『未来探検隊』HPの『問い合わせ』にメールが一通寄せられて
いた。無視できない内容だった。
―『未来探検隊』のHPを拝見。私どもは昨年の秋に同じく『未来
探検隊』のサイトを立ち上げ今日に至っております。貴殿の会と名
前が重複しており、これは困った、何とかしないと混乱は避けられ
ないと思いメールした次第であります。私どもの方が約一年早く七
名の結束の証しとして命名しましたが、あいにく商標登録などの排
他的な手続きを踏んでおりません。私どもは貴会との話し合いを望
んでおります。事務局は狸小路六丁目の『Casablanca』。
私は事務局を預かっている岸部実(みのり)と申します。都合の良
い日時を指定して来店下さるなら幸いです―
…思いもかけないことが起きてしまった…
氷空ゆめはもうひとつの『未来探検隊』を検索して開いた。
ー七人の侍が未来を造るー
Topにこう書かれていた。七人は『Over六九age』だっ
た。活動内容は書かれていない。それぞれの名前と写真とが載って
いた。写真を見ると氷空ゆめが知っているOver六九ageの風
貌とは違った。お爺さんであっても若々しい。今を生きている。顔
の皺が深くても、髪の毛が薄くて、ハゲていても表情が輝いている。
眼に力があった。そして衣装も派手でオリジナリティに溢れている。
五〇代後半と言われたら信じてしまいそう。
…この人たちは只者ではない…
七人のそれぞれのページの最後には『印象に残った出来事』。
氷空ゆめは誰をクリックするのか迷った。
迷った挙句、顔と衣装で決めた。
堂々としていて、皺が深くて渋い。浅田真央のスワンがプリント
されているトレーナーを得意そうに着ている、剽軽そうで、強面で
不可思議なお爺さんをクリックした。
■ 『仁義なき戦い(完結篇)』(坂下猛)
『仁義なき戦い(完結篇)』(一九七四年)の北小路欣也。
対立する組長を獲り、逃げる鉄砲玉の北小路欣也。追手は組長を
獲られた組員と警察。警察は発砲しない限り殺しはしないがヤクザ
は命を狙う。サツに捕まる前に片付けようと追って来る。ヤクザの
追手に囲まれ、死を覚悟した刹那に、壊れた水道管の蛇口から水が、
ポタッポタッ、と落ちていた。それを口で受け止める北小路欣也。
逃げ込んだ廃墟と化した工場にパトカーのサイレンが近づて来た。
外から物音が聞こえた。追手は直ぐそこ。
これ以上の迫真を観たことがない。
俺と北小路欣也が重なった。二七歳の時だった。
俺は鉄砲玉の一人だった。正確には鉄砲玉の頭。兄貴から二名を
確保しろと命じられていた。二名分の六百万円が渡されていた。確
保できなければお前が鉄砲玉。そう言い含められていた。二名を確
保した。盛り場には金を欲しがっている不良が必ず居る。あとは兄
貴からの指示を待つだけ。指示が下ると、ピストルの撃ち方を教え、
標的の写真を見せ、標的の行動を知らせる。それから捕まった時の
因果を言い含め、最後に手付として半分の金を渡す。残りの半分は
結果次第。兄貴からの指示が下される頃合いだった。
深夜映画で『仁義なき戦い』の全篇五本が上映されていた。緊張
のクライマックスの後には直ちに東映の波がドド~ンと岩を越えて
向かってきた。休むのを許さない劇場。
この映画を観てから俺はヤクザを辞めようと思った。辞めるなら
人を殺す前の今のうちだった。人殺しが嫌だったのではない。殺さ
れるのが恐かったのでもない。生きながらえての長いムショ暮らし
も想定内だった。ヤクザは無鉄砲で命知らず。一般人にこう想われ
ているから生業が立つ。ヤクザ同士で争うのはシノギがすべて。シ
マの分捕り合戦は領地の奪い合いに似ている。『仁義なき戦い』と
は下克上。シマの分捕り合戦に勝ったところでシマで商いする領民
に慕われたりしない。まして敬愛されることは間違ってもない。シ
マで商いする者達の関心事はみかじめ料の支払先と謂わば年貢の多
寡のみ。嫌われ者でしかない。相場は月三万円ほど。
ヤクザ同士の争いは殺られたら殺り返す。これだけだ。殺られて
殺り返さないと舐められる。その通りだ。しかし大儀がない。双方
が疲れ果てるまで殺し合いは続く。疲れた頃に仲裁者が現れ、手打
ちとなる。仲裁者とは争っている双方と利害が重ならない何処かの
