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お届けする作品は『未来探検隊』の他三つです。四作品とも未発表。何れもワープロ原稿をワードの添付メールで送信。僕に送り先のメルアドが届き次第、直ちに送ります。スマホや他の携帯には送れても容量が大き過ぎて開けません。パソコンは大丈夫。ワードで圧縮せずに送るので今までの経験では問題なしでした。

現在の支援総額

18,000

1%

目標金額は1,000,000円

支援者数

4

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/04/05に募集を開始し、 4人の支援により 18,000円の資金を集め、 2021/06/04に募集を終了しました

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 瀧上家の大切な儀式が終わった。志乃が手際良く四つの墓の供え物を片付ける。   

 マリアは読経の間、海彦の傍から片時も離れなかった。戸惑いは明らか。帰りの道すが

ら「これが仏教のお墓参りなんだ」とマリア。

「キリスト教の墓参りはどんなの」

「こんな立派な墓石を建てない。どれも同じ大きさの十字架が墓標。神の前では平等だか

ら。亡くなった人はその下に眠る。昔は土葬。今は火葬してから大切に葬られる」

「日本でも昔は土葬。今は火葬。同じだ」

「お葬式の時には神父さんが来て、洗礼名を発声して、死者を追悼する。それから聖書の

一部を読み上げて、最後は安らかに眠るようにと祈りを込めてアーメン。胸のところで十

字を切る。それから参列者全員で讃美歌を唄う。墓参りには神父さんは来ない。お供え物

は置かない。線香は焚かない。みんなで合掌して讃美歌を唄う。墓標を洗い清めるのは日

本と同じ。お父さんとお爺さんのお経は讃美歌のようだった」

「父さんは爺ちゃんから経を習ったんだ」

「少しずつ違うけれど、亡くなった人を偲び、安らかには同じだね」

「同じだな」

「嘉蔵の墓には何が葬られているの…。わたしの処では土葬された嘉蔵が永遠の眠りに」

「マゲだと思う。ちょんまげのマゲ。サムライは戦さに出陣する時には家族にマゲを切っ

て残した。戦さで死ぬと亡骸は行方不明になる。それでマゲを切った」


 瀧上家の車庫には八人乗りのワゴンと軽が置かれている。家族全員で移動する時にはワ

ゴンが欠かせない。軽は彩が独占している。

 海太郎が運転して北海道の二人を仙台空港まで見送る。

 海彦はマリアを誘った。マリアに見せたい景色が在った。

 仙台空港までは二〇キロ。仙台平野の一本道を西に走り、高台に出ると空港に着く。

 空港の傍に古い木造二階建ての民家がようやく建っていた。朽ち果てる寸前の佇まい。

一階の壁は喪失。窓が無い。柱だけが二階と屋根を支えていた。それも傾いている。建屋                                    

の横には小舟が一隻、置かれていた。意図して其処に置いたのではない。津波で海から流

され此処に辿り着いた小舟。仙台市も震災の遺物として撤去しない。

 高台の滑走路も津波を被った。空港までの道筋に在るコンビニの壁には津波に襲われた

時の水位を赤のテープで示していた。およそ二M。他の説明はない。マグニチュード九震

度七以上の揺れを体感し、それからの津波の恐怖を体験した者に説明は不要だった。一本

の赤のテープで充分だった。それで何もかもを追体験してしまう。

 この店の従業員と数名の客は屋根に上って一命を取り止めた。みんな梯子で上った。店

に梯子が在ったのは偶然。改装工事の長梯子を業者が置き忘れていた。もし梯子が無かっ

たらの想いが赤のテープに込められていた。

 マリアはいち早く赤のテープを発見。次に朽ちた家と小舟を凝視していた。

「津波は此処まで達したんだ。もの凄い」

「俺は、自然の猛威を、初めて体験した。恐ろしかった」

 

