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低学年児童のためのプログラム教育教材の作成とそのための実践:第一版 (3rd)

プログラミングという概念は、手続きを書くことと同義ではありません。 本企画では、主に低学年児童向けにプログラムそのものの概念の把握から、プログラミングの考え方の多様性とデータ構造の重要さを理解できるような講習を行ない、かつ教材および資料の作成を目指します。

現在の支援総額

0

0%

目標金額は1,950,000円

支援者数

0

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2017/08/31に募集を開始し、 2017/09/28に募集を終了しました

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プログラミングという概念は、手続きを書くことと同義ではありません。 本企画では、主に低学年児童向けにプログラムそのものの概念の把握から、プログラミングの考え方の多様性とデータ構造の重要さを理解できるような講習を行ない、かつ教材および資料の作成を目指します。

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大月市役所 学校教育課に、「コンピュータを使わない、コンピュータとプログラミング入門#2」を開催する旨、お伝えして来ました。また、チラシも同じくお渡ししてきました。とりあえず、小中学校にチラシを転送(?)していただけるようではあります。   同時に、2020年からのプログラミング教育必修化に関しての動きを伺って来ました。こちらについては、今年度は各小中学校の機材の充実を行ない、そのためもありプログラミング教育必修化についての会議は年度内には開催されないだろうとのことでした。文科省がプログラミング教育の導入についての資料をそこそこ公開しているので、それをすこし紹介してきました。 もっとも、機材導入と必修化に向けての会議は別の処理となると思いますので、年度内に会議は開かれないだろうというのも、あまり理屈にあったお返事とはいい難い面もあります。両者が同じ会議であり、年度内は機材の充実という方向を出したのであれば、今年度における会議の役割は終わっているという考え方もあるかもしれません。とはいえ、それらは並行して行える会議ですので、会議自体は一つの同一のものだとしても、機材の導入が優先だから、必修化に向けての会議、あるいはICT関係の会議は年度内には開催されないだろうという理由付けは、あまり強いものとは言い難いものだろうと思います。 なお、「コンピュータを使わない、コンピュータとプログラミング入門」を後援していただけないかとのお願いも伝えてきました。とはいえ、こちらがどういうものなのかなどなど明らかだとは言えないため、なんの検討もなしに「後援します」とは言えないでしょう。その点も含めて、前述の会議であれ、そうでないものであれ、「こういうことができる」など、あるいはもっと気楽なものでもいいので、可能なら一席設けていただければとのお願いも、伝えてきました。


「コンピュータを使わない、コンピュータとプログラミング入門」を明日開催します。 日時: 9月10日、13時〜16時 会場: 山梨県 大月市 市立図書館 会議室 興味のある方、児童・生徒、保護者、小中高の先生方の見学、参加をお待ちしています。 題材は:- 数当てゲーム- 迷路- 物語 を用意しています。 データ構造としては、いずれも木構造を扱い、その他のものも少し扱います。 また同時に、計算量の概念にも触れます。