組の親分。この親分の魂胆は手打ちの後に、あわよくば、どちらか
の組を自分の傘下に組み入れる。組み込んだならば上納金が入る。
入ると組の勢力が増す。こうして山口組系は日本最大の組になった。
やはり大儀がなければ命を張れない。
『仁義なき戦い』の全五篇ではシマに君臨する親分は次々と鉄砲玉
に獲られた。子分も金を積まれた時には親分を裏切る。昨日までの
親分を獲ったりする。これぞ下克上。映画は大儀がない殺し合いの
内実を教えてくれた。ヤクザにも仁義がある。古参の子分が親分の
命令で玉を獲ると手付と成功報酬を得た古参はたいがい自首する。
ムショは最も安全な処でもある。それに自首すると法定刑が半分に
なる。模範囚として刑期を務めるならば、早ければ五年で娑婆に出
られる。その期間古参の家族は生活が保証される。それは安くない。
五年で二千万円を越える勘定。それで鉄砲玉が用意される。鉄砲玉
は若者。家族が居ないの鉄砲玉。玉を獲れば出世できると言われ、
支度金を渡される。相場は成功報酬を含め三百万円。古参の者への
報酬と家族の生活保証を考えたならば著しく安い。
俺は大儀がない殺しを成し遂げ、何時か親分になったとして、首
を獲られるのが定めと悟った。北小路欣也のポタッポタッで決心し
た。足を洗う。足を洗うのは未だ何もやっていない今だ。綺麗ごと
では済まされない。今は戦さ場からの離脱だ。袋叩きにされ、八つ
裂きにされる。ヤクザの見せしめは敗戦前の特高と変わらない。小
林多喜二は五寸釘をこめかみに打ち込まれ殺された。竹刀で頭と顔
面を叩かれ、腹部を何度も蹴り上げられ、両指に鉛筆を挟み込まれ
万力で締め上げられた。気を喪った時には五寸釘。
六百万円を兄貴に戻さなければ確実に殺られる。戻しても危うい。
ならば逃げる他ない。俺は横須賀に居た。逃げる先を考えた。追手
が来ない処。来たとしても、先に発見して逃げられる処。ヤクザは
寒い処が嫌いだ。結論はアラスカだった。俺は兄貴の他人名義の銀
行口座に六百万円を払い込み、その足で羽田に向かった。
俺の所持金の残りは五百万円と少し。日本で逃げるなら切り詰め
ても一年で無くなる。アンカレッジ空港に着いた。俺はイヌイット
の村を訪ねると決めていた。向かう先はバロー。アラスカの最北端。
北緯七一度十八分。もちろん北極圏。アンカレッジからは直線で百
三〇キロ。バローには四千人以上が暮らしていた。飛行場も郵便局
も在った。バローは便利だけれど追手が来た時に直ぐに見つけられ
ない。バローから北へ七キロ歩くとノースと云う村が在った。人口
五三人。一〇世帯。俺は此処に決めた。
長老に日本での訳を話し、所持金のすべて渡し、頼み込んだ。英
会話は得意ではなかった。必死の英作文。バロー行きの飛行機から
見下ろすと、追手は此処まで来ないと確信した。寒いだけではない。
人間が住む地球の最北端。まさに辺境中の辺境。ヤクザは辺境に関
心がない。歓楽街のない田舎にヤクザは住まない。生業が立たない。
だから田舎にヤクザは居ない。まして辺境中の辺境のノースに俺が
逃げたとは誰も想わない。
「同じモンゴロイド」と長老が言った。
その夜村人たちが集まった。長老は俺が見ている前で俺が渡した
五百万円の半分の二万ドルを村人に均等に分けた。
村人は俺に深々と頭を下げ礼を言った。
「私の家に住み、一日も早く、村の一員に認めてもらえるよう頑張
りなさい」と長老は優しかった。
俺はジョニーと名乗った。組での通称は「タケシ」だった。誰も
俺の苗字を知らない。組に入るのに戸籍謄本も住民票も要らない。
マイナンバーも当然不要。運転免許証も提示の義務がない。親分へ
の忠誠を誓い、若者頭の兄貴の推薦があれば盃を交せる。
長老にパスポートを差し出した。彼は開かずに「此処ではパスポ
ートは何の意味もない。男の仕事は狩り。カヤックと犬ぞりを子供
たちと練習しなさい。狩りの腕を上げないと一人前と認めてもらえ
ない」。
村での暮らしは俺には何もかもが新鮮だった。
助け合って生きるとは弱い者の情けない姿としか考えなかった。
ここでは違った。強い者は人では無かった。自然が最強だった。人
の力はちっぽけと思い知らされた。夏は太陽が沈まない。秋から春