 海大が言った。

「マリア。昨夜は心を揺さぶられる挨拶だった。私も故里吾出瑠里緒に行きたくなった。

嘉蔵がどんな処で生きたのか。この眼に焼き付けたくなった。手紙を書くからね」

 静の弟も頷いた。

 三人は伊達市と当別町を見送った。 

 帰りの車中でマリアは想いに耽っていた。暫くしてから思い直したように言った。

「見送りは寂しい。わたしはすぐ涙が出てしまう」

 赤のテープのコンビニを過ぎるとマリアが「海彦の家は大丈夫だったの…」。

「被害を受けたけれど大本は無事だった。俺は十一歳で小五の時だった。もの凄い揺れだ

った。家中グチャグチャになったけれど誰も怪我しなかった。みんな無事だった」

「海彦。辛い思い出だと想う。でも様子を聞かせて下さい」

「俺は学校に居た。六時間目の授業が終わろうとしていた。その時グラッときた。みんな

慌てて頭巾をかぶった。それから机の下に潜り込んだ。先生は教壇の下の隙間に隠れた。

頭巾は椅子の下と教壇の引き出しに常備されていたんだ。みんな避難訓練と同じ動作。本

震がきた。今までの揺れと違った。蛍光灯が落ちて割れた。窓ガラスも次々に割れて落ち                                 

て飛んだ。俺は震えて机の下にうずくまっていた。横揺れと縦揺れが交互に襲ってくる。

本震は一分間くらいだった。その一分が長かった。永遠に続くと思った。おっかなかった。

少しおさまっても余震が繰り返す。余震と言っても震度三とか四の揺れ。先生が『さっき

の大揺れが本震と思う。が、しかし稀に二波三波の後に本震がくることもある。もう少し

我慢しよう』と叫んだ。窓から吹き込んでくる風で寒かった。たくさんのカラスがギャア

ギャア啼いているのが不気味だった。ストーブは揺れで自動停止。一〇分ほどで先生が『

みんなケガはないか』。全員無傷。俺たちは避難訓練と先生の落ち着いた指示でパニック

にならなかった。『先生もこんな地震は初めてだ』と言いテレビをつけた。停電。避難所

に指定されている学校には自家発電装置が設けられている。間もなくテレビの画面が現れ

た。マグニチュード七.九。震度七。三陸沖が震源地。モニターには震源地が赤丸で示さ

れていた。テレビは『皆さん。落ち着いて行動して下さい』を連呼。『福島原発はすべて

緊急停止。異常はありません』。日本の地震研究も大したことはない。マグニチュードは

八.四に変更され、ズーッと後になってから九に訂正された。七.九と九とでは月とスッ

ポンほどの違いがある。九と始めから発表されていたら津波から逃げる人達の心構えが違

った。九は誰も聞いたことがない数値だった。七.九でもモノ凄い地震の規模。それでも

七は耳に馴染んでいた。九なら必死に逃げる。七.九ならヨッコイショと致し方なく避難

を始める。中には俺の処まで津波は来ないと勝手に思う人も出てくる。結果は逃げ遅れて

多くの人が亡くなった。九とは想定外の地震とみんな身構えたのに。テレビは嘘つきだ。

地震発生直後の原発の緊急停止の時には既に異常が発生していた。配管が破れたりケーブ

ルが切断されていた。それをテレビは伝えなかった。九の地震で何も異常が起こらないは

ずがない。常識で考えば分かる。九とは原発の耐震設計を超えている。それらをひた隠し

異常を伝え始めたのは津波で電気が止まり原子炉に注水できなくなってからだ。そして取

り返しのつかない爆発。一号機は津波から二十四時間後。三号機は一号機の二日後。二号

機も爆発。四号機も爆発したのに映像は非公開。四号機は定期点検で停まっていた。なの

に爆発した。東電は爆発してもメルトダウンの事実を隠していた。政府もテレビも同罪。

東電発表を鵜呑みにしての発表。みんな嘘つきだ」


 マリアは途中から眼を閉じて海彦を聴いていた。

 地震発生直後の様子を自分の中で再現しているようだった。。

「地震だけでも恐い。津波はもっと恐ろしい。海彦。無事で良かったね」

「家族の無事は良かった。でもそんなに喜べない。沢山の人が亡くなった」

