■ 拓銀の破綻(高田宗熊)
一九九七年十一月十七日。『拓銀』が破綻した。
資産六兆円を越える都市銀行が日々の決済資金に必要な三千億円
余を調達できなかった。多額の不良債権により拓銀は手持ちの資金
が枯渇していた。この決済資金とは手形の決済。預金の引き出し。
預金からの振り込み、送金等の日常の銀行業務に必要な資金。拓銀
は枯渇した資金の穴埋めをインターバンク取引、すなわち銀行間の
貸し借りで補っていた。しかしながら時間の経過と伴に貸し渋りが
発生した。金利を上げても思うように調達できない。『拓銀』への
警戒感が露骨になったのがインターバンク取引の継続。破綻のシグ
ナルが点滅してる銀行に、例え短期であっても金を貸すと、回収で
きなくなる懸念と不安。それでも『拓銀』は強気であった。大蔵省
による「護送船団方式」を信じていた。
大蔵省の指導で『道銀』との合併が協議された時も強気は変わら
なかった。それが災いして合併は頓挫した。今のままでは『拓銀』
に資金を注入するのは難しい。大蔵省は世間からの批判を恐れた。
巨額の不良債権のすべてを洗い出されると自らの監督指導責任に発
展する。よって『道銀』との合併後に公的資金を注入。この合併は
『道銀』による事実上の吸収。これが大蔵省の作戦。それを知って
いたのか、知らなかったのか、『道銀』との合併は『拓銀』の末端
の行員に至るまでプライドが許さなかった。『道銀』はいち地方銀
行。我行は明治初頭からの都市銀行。『拓銀』は殿様であった。
都市銀行には法律上の定めはない。地方銀行も同じ。発端は一九
六八年一〇月まで遡る。大蔵省の諮問機関である『金融制度調査会
』の大臣宛の答申が唯一の根拠。
「普通銀行のうち、六大都市(東京・大阪・横浜・名古屋・京都・
神戸)またはそれに準ずる都市を本拠として全国的または数地方に
またがる広域的営業基盤を持つのが都市銀行」
これによって大蔵省は都市銀行と地方銀行を分けた。
『拓銀』は全国に十三行ある都市銀行のひとつに置かれた。当時の
札幌の人口は七三万人余で九番目。現在は一九三万人で五番目。
大蔵省は日本経済の動脈と云える銀行への絶対的支配権を有して
いた。銀行事業とは大蔵省の許認可の下での業務。一九六〇年から
の高度成長を成し遂げた日本は今後、更なる資金需要が高まる。政
府の資金需要は益々強まる。それらへの安定供給は日本の発展に不
可欠。大企業の資金需要と政府の国債引き受けに応えねばならぬ。
それには銀行の経営基盤を強めねばならない。大蔵省は大手銀行を
一本化しようを考えた。これが『金融制度調査会』答申の背景。
銀行間の競争とは資金力の源である預金の獲得合戦。各銀行は新
規の預金者には景品を提供した。安定的な銀行の発展とは競争に非
ず。大蔵省は資金獲得競争は無意味。景品は無駄と断じた。国家と
大企業から求めに都市銀行は潤沢に応えなければならぬ。それを支
えるのが『護送船団方式』。これによって大蔵省の支配力は格段に
強まった。箸の上げ下げにまで口を挟むようになった。官僚とは自
らの支配力が強まり広がるのを好み悦ぶ。この頃に「ノーパンしゃ
ぶしゃぶ」がマスコミに出た。流行語になった。「MOF担」も。
都市銀行と地方銀行は利用者にとって違いはない。
『拓銀』には他の都市銀行十二行にない歴史があった。それが殿様
に繋がっていた。…我行は明治政府が北海道開拓のために創設した
国策銀行。無尽から始まった北海道の地方銀行とは格が違う…。
『拓銀』は実績、規模、歴史とも北海道一の大企業であった。それ
は自他ともに認める看板だった。これも殿様気分を強めた。
合併交渉は最初から暗礁に乗り上げた。不良債権区分が違った。
不良債権は『道銀』にも少なからず在ったが日々の決済資金は自行
で賄えた。インターバンク取引に頼らずとも済んだ。百億や二百億
円を調達するのと三千億円は訳が違う。『拓銀』の事業規模を勘案
すると三千億円は日々の決済資金の全額に近い。
同じ銀行マン。こうした解析は瞬時。
不良債権区分は四つに分かれる
①破綻債権 ②要警戒債権 ③要注意債権 ④正常債権
