見られている。
誰かが見ている。
首筋にまとわりつく後ろからの視線。
振り返った。
誰も居ない。
人の姿がなかった。
物陰に隠れているのだろうか。
振り返ると視線は弱まった。
前を向くと再び強くなる。
気味が悪い。
走った。
気味の悪さから逃れたかった。
五〇Mも走ると視線は消えた。
振り返るとやはり誰もいなかった。
通行人の一人もいない。
物陰から出てきた人も居ない。
車の中から見られていたのだろうか。
停止している車も見当たらなかった。
花南は市電の電停まで走った。
図書館に向かおうとする時の初めての粘っこい視線。
電停で走って来た道を見つめ続けた。
視線が消えていた。
市電が来た。
急いで乗った。
電車が動き出した。
その時、キャップ爺さんが突然姿を現した。古紙回収の爺さんだ。走り行く
市電を忌々しそうに歩道から見つめていた。市電に乗り遅れたのだ。
その視線はもう花南に届かなかった。
キャップ爺さんのキャップはイチローがかぶっていたNYヤンキースのお洒
落でかっこいいキャップではない。三個一〇〇〇円で買えそうなキャップ。ロ
ゴも何が何だか分からない。色あせ形も崩れている。そんなうらぶれたキャッ
プを爺さんたちは愛用している。爺さんたちの半分くらいはかぶっている。
キャップ爺さんには共通する特徴があった。
色は決まって濃紺か黒。キャップを取ると、みんな髪の毛が薄い。最初は薄
くなった髪の頭を守っているのかと思った。それが違った。キャップは薄毛を
隠す小道具だった。カンカン照りの夏でもキャップをかぶっている。頭が熱く
なるのか、人目につかない処ではキャップを取り、薄毛にキャップで風を送っ
ていた。人が通りかかるとあわててキャップをかぶり直す。
かぶっているのは決まって六十五歳以上の高齢者。車を運転していてもかぶ
っている。チャリをこいでいてもかぶる。歩きの爺さんも同じ。ビルの谷間の
つむじ風にキャップが飛ばされたのを見た。その歩きの爺さんはキャップを拾
おうと走った。そして足がもつれて転んだ。起き上がると見られている視線に
気づいてバツの悪そうな苦笑いを浮かべて遠ざかるキャップを見送った。キャ
ップは風にあおられて空中で踊っていた。その時には薄毛に手を当てて恥ずか
しそうに頭を隠した。ヨボヨボの爺さんはキャップをかぶっていない。
キャップ爺さんたちは暇そうだ。少なくとも会社には勤めていない。勤めて
いるのなら平日の午前中から街をうろつかない。目的があって街に出て来てい
るのではない。退屈だからだ。退屈をまぎらわすのが目的。車の中から外の様
子を見ている。チャリにまたがったまま通行人を見ている。周囲の景色を眺め
ている。何か昨日と変わったことがないかを確かめている。歩きの爺さんは立
ち止って車の動きを見ている。交通事故の発生を待っている。発生したならば
イの一番で目撃者と名乗り出るのだ。その期待と準備は何時も空振り。
太っているキャップ爺さんは見たことなし。キャップ爺さんたちは群れない。
だいたいが中肉中背で色黒。目つきが悪い。だから人相が良くない。恰幅が良
く、人柄が良さそうな、キャップ爺さんにはお目にかかったことがない。キャ
ップのつばの下からは不満そうな表情がうかがえる。何時も面白くなさそうだ。
文句がいっぱい詰まっているような顔つき。何処かでうっぷんを晴らしたいと
願っているとしか思えない。
そんなキャップ爺さんのエジキになったら大変。エジキは何時も子供たち。
横断歩道を渡らなかったりしたら遠くからでも駆け寄って来て大声で注意され
る。それがシツコイ。歩道でスケボーしているのが見つかったらガミガミ言わ
れる。「歩道は遊ぶ処ではない。何処の学校なんだ。何年生だ。担任の先生は
何て言うんだ」。うっかり担任の名前を言おうものなら得意そうに「その先生
なら知っている」と言う。嘘ばっか。「知っている」と言うのがキャップ爺さ
んの殺し文句。そう言えば子供たちは恐れ、シュンとして家に戻って行くと思
っている。知らなくとも「知っている」は自分が子供たちよりも一段も二段も
高み立つと信じているようだ。もうひとつの殺し文句は「ルールを守れ」。そ
う言いつつも車が来ないと見るや赤信号でもチャリを転がし道路を渡る。
信号待ちでキャップ爺さんと並んだ。キャップ爺さんは携帯で誰かと喋って
いる。声が大きい。「何時お迎えが来ても良いように準備しておかなくては…。
お前もそうしたら良い。善行が何よりも大切だ」。ゼンコウって何だろう。そ
の時に思ったのが「ルールを守れ」だった。通学路から外れて歩いていたら怒
鳴られる。「そこは通学路ではないだろう」。買い物に行く時は当然通学路か
ら外れる。それでも守らなければならないのがキャップ爺さんのルールみたい。
ルールを守るよりも守らせるのがゼンコウなんだ。
キャップ爺さんの目は何時も泳いでいる。ひと言で云うならキョロキョロ。
周囲が気になる人たち。同じようにキャップをかぶっている同人種を見つける
と密かに値踏みをする。自分と比較する。
歳はどっちが上か。俺よりも身体が動くのか。やることを持っているのだろ
うか。持っているなら此処を通らない…。俺よりも金が在るのか。。
どう見てもシアワセそうな目つきではない。
キャップ爺さんたちは始末が悪い。若者は避けている。体力に自信がないか
らだ。若い女の人も避ける。変態と思われるのを恐れているからだ。狙うのは
もっぱら子供。それも小学生。これからもキャップ爺さんは増え続けるのだ。
古紙回収の爺さんもその一人。とにかく近づかないのが賢明な人たち。それを
薄々分かりながらも、お金が欲しくて、近づいたのが間違いの元だった。
■4/12にリターンを見直しました。4/12をご覧下さい。