さて、残り5日です。写真は東京湾から眺めた富士山、本文と何の関係もありません。
時間も限られますし、オープンまではあとひと月あるので、CFの最終盤はあらためて針鼠書房の話を。色々と重複するかと思いますが、ご容赦ください。
民間図書館の意義
大学1年の時にNPOを立ち上げた時は、資本が要らないのでNPOを選び、事業の中身よりもまずは思いついたことを形にするところからスタートしました。地域活性という領域を選んだのも特に理由はなく、単に船橋が他所と比べた時に良いと感じていなかったからかと思います。
WEBやイベントなどをやっているうちに、はたと図書館を思いつき、これまたよく考えもせずに実践あるのみで、ひとりで図書館づくりを始めました。利便性や効率重視のはずの事業コンセプトが、多くの方とのかかわりの中で変質していき、人の交流が次第に柱になっていきます。
いま思えば、はじめのうちは色々な人が集まって、たくさんの本が集まって、単に色々と集まる流れの中にいるのが楽しかったのかもしれません。それが、図書館が増えるにつれ、それぞれに集まるようになり分散していくようになります。僕からすると散っているのですが、そこで最初に出会った人からすると、そこに集まっているんですよね。
そのひとつ一つで喜んでくれる人がいて、最初の頃はそういう人たちの顔を全部見れたので、それが嬉しくて図書館をどんどん増やしていくわけです。
その結果、ある時から知らない人が増えていきます。最初は本の寄贈者、次いで図書館の利用者、そのうちボランティア。そうして、知らない人が増えていき、知っている人よりも知らない人の方が多くなった位から、僕の興味は街から社会に移っていきます。
それまでとやっていることは大して変わりませんが、イベントや図書館で街に人を集めるだけだった活動が、その場所や機会に意義が生まれ、それを少しずつですが共有していきます。サードプレイスの様な理論を持ち出したり、文化と経済の持続的発展のようなまちづくりを定義したりしていきます。
その結果、地域社会で失われつつあり、これからの時代でより重要となるファクターは「多世代交流」であると至り、その創出のために改めて民間図書館を「地域の多世代交流が自然と生まれる場所」と定義します。
理念の共有と事業の展開
こうして、自分たちの存在意義と提供したい価値を明確にし、ただひたすらに図書館を増やしていきます。数年間ですが怒涛の勢いで100か所近くまで増やし、事業づくりに邁進します。最初の0-1フェーズと1-10フェーズの次の段階です。当然のことながら段階によって僕の役割も変わっていきます。事業づくりから組織づくりに変わったと今振り返ると思います。
あまり中期的な視点での運営をしていなかったので、総て後からの検証ですが、理事を増やして意思決定手続きを明確にし、理事を公募してガバナンスを強化、多様性を重視し年代に幅を持たせ、誰でもオブザーバー参加できるようにしてオープンにしていきます。計画性は無かったものの、今振り返ってもそれなりに必要な手を打ってきたのではないかと思います。
そして最後に、組織の継続性を最優先した時の選択が代表交代でした。19で始めた団体ですから、70歳ぐらいまで働くと半世紀もの間代表が変わらないわけです。企業であれば構わないと思いますが、散々地域活性を謳ってきたNPOですから、当時の僕のガバナンスについての倫理観では、自分が代表を続けることが許容できずに、数年の移行期間をもって退任に至ります。
(とか言いつつシレっと代表復帰しているので何も言えませんが、長くなるので別の機会に)
地域力研究所の設立
意義もあり、型もできた図書館事業ですが、事業発展と共に捨てたものもありました。本以外の部分です。たくさんの図書館を維持管理し、これからも増え続けるであろうNPOの図書館事業は、限られたリソースを本に関する部分に集中することで発展しました。結果、全国に広がると共に本以外の事ができなくなりