■自閉症の兄の自由帳に抱いた強い興味
私、MUKUの代表をしております松田崇弥と申します。
今回は、私が知的障害のあるアーティストが描くアート作品に興味を持った理由、そして、MUKUを発足するまでについてまとめようと思います。
大学時代、東北芸術工科大学という芸術系の大学で勉学に励んでいた私は、卒業制作で創作する作品の題材を探すため、さまざまな事柄を興味深く観察していました。
そんなとき、自閉症の兄が小学校時代に記した自由帳が目に止まったのです。そこには、数字や平仮名を組み合わせた走り書きや、アルファベットの羅列、謎のキャラクターなど、唸るほどにおもしろい感性の作品に溢れていました。この感性を、おもしろい形で発信できないかと強く心に残ったことを覚えています。
しかし、結局なんのアクションもすることなく、大学生活が終わり、東京に上京し、都内の広告代理店に就職することになりました。
■るんびにい美術館との出逢い
就職して3年目、岩手の実家に帰省していた私に、母親が言いました。
「るんびにい美術館っていう、知的障害のあるアーティストが描いたアート作品を展示する、すごい美術館があるんだよ」
私の地元にそんな美術館があったのか、それは確かに観て見たい・・・私は母親と共に、はじめて「るんびにい美術館」を訪れました。
大学時代に兄の自由帳を見ていた私の心は、深く揺さぶられました。
この心のざわざわする感覚は、きっと「作者が知的障害者だから」、という慈悲がそう感じさせるものではなく、単純に優れた作品に触れたためだと自分自身で納得したことを覚えています。
この色彩・・・カラフルな個性が表現されたキャンパスを見て、「彼らにしか描けない世界」があるのだと理解したと同時に、社会に向けてプレゼンテーションしたいという思いがふつふつと沸き起こったのです。
■芸術大学時代の仲間に支えられMUKUが発足
そこからの私はものすごいスピードで「MUKU」を発足する準備をしました。
まずは、いつか知的障害に関わる仕事をしたいね、とちいさい頃から話し合っていた双子の兄・文登に声をかけました。
そのあとは、大学時代からの友人であるデザイナー、WEBディレクター、映像監督等々に、「こんなプロジェクトを発足しようと思っている」と、熱い思いをぶつけました。
推進するメンバーが固まると、早速思いの丈を企画書に纏め、「るんびにい美術館」を訪れ、プレゼンテーションをしたのです。
何の実績もないだけでなく、実力も実現性も不透明な私たちに対し「るんびにい美術館」のアートディレクター板垣さんは、「心を打たれました、ぜひご一緒しましょう」と、その場で握手をしてくれたのです。
あのプレゼンテーションから1年8ヶ月の月日が流れました。
私はこうしていまも、「るんびにい美術館」さんと共に、「MUKU」の代表という立場で、第二弾プロジェクトを推進することができています。
■発足から1年、そしてこれから
発足から1年、国立新美術館での展示、NHK「おはよう日本」での全国ニュース、岩手県の達増知事にネクタイを締めていただく等々・・信じられないほどに幸せなご縁が沢山ありました。
そしてなによりもうれしいのは、商品をご購入いただいたお客様からいただくメッセージです。
私たち双子が発信してきた”思い"が伝わっている、届いている、そしてなによりも、人のアクションを誘発している。このことは何事にも代えがたい喜びであり、さらに「MUKU」を推進していきたいという思いが強くなる大きな要因です。
私たちはモノづくりにおいて、一つ、大きな信念があります。それは、
「アート作品を超えるプロダクトを創ること」
知的障害を持つ彼等を『アーティスト』とカテゴライズし、生み出される創作物を『アート』として発表する。それは健常者である私達の利己的な思いや考えでしかないからです。
彼等にとって全く興味のないことだからこそ、私達は表現方法を日々模索し、最大限のアウトプットを提案する責任があります。
「MUKU」は、プロジェクト自体に興味を持っていただいているみなさま、友人、家族、兄、親戚、たくさんのみなさまに支えられているプロジェクトです。
これからも、最良のプロダクトを、社会に向けてプレゼンテーションできますように。
そして、まずはプロジェクト第二弾が、なんとか達成できますように。
ぜひ、応援していただけますと幸いです。