までは太陽が顔を見せない。真冬になると最高気温がマイナス十五
度。最低気温は計り知れない。少しでも雪が降るとホワイトアウト。
外に出てはいけないと子供から厳しく注意された。方角を見失い家
の一〇M手前で凍死した例もあると言われた。狭い日本で体力と剛
力、度胸がすべてであった自分が小さく見えた。
村人は自然の恵みを分かち合って生きている。それが定めであり
掟だった。それが此処での暮らしの合理性と気づいた。此処は野菜
が育たない。畑が無いツンドラ。ビタミンはアザラシ他の海獣の生
肉と内臓から摂取する。他に手段はない。アザラシ一頭で五〇人の
村人は三日の間、腹を空かせない。此処は採集生活の村。アメリカ
の保護区。イヌイットは制約があっても先住民族として保護されて
いる。制約とは主に捕獲する海獣の数。
週に一度、アメリカ空軍のヘリが生活物資を届けてくれる。悪天
候が続く冬は一ケ月も来ない。それでも村人は平気。食料とガソリ
ンの備蓄は秋にひと冬分を蓄えている。それに此処は天然ガスが吹
き出していた。暖房は天然ガス。保護区故に無料だった。ヘリが飛
んで来なくとも生活できる。それがイヌイットの伝統。ノースの海
には一角鯨は来ない。ザトウ鯨は年間二頭まで。しかし村人はザト
ウ鯨を狙わない。大き過ぎて仕留めたとして解体や運搬が困難と言
う。もっぱらミンクとバンドウを狙う。これらは年間各五頭まで。
村の採集生活は豊かだった。夏から秋にはキングサーモンが折り
重なって川を上る。それを灰色熊の邪魔をしないように獲る。鱒も
魚体がデカイ。網では獲らない。銛。春には日本では見られなくな
ったカラフト鰊が浜に押し寄せる。鰊は刺し網。キャペリンが浅瀬
の底から盛り上がる。それを子供たちがカヤックに乗りタモで掬う。
ヒラメもオヒョウもとにかくデガイ。カヤックから海を覗くと底に
折り重なっている。餌を付けなくても釣り針にかかる。ウニも大き
い。味は日本と変わらない。村人に刺身を伝えた。バローのスーパ
ーに醤油は在った。ワサビが無かったのが残念。カリブーも群れを
成して村を横切る。村人への割り当ては年間二〇頭。狼も居る。そ
れらの恵みを村人は分け合う。食べ切れないほどの量が自然の恵み
だった。保存食に加工。商品化する。そして貯蔵。俺にも好物がで
きた。鯨のベーコン。絶品だった。
俺は子供たちにチャンバラと日本の童謡を教えた。イヌイットの
子供たちは犬を操るのが上手い。それもそのはずヨチヨチ歩きの時
からエスキモー犬の背中に乗って遊んでいる。
俺は射撃を褒められた。二年目の春にミンク鯨の耳を一発で打ち
抜いた。長老のライフルだった。口径が大きい鯨用だった。その時
から子供たちは俺を尊敬した。ミンク鯨一頭で村人はのんびりと一
ケ月も暮らせる。必要な栄養も充分に摂れた。外は厳寒であっても
部屋の中は温かかった。どの家にも天然ガスのペチカが在った。
オーロラは知っていた。現象の科学的解析も知っていた。しかし
知識と本物は違った。冬の晴れた夜には必ず現れる。赤・黄・緑色
が中空に揺れる。予測できない動き。不規則を見仰げていると不思
議な気分になった。これは神秘ではない。神さまの舞踏。神さまが
舞い踊り戯れ、遊んでいる。俺は神さまと交信した。魂を届けた。
…俺は此処に居る。神さまは俺を見ているかい…
俺が巻き込まれそうになった抗争は一年余りで終わっていた。山
口組系の抗争とは別。関東だけのタマの獲り合いだった。それをバ
ローで知った。それでも双方の死者七名。負傷者二五名。逮捕者八
五人。これは警察発表。死体が発見されない行方不明者は含まれて
いない。コンクリートで固められ海に投棄されたり、山の中に埋め
られた者はカウントされていない。鉄砲玉の一人や二人が行方不明
になったとして警察は無関心。
俺が逃げなかった時には、死者の数は確実に、一人ないし二人、
増えていた。瞬く間に四年が過ぎた。俺はトランジスタラジオの短
波放送で日本の動向を聴いていた。そろそろ帰ろう。パスポートの
期限は五年だった。俺は逃げきれた。逃げきるのが目的だった。目
的を遂げた。命を獲られた、金を持ち逃げされた以外にヤクザの執
念は深くない。敵前逃亡した俺は弱虫、臆病者と、笑われ、忘れ去