「そうよね。スペインでは地震は滅多に起こらない。起こっても小さい。テレビの嘘はス

ペインでも時々あるんだ。それで社会問題になる」

「俺はテレビの嘘を許さない。テレビが大津波警報を報じた。先生が『震源地は陸から近

い。一〇〇キロくらいの沖だ。直ぐに津波がくる。大津波だ。何波にも分かれて来る。準

備しよう。外は寒いから着込めるだけ着ろ。先生は倉庫から全員分の毛布を持ってくる。

男子は手伝ってくれ。女子は此処で待機。直ぐに戻ってくるから心配しないように』。俺

たちは先生について走った。揺れで先生も俺たちも蛇行しながら走った。先生の判断は正

しかった。俺たちの教室は二階。毛布を全員に配り終え屋上に避難してから二〇分後に二

階は水没した。体育館に留まり屋上に上らなかった人達は、みんな、亡くなった」                                     



 中三の彩は自転車で学校からいち早く戻った。先生とクラスメイトの制止を振り切って

自転車を走らせた。中学から家まで三キロ。彩は俊足。足が強い。それが生きた。信号が

消えていた。車はクラクションを鳴らすも身動きできない。その間を彩は走り抜けた。余

震で自転車ごと上下左右に揺さぶられる。少し高台に建つ家が彩の救いだった。

 彩は母さん一人が心配だった。婆ちゃんを母さん一人で守り切れない。婆ちゃんは達者

で元気だけれどイザと云う時には動きが遅い。避難所の海彦の小学校まで間に合わない。

間に合わなければ津波に呑まれる。母さんだけでは二人は家に取り残される。

 家に着くと彩はシンバリ棒で門を固く閉じた。蔵を開けると梯子が外れていた。彩はそ

れを直した。ガラスが割れた蔵の窓からは走って来た道が水につかりヒタヒタと押し寄せ

ているのが見えた。家も蔵の中も大散乱。塀の瓦は全滅。蔵も屋根瓦の大半が落ちていた。

何時落ちてくるか分からない。それでも彩は静を背負って蔵に走り、静を二階へと上げた。

 彩は蔵の扉を閉めた。津波は塀が守ってくれる。塀が壊れても蔵は流されない。イザと

なれば蔵の屋根に上る。三人は祈るような気持ちで毛布を被り外を見続けていた。

 津波には音がある。ゴゴ~ゴ~と鳴り止まない。そして真っ黒。

 津波の音を、彩は蔵の二階で聞いていた。

 彩は「津波は何時か必ず収まる」と繰り返した。

 水が引き始めた。塀の半分ほどで引き始めた。三台の車が塀に乗り上げていた。逆さま

になった車もあった。津波は引きも早い。引くと塀には津波の痕跡が残った。

 塀は津波から母屋と蔵と離れを守った。津波は塀を壊し乗り越えなかった。けれど門の

下の隙間から水が入り込んで庭に流れ込んだ。津波の音と流れ込む水が恐かった彩。 


 それから瀧上家では五〇袋の土嚢を物置に備えた。


「俺は暗くなっても学校に居た。みんな帰ろうにも帰れない。婆ちゃんの安否が気に懸か

った。寒かった。お腹が空いてきた。水も飲んでいなかった。母さんが迎えに来た。『み

んな無事。海彦も無事で良かった』。母さんは俺を抱きしめてくれた。俺はただ泣きじゃ

くるだけ。あんなに安心したことはなかった。福島の人たちには追い打ちがあった。原発

の爆発による放射能汚染。今も戻れない人たちが大勢いる」

 海彦は自分が子供なのが口惜しかった。逃げるのが精一杯。怖くて屋上で怯えていた。

津波が校舎の二階を呑み込むのを、震えながら、茫然とただ観ているだけだった。

 彩は違った。即断の勇気があった。

 マリアは溢れる涙を拭おうとせずに海彦を見つめていた。

 仙台市の死亡者は九三二名。行方不明者が二七名。行方不明者とは死体が発見されなか

った者を云う。与一の処も無事だった。海彦と彩のクラスメイトの多くは幾人もの家族を

喪っていた。逃げ遅れと体育館で亡くなった人が多かった。



 嘉蔵も蔵之介も地震と大津波を体験していた。その教訓が塀と門の強固な造りにも現れ

ている。蔵を建てた蔵之介は大津波の教訓を基に土台を深く掘った。大津波にも流されぬ

ように土台を通常の三倍の九尺まで掘り下げ五本の柱を埋め込んだ。

 流されるようでは蔵を建てた意味がない。