『拓銀』が提示した不良債権区分は『道銀』とは大きく異なった。
破綻が警戒。警戒が注意。注意が正常に。『拓銀』の区分はランク
ダウンされていた。破綻していても何時か回収できると云うのが『
拓銀』の根拠。「回収不能債権が日々の決済資金を枯渇させた」と
『道銀』は捉えていた。認識の共有なしに協議は成立しない。
不成立の要因はもうひとつ在った。それが殿様であった。不良債
権区分はやる気さえあれば統一できる。認識の共有は可能。殿様は
応じなかった。失政を認めたくなかったのである。
『道銀』に不信感が広がった。「我々は殿様の家臣ではない。頭を
下げて宜しくお願いしたいと頼まれるなら大蔵省の手前、合併を模
索しても良いがそれには殿様気分を捨ててもらわなければならぬ。
こちらが頭を下げる謂れはない」。
こうして合併交渉は決裂
頼みの綱である大蔵省からの資金注入は見送られた。
オレは資金調達の現場に居た。悪戦苦闘の毎日。『拓銀』存続は
この現場の成否に懸かっていた。前夜、上司から調達額の指示を受
け、早朝から走り回る。何とか達成して上司に報告する。それを受
けた上司は昼前に本部に電話。こうして翌日の決済資金を確保。こ
れで終わりではない。明日も明後日を確保しなければならない。
オレは「大蔵省は我行を見捨てたりしない」を信じようとした。
しかしこのままでは必ず調達不能の時が来る。「大蔵省は何時資金
を注入するのか」の問いには「近々のうちに必ず。いま別の者が折
衝している」としか答えられなかった。「別の者の折衝」は三日で
色あせる。次は「道銀との合併が進んでいる」だった。
こうして十一月十六日を迎えた。
「調達額は一五〇〇億円。半分です。これ以上は無理」と上司に報
告した。これが『拓銀』での最後の仕事になった。
四十九歳の冬を思わせる寒い昼だった。
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やだ~。この人。満面の笑顔を振りまいていても、眼が笑ってい
ない。愛称が「詐欺師」。ピッタリ。文面からは「詐欺師」の雰囲
気は無い。無いと云うよりバブル崩壊以降の自行の破綻を冷静に見
つめている。そして何処か純粋。侍人の六人から「詐欺師」と愛さ
れているのは拓銀破綻の後の高田宗熊さんの歩みと深い関係がある
のだろう。生業は『ネットワークビジネスの考案と追及』。
『拓銀』が倒産したのは二〇年前以上。
氷空ゆめは高田宗熊さんを読んでから有料のNHKオンデマンド
を視聴した。映像は安宅産業・山一証券の破綻も取り挙げていた。
大きな会社は大丈夫とは神話であり幻想。借金漬け体質の地方公務
員も安泰では無いが感想。
高田宗熊さんはマスターズの日本代表を目指している七〇歳。四
〇〇M。自己ベストは五九秒三。今年は五八秒台を目指すと意気込
んでいた。高一の弟は陸上部。それも四〇〇Mが専門。タイムは五
三秒台。弟は「このお爺さんは超人」と言った。「何時も走ってい
るバスケやサーカーの連中でも一分を切れるのは二人に一人。四〇
〇Mはラストの一〇〇Mが苦しい。心臓が口から飛び出しそうにな
る。それは誰でも同じ。このお爺さんはタバコを吸わない。酒もほ
どほど。週二回はきついトレーニング。立派だ。僕は七〇歳の時に
四〇〇Mを完走できるか分からない」。
ネットワークビジネスはねずみ講に似ている。仕組みの違いは現
金と商品の違い。現金を媒介にするのは法で禁じられてる。ネット
ワークビジネスを支えているのはお金への欲望。このビジネスを手
掛けた人は誰もが成功するのでは無い。圧倒的多数がお金への欲望
にかられ商品を過剰に購入したとしてお金を手にすることができな
い。氷空ゆめはメールでHPの『問い合わせ』にメールで尋ねた。
直ぐに高田宗熊さんから返信。ビジネスの仕組みを知らされた。立
ち止まって考えると直ぐに分かる。最初に始めた人がお金を手にす
る仕組み。後になればなるほど最初に始めた人に貢だけ。「何でこ
んなことが分からないのだろう」と再度尋ねると「金への欲は眼を
眩ませるのさ。だからオレは稼げるんだ」。明解な返答。