海之進と、これでもかと云う量の薪を割った。

 離れの風呂洗いと焚きは海彦の係り。彩は宴の給仕を受け持つ。瀧上家は人を頼まない。

 海彦は蔵出しの手伝いをマリアに頼んだ。

 マリアは蔵の中を珍しそうにキョロキョロ。

 海彦にはその仕草が可笑しかった。最後の蔵出しを終えて扉を閉めようと戻って来るとマ

リアが棚に置かれた、麻の白紐で結ばれた、家紋入りの黒漆の長箱を、見つめていた。

 瀧上家の紋は円く描かれた仙台笹の中に一羽の隼。金箔の細工であった。

「これはナニ。とても大切な箱に見える」

「家系図が入っているんだ」

「家系図って先祖を辿っていけるんでしょう」

「そうだよ」

「わたしの家には無い」

 海彦は白紐を解き箱を開いた。箱の中には黒檀で造られた文鎮が納められていた。

「ちょっと待って。軍手を持ってくる」

 海彦は文鎮を家系図の始まりの右に置いた。

「ここが嘉蔵。代々、繋がっているのが分かるだろう」

「質問。どうして嘉蔵から始まっているの。それと海彦の名前が無いのはどうして」

「爺ちゃんも父さんも記されていないだろう」

「そうだね」

「家系図には天命を遂げてから名前を書き入れるんだ。だからまだ名が無い。我家にはふ

たつの家系図がある。嘉蔵以前と以後。これは以後の方。以前のは探さなければならない。

嘉蔵が戻って来なかった哀しみと一族の苦難がふたつになった。哀しみと苦難はあったけ

れど、我家が今、在るのは嘉蔵からだと、みんな、想っているんだ。俺もそう」

「わたしのお父さんが日本に行って帰って来ない。連絡も取れない。そうなったら哀しい。

そして生きてゆくのが大変。嘉蔵が戻って来なかったから、一族は強く結びついて、力を

合わせ、未来を切り拓き、今が在る。間違っている…」

「間違っていない。俺は嘉蔵よりも蔵之介が偉いと思っている」

「嘉蔵は昔のわたしの村に実りをもたらした。そのお陰で、みんな、今も幸せに暮らして

いる。蔵之介の孫から『海』が付く名前が繋がっているのはどうして」

 マリアは家系図に記されている数々の『海』を指でなぞった。家系図に触れないように

なぞった。そして『海』を数えた。『海』は四七も在った。

「嘉蔵は海の向こうの遠い国で生きた。海を越えなければ嘉蔵の処には行けないから」

「海彦は今に生きていても四百年前の嘉蔵を想っている。私も嘉蔵を忘れなかったから伊

達さんに手紙を書いた。そして海彦から手紙が来た。伊達男を上手に説明してくれた。強

い矜りを表わす男伊達も教えてくれた。わたし。やっぱり普通ではない何かが嘉蔵を帰さ

なかったんだと思う」

「俺は残された蔵之介とそれからの代々を聞かされて育った。だから嘉蔵を偉大と思って

も何時しか尊敬できなくなった。マリアは違う。心の奥底から嘉蔵を尊敬している。俺に

違和感が在ったのは確か。蔵之介の不屈が無かったら今の俺も無い」

 マリアの顔が曇った。

「何度も嘉蔵を尊敬できないと言われると辛い。わたし。悲しい。帰りたくなる。海彦に

教えられるまで蔵之介を知らなかった。蔵之介の不屈を知りたい。滝上家のみんなは嘉蔵

の偉大と蔵之介の不屈を胸に刻んで生きてきたんだ。それが海彦の矜りなんだ」

「そうだと思う。嘉蔵不帰還の謎を解き明かしたいと思っているのは爺ちゃんも父さんも

同じだ。『これぞ誠の男伊達』と宣言した嘉蔵の胸の裡を俺は知りたい」

「嘉蔵を決定した普通ではない何かとは何だろうね」

 マリアが言った「普通ではない何か」。

 海彦には今までこの着眼がなかった。

「何が在ったのだろう…」

「海彦。やっぱり。スペインに来ないと駄目だね」

「そうかも知れない」

…そうだ。スペインに行こう…

 行ったなら閉塞している謎への手掛かりが掴めるかも。

 この時、海彦は、初めて、嘉蔵に、感謝した。

 マリアと出逢えたのは紛れもなく嘉蔵だった。

 スペインに行ったならマリアとまた逢える。