嘉蔵による『慶長大津波惨禍』には蔵の屋根裏から屋根に上る階段が設けられていた。

そして瓦屋根の中腹には五〇センチ四方の取り外しが在った。

 嘉蔵はこの設計図を蔵之介に託した。                                  

 慶長十六年一〇月二八日(一六一一年十二月二日)巳刻(一〇時から十一時)に地震発

生。仙台での地震規模は震度四から五。死者行方不明者が多発する規模ではないが、四度

大きく揺れたと書かれている。それから三時間。八つ刻に第一波の大津波が湊から押し寄

せた。高さは二〇M以上。場所によっては二五Mを超えた。それが四波。大津波発生の直

前には沖で地鳴り。一〇分間隔で四回。その後、湊の海水は底が見えるほど引いた。

 後年の調査と研究によれば震源地は千島・カムチャッカ海溝。マグニチュード八.九。

三陸沖大地震と変わらない。仙台での死者は一七八三人。伊達藩領内では五千人を越えた。

 嘉蔵は津波の規模と広がりを調べ、仙台での死者行方不明者を記録した。

 すべてが逃げ遅れだった。

 瀧上家は塀も門も母屋も流された。離れも流された。流されても全員無事だった。地鳴

りを聞いた嘉蔵は蔵之介に青葉城に身体ひとつでの避難を命じた。それで全員助かった。

瀧上家一族の他、与助と家族も皆、無事だった。城に逃げ込んだ者たちは全員無傷。


 海彦は蔵の中で『慶長大津波惨禍』をマリアに読み聞かせた。

「海彦。嘉蔵の時代にも大地震と大津波に襲われたんだ。わたし。チリ沖地震の大津波は

知っていた。それ以前の震災は知らなかった。仙台は度々震災に見舞われたんだ。何時の

時も死者の数が膨大過ぎる。でも、瀧上家の人たちは、今も昔も、みんな、無事だった」

「嘉蔵は慶長大津波以前の大震災も知っていたんだ。例えば平安時代の貞観地震と大津波。

その教訓が活きた。嘉蔵は再度の大震災を語り継ごうと『慶長大津波惨禍』を残した」

「これだけでも尊敬に値するね」

「…」


 一等海上保安正の海太郎は操舵室で津波と向き合っていた。

 仙台湾沖南東十五キロ付近で海上保安庁巡視船『ゆうぎり』に地震発生の報が入った。

「震源地は牡鹿半島の東南東百三〇キロ。マグニチュード七.九。陸上震度七」

 大地震の揺れも船上ではさほど感知しない。何時も揺れているからである。それでも海

には異変が起こっていた。縦波と横波が不規則に交差していた。引き波も発生。処々が渦

を巻いている。海鳥が群れをなして陸に向かっていた。                                    

 海太郎は報が入る前に地震発生を目撃していた。これは規模が大きい。

 地震発生直後に飛び立ったヘリコプターから無線が入った。

「津波第一波を確認。牡鹿半島の東南東約六〇キロ。西に向かって一直線。デカイ。一〇

M以上はあります。推定速度一〇〇キロ。『ゆうぎり』までは五分。乗り切って下さい」

 船長が「取り舵一杯。進路は真東。全速前進用意」。

 海太郎は「了解」。船を九〇度回転させ二分で安定させた。

 安定すると機関長に全速の四〇ノットを指示。

 一〇Mの津波でも波に直角に突っ込むなら船は持ち堪える。いち時波に呑まれても全速

で進むなら浮き上がれる。少しでも直角がズレると危ない。バランスを喪う。

 海太郎には直角のまま津波に突撃できる自信があった。    

 一五から二〇秒の勝負だ。先ずは第一波。次もある。次の方が大きい。

 波の巨大な隆起が向かってきた。壁が押し寄せてきた。海太郎は船の向きを確かめた。

操舵輪を握る手に力が入った。何が起きても、何があっても、操舵輪は離さない。

 これが俺の任務だ。舵さえ遣られなければ船を守り切れる。

 船長が「来るぞ。全員安全を確保」。「お~。ヨッシャー」との声が船内に響く。

 盛り上がった波の先端が白くはじけている。

 海太郎は葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』を見た。船首が持ち上がり海太郎は操舵室から空