「小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)」には、どのような有識者が参加していたのだろう? もし、有識者会議からの返答を文科省が書き換えていないとすると、実は単純に傾向を見ることができる箇所がある。 | 言語能力を構成する「テクスト(情報)を理解するための力」や| 「文章や発話により表現するための力」の要素を専門的に整理した上で、| 国語教育等において、語彙を豊かにすること、情報と情報の関係性を論理的に| 捉えるなど情報を多角的・多面的に精査し、構造化する力などが、| 発達の段階に即して系統的に育成されるよう、小・中・高等学校を見通して| 教育内容の充実を図ることが検討されている。プログラミング教育を含む全ての| 教育の前提として、こうした言語能力の育成に向けた国語教育等の改善・充実を| 図っていくことが不可欠である。 問題は、この「テクスト」という語彙だ。この箇所で主に言及しているのは言語能力であるから、そうなるのも自然とも言えるが、こういう箇所において「テキスト」という言葉を使わず、「テクスト」という言葉を使い、しかもこのように使うのは、(一部の)文系人だ。ただし、哲学系や言語学系においては、このような箇所において「テキスト」という言葉を使わずに、「テクスト」という言葉を使う人は、おそらく多くはない。というのも、フランス語の「テクスト (text, textile)」という言葉は、その分野においては明確に定義された特定の意味を持つ。そして、それはここで使うには妥当とは言いにくいものだからだ。なにより、わざわざ「テクスト」という言葉を使う理由が存在しない。 では、どういう人が「テクスト」という言葉をこのような使い方をするのか。概ね語学系の人だ。上では「哲学系や言語学系」と書いたが、言語学系と語学系はまったく別のものであることに注意して欲しい。 そこから推測できるのは、教育関係の、とくに語学関係の人がいたということであり、情報系や哲学系、言語学系の人がいたとしても、主導権は持っていなかったということだ。 さらに:| [8]順次、分岐、反復といったプログラムの構造を支える要素についても という箇所も問題になる。「順次、分岐、反復」はフォン・ノイマン型計算機の基本的な制御方法である。正確にはダイクストラやヴィルトによる「構造化プログラミング」による用語だ。この3つの要素は、数回現れている。 わかりやすい問題は、「分岐」という言葉だ。ここで「低学年児童のためのプログラム教育教材の作成とそのための実践:第一版 (2nd)」の活動報告「sedで足し算(超簡略版)」から、これに関連した部分のみ引用しよう:| :loop| /^I+ +I+/ {|  s/I +I/II /|  p|  bloop| } 問題となるのは太字にした「bloop」の部分だ。これは、「branch to label "loop"」と読む。単純に言えば、この「b」という命令は「branch」、つまり「分岐」を略したものだ。分岐命令ではあるが、この部分の意味は「反復 (ループ)」であることに注意して欲しい。 情報系の人がいたとしたら、おそらく「分岐」という言葉の使用にはもう少し注意深いものになるだろうし、さらに3つの言葉にはなんらかの条件がついての言葉となるだろう。すくなくとも "[8]" において単に「プログラムの構造を支える要素」とは書かないだろう。「構造化プログラミング」を多少なりとも意識し、最低でも「プログラミングの構造化を支える要素」のようなものにはなると想像できる。 このことから、情報系の人はいなかったか、すくなくとも主導権を持ってはいなかったと推測できる。つまり、プログラミング、あるいは情報工学ないし情報科学の専門家は、たとえ参加していたとしても、意見をあまり述べなかったか、あるいは意見を述べたものの無視される結果になったと推測できる。 おそらく、より妥当と思われる推測は、ここにおける有識者とは教育関係の有識者に占められていたという可能性だ。 もし、その推測がすくなくとも大外れでなかった場合、「小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)」は、情報工学に限らず、哲学、言語学という「専門家抜きででっち上げられた報告」ということになる。 これはあくまで推測だ。だが、報告書全体の危うさも考えると、おそらくは大外れではないだろう。だからこそ、保護者や教諭の方々は、面倒と思わずにコンピュータ・サイエンスを勉強して欲しいと思う。kuzu/NULLでは、本企画のリターンとは別に、その要望に応える準備がある。  


「低学年児童のためのプログラム教育教材の作成とそのための実践:第一版」のプロジェクト申請も ❝3rd❞ となりましたが、サクセスする可能性は低いと考えています。 出版社様向けのリターンも検討中ですが、本プロジェクトあるいは本企画に興味をお持ちの出版社様がおられましたら、コメントなどなどにより、ご連絡をいただければと思います。 ところで、先ごろ講談社より「図解 プログラミング教育がよくわかる本」が出版されました。 プログラミング教育の実態はこれに近くなるものと予想しています。ですが、平成28年の有識者会議による「小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)」にて明言されている: | プログラミング教育とは、子供たちに、コンピュータに意図した処理を| 行うよう指示することができるということを体験させながら、将来どのような| 職業に就くとしても、時代を超えて普遍的に求められる力としての| 「プログラミング的思考」などを育むことであり、コーディングを覚えることが| 目的ではない。 という点については、矛盾があるように思います。 この有識者会議の資料の内容に全面的に賛成するわけではありません。たとえば: | 多様で大量の情報を収集、整理・分析、まとめ表現することなどができ、| カスタマイズが容易であること(観察・実験したデータなどを入力し、図や| グラフ等を作成することを試行錯誤しながら繰り返し行ったり、発表内容を| 効果的にまとめて共有したり、個々の子供の学習ニーズに応じた学習内容を| 組み立てたりできること) ここにある「試行錯誤」には、必要な試行錯誤と、不要な試行錯誤があります。全体を読んでもらえればわかるかと思いますが、ここで言われている「試行錯誤」とは、むしろデバグの類か、それに近いものであり、それをもって「試行錯誤が必要」とは認めることはできません。「必要な試行錯誤」は必要ですし、価値がありますが。 シーモア・パパートの「マインドストーム」においても、似たような試行錯誤の記述はあります。 では、有識者会議における試行錯誤とパパートの試行錯誤とはなにが違うのでしょうか。単純には、ここでの試行錯誤は、「結果が得られればいい」という視点からの試行錯誤の必要性を述べています。 対してパパートは、そのような試行錯誤を認めてはいても、その結果から、プログラムが目的どおりに動くことの論理的証明に言及しています。 つまり、有識者会議の資料における試行錯誤と「図解 プログラミング教育がよくわかる本」における試行錯誤に対して、パパートの試行錯誤はまったくべつのものである点に注意が必要です。 付け加えるなら、プログラミング教育が必要であることは、半ば否定しませんが、有識者会議の資料も「図解 プログラミング教育がよくわかる本」でも、プログラミング教育に対して過度の期待を抱かせるものであるように思います。昔、「プログラミングを覚えると数学もできるようになる」と言われていた時期がありますが、それと似ていると感じます。 その他、できること、考えていることについては、「低学年児童のためのプログラム教育教材の作成とそのための実践:第一版 (2nd)」の「活動報告」にてご確認下さい。