られている。横須賀に近づかない限りもう大丈夫だ。
ここでの暮らしも悪くない。寒さにも馴れた。此処で一生暮そう
と思えば暮してゆける。村人はもう俺をよそ者とは思っていない。
共同体の一員として認めてくれている。頼りにしてくれている。ミ
ンク鯨を仕留めた時からだった。それが心地良かった。同じモンゴ
ロイドでも俺は日本人。イヌイットにはなれない。そう想い始める
と日本が恋しくなった。横須賀に残してきた女を想い出した。
長老に「日本に帰る」と告げた。長老は「金はあるのか」と言っ
た。「ない。アンカレッジで働き金を貯める」。長老は渡した五百
万円の半分の二万ドルを俺に差し出した。
「何時かこう云う日が来ると思っていた。また何時でも来い」。
ヤクザはこうはゆかない。世話した今までを恩に着せられ追い銭
をうたれるのが常。帰る前日にお別れ会が催された。テキーラとジ
ンとビールが並べられ子供たちにはリンゴジュース。氷は外からツ
ルハシで削る。ザトウクジラの缶詰が処狭しと並んでいた。『Bi
g Johnny Whole』と印字され、ザトウ鯨をラベルに描
いた、この缶詰は村の特産品になった。俺の発案だった。
二頭のザトウ鯨の捕獲が州政府に認められているのに捕獲しよう
としないのは勿体なかった。解決しなければならない問題は陸に上
げての解体。陸に引き上げるのが難関だった。村にはウィンチが無
かった。俺は二〇の筏を作った。ザトウ鯨に返しの大きい銛を打ち
込みロープを回せば船外機付きボートで岸まで運べる。筏を波打ち
際から浜に並べ、そこにザトウ鯨を載せる。そして皆で声を合わせ
て引く。筏の上には鯨油を溶かして敷いた。ザトウ鯨は思ったより
も簡単に動いてくれた。ザトウ鯨は男二〇人で海から軀半分が上が
った。その時の村人の歓声を忘れられない。半分も引き上げられた
ら充分。そこで解体開始。筏と鯨油によって軀の損傷を防いだ。解
体さえ出来るならザトウ鯨は最大の獲物。長さ十二M。重さ三〇t。
解体で流れ出す血は海に返した。これで解体場の洗う作業が軽減さ
れた。女たちが喜んでくれた。
俺はザトウ鯨の缶詰を考えていた。世界で唯一の缶詰になる。ヒ
ントは幼い頃に食した鯨の大和煮。今ではこの缶詰は市場から姿を
消している。大和煮は醤油味に生姜が少々。甘しょっぱい味付け。
それを変えた。血抜きをした肉をステーキ風に焼いた。冷ましてか
ら缶詰に入れ、窒素を装填して封印。一個の缶詰の大きさは大和煮
の倍以上になった。ソースは鯨の油脂と血を混ぜて煮込みタルタル
ソース風に仕上げた。隠し味は醤油。チンでも沸騰した湯でも温め
られる。チンの時は缶詰から取り出してラップ。湯の時は缶詰のま
ま。これらを丁寧に説明書きに記した。
白人は海獣の肉を好まない。しかし売りのターゲットは白人。白
人に売れなければ商売にならない。ヘリのパイロットに一〇個をプ
レゼントした。次の週には司令官が乗っていた。「軍の備蓄食料と
して購入したい。肉もソースも旨い。ソースの隠し味は何か」と。
長老と俺が交渉役。俺は「ソースは料理人の命。申し訳ないけれ
ど教えられない」。司令官は「OK」と言いつつも残念そう。
一個二ドル六〇セントで交渉成立。
俺は司令官に「軍納入缶詰と宣伝して良いか」と尋ねた。
彼は微笑みウインクで応えてくれた。
ザトウ鯨一頭から五千個の缶詰ができた。一ドルが一二五円の時
代だった。各家庭は年間三〇万円余の潤いが出た。
宴が終わりに近づいた時、一〇人の子供たちが俺の前に並んだ。
「Big Johnny。今まで遊んでくれてありがとう。これは
父さん母さんと僕たちからのお礼です」
大判の封筒を手渡してくれた。中を開くと一〇の札束。ひとつが
一〇ドル紙幣一〇枚。それと子供たちが作ったイヌイットのお守り。
流木で作ったカヤック。「乗っている人形はBig Johnny
だよ。これを持っていれば何処に行っても迷わない。Johnny
が日本に戻っても僕たちJohnnyを忘れないから」
涙が零れてきた。俺はアラスカ北端のノースで堅気の人情に触れ
てしまった。イヌイットから気づかされたもうひとつは人間が生き
るには知恵の他に知識も。俺には決定的に知識が欠如していた。
俺はサッポロでの暮らしを始め大学に潜り込んだ。