を見仰げた。叩きつけられる。船は急降下。空転するスクリュー音を聞いた。空転したス

クリューが海に叩かれると損傷の恐れがある。大丈夫。大丈夫。この船は巡視船だ。スク

リューは大波を想定して造られている。『ゆうぎり』の船首は海中に引き込まれた。操舵

室は海中に沈んだ。そして浮かんだ。海太郎の予測の通り二〇秒で勝負がついた。

 ヘリコプターからの無線。 

「津波を三波まで確認。規模は順に大きくなっています。二波との衝突は一〇分。三波は

一五分。波速は一波と同じ」

「こちら『ゆうぎり』。本船から二波三波の視認不能。引き続き連絡を頼む」と船長。

「了解」

 無線の音声は全船に流している。

 海太郎は第一波の時と同じく第二波第三波と乗り切った。

 潜水艦が浮上する時は船首を海面に突き出す。そして船首の底を海面に叩きつける。

 三波目に引き込まれた後に、船首が持ち上がり、船底の叩きつける衝撃音を聞き、浮か

び上ると全船員から拍手が湧き起った。

 あの三波が三陸沿岸を襲う。仙台は平ら。特に名取川流域は海抜が低い。何処までも波

が上って来る。一〇キロでは収まらない。石巻から北はリアス式海岸が続いている。チリ

沖地震よりも今回の波は大きい。とにかく逃げろ。高台に逃げてくれ。

 海太郎は祈った。家族を想った。海之進は東京に出張中。心配はいらない。三人で力を

合わせて凌ぎ、乗り切る。志乃も彩も頼りになる。彩にはバネがある。身体に力がある。

危機が迫ったとしても静を背負って蔵に走る。大丈夫だ。海彦は学校に居る。校舎は四階

建てだ。屋上に登ればやり過ごせる。必ず乗り切る。俺が乗り切ったように。

 海太郎は原発を考えた。

「船長。原発の防波堤は七Mか九M。何れにせよ役に立たない。あっさりと乗り越える。

そして原発の建屋にぶつかった時には押し上げれ、跳ね上がって二〇M以上になる。原発

はやられる。誰も二〇Mの波になるとは思っていない。いち大事だ」

「俺も原発を考えていたところだ。通信士。津波の福島原発到達は推定二〇Mと送信」

 海太郎は船長試験を受けなかった。受験資格は一等海上保安正。受験資格は満たしてい

た。上司からも部下からも受験を勧められた。特に部下からの信認が厚かった。

「瀧さんの船に乗りたい」との声に、海太郎は「最善を尽くして船が沈むなら俺は仲間と

逃げる。だから船長にはなれない」。

 船長は船と命運を共にする。

 これは船乗りのコモンセンス。

 海太郎は海翔から蔵之介の教えを座右の銘に据えていた。

『決して海で死ぬな。生き恥を晒して生きろ』


 家に戻ると海彦は部屋に急いだ。

「父さん。ちょっと待っていて。パソコンを持ってくる」

 海太郎が向かった最初は石巻港。

「石巻の死者と行方不明者が被災地の中で最も多い。併せて四千人弱」とマリアに。

「海彦。月の浦は石巻だよね。月の浦にも津波の痕が無かった」

「港は復旧したんだ。月の浦は石巻から少し離れた入り江の途中に在る。それで津波の直

撃を免れた。それでも海面が隆起して船を係留していたロープが何本も切れたり海に持っ

ていかれたりしてサンファン号は流される寸前だった」

 海太郎は港の岸壁に車を停めた。三人は車から降りた。沖を見た。

 海太郎が言った。「いま大地震が起きて沖に山津波が見えたら車を捨てて走る。走って

高台に逃げる。車はダメだ。逃げようとする車で身動きが取れなくなる。とにかく走る」。

 三人の視線の左には牡鹿半島が陽光に照らし出され輝いていた。

 静かな海と港。車を停めている岸壁は津波で跡形も無くなっていた。

 マリアは遠くの沖が山となって盛り上がり、その頂きには崩れた白波が立っている恐怖

の情景を想い描いた。山津波はテレビで知っていた。

「車で逃げて渋滞に巻き込まれた人。足の遅いお年寄りは津波に巻き込まれてしまう」

 三人は沖に向かって合掌。マリアは何時までも合わせた手を離さなかった。  

「父さん。大槌町まで行って。町に入ったら俺が道案内する」

海彦はパソコンを立ち上げた。  

「父さんから調べろと言われて調べた。ユーチューブに大槌町の高台公園に逃げた人が撮

った動画がアップされていた。その公園に行きたいんだ

「その動画は襲ってくる津波が生々しく映っている。観ても大丈夫か」

 海太郎が助手席のマリアに言った。

「大丈夫です。私。ここまで来て逃げたくない」

「そうか。大槌では町長も亡くなった。大地震の後の被害を確かめに庁舎から外に出た。

そこを津波に襲われた。庁舎に居てもやられたんだ。三階建ての庁舎が丸ごと津波に呑込

まれた。職員の三分の一が亡くなった。外で活動していて逃げた人が助かった」

 海彦が後部座席から身を乗り出して開いたパソコン画面をマリアに示した。

 画面には震災モニュメントとして現存している大槌町役場旧庁舎が映し出されていた。

「大槌町の被害は他よりも甚大だった。三〇〇〇戸の住宅が一瞬で壊滅」

 海彦は昨夜調べたデータのプリントをマリアと海太郎に渡した。


 ■全国の東日本大震災死亡者  一五八九四人…大多数が津波による死亡者 

 ■震災関連死との合算     一九四一八人…関連死とは主に行方不明者。死体が発

                      見されず生存を確認できない人が該当

 ■宮城県の死者(関連死を含む) 九五四一人…全体の約半分

 ■大槌町の死者行方不明者は一二七七人。二〇一〇年の人口は一五二七六人。人口千人

  に対する死亡者は八三人。これは全国で最も高い人口比割合                               

 

 海彦はグーグルマップをなぞり、景観と道路を確認して海太郎を高台公園に誘導した。

 車が停まった。三人は車から降りた。

「小さな街。平地には道路だけが繋がっている。これが津波の痕」

 港も復旧されていた。大型のクレーンが一本、空に突き出している。                                   

「港から左に延びている平地は扇状地。入り江の窪みが深い。この平らに家が建っていた

んだ。平らには津波が押し寄せ覆い尽くしたんだね。みんな死んじゃう」

 海太郎が「大槌町の地形はリアス式海岸の典型。良港なんだ。古くから漁業が盛んな町。

津波には弱い。大地震の度に立ち直れないほどの被害を受けている」。

 海彦はマリアの様子を窺いつつ海太郎の後に続けた。

「平地の奥は入り江の先端の半分の幅。入り江に高さ一〇Mの海水が押し寄せると奥では

高さが倍になる。盛り上がる津波は勢いも増す。崖に乗り上げた高さは三〇Mだった」 

「エネルギーが無くなるまで暴れる。津波の恐ろしさは言葉にできない」

「マリア。車の中で動画を観よう」                                                                   

海彦は大槌町の動画を映し出した。マリアと海太郎は三分の動画を見つめた。                                   

 マリアが車から降りた。

 動画の製作者は松の木立の下で撮っていた。マリアはその松に向かった。

 海太郎も海彦もマリアの後に続いた。

 マリアは沖の遠くを見つめ、眼線を港へ。それから跡形も無くなった市街地に移し、逃

げても逃げても追いかけて来る津波が流れた方向を見据えた。

「津波は山間が開けた扇状地の始まりまで押し寄せたと思う」

 マリアが合掌。海彦も海太郎も手を合わせた。

 春近しを思わせる暖かな陽光が三人を包んでいる。

 港の海が光に反射して輝いている。穏やかな港町だった。人の気配がなかった。

 海太郎が高速を走り浪江町に着いた。此処は福島県浜通り沿い。この隣町が双葉町。今

でも帰還困難地域。今では街の除染が終わっている。しかし野山の大半は手つかず。野山

の除染作業とは途方もない面積を強いる。完了するのは不可能に近い。

 人間は避難した。残された家畜は六年の間に野生化した。犬も猫も、豚も牛も。現在で

は猪が数を増やし人家をねぐらに活動している。対策が講じられ、一軒一軒をパイプと塀

で囲った。これは盗人からの防御でもあった。

 マリアは人家をパイプで囲み、人が出入りできない寂れた街並みを車中から見つめてい

た。信号機は点滅していない。商店はシャッターが下りている。街から電気が消えていた。

「ゴーストタウン。これが原発の末路なんだ」

「ここは放射能に酷く汚染されて数値もまだ高い。戻ろう」と海彦。

 海太郎は高速に引き返し車を北に走らせた。海彦は原発に襲いかかった津波が映ってい

る画像を開いた。原発建屋の上空まで立ち昇った波しぶきをマリアに見せた。                 

 一波だけではない。二波、三波と映っていた。

「この波で原発は電源を喪った。三つも動いていた発電所が電気を喪い冷却水を注入でき

なくなってメルトダウン。発電所なのに電気が無くなり爆発するなんて皮肉」

 マリアは車中から原発の方角を眺め呟いた。 


 この夜、瀧上家は秋保温泉に泊まった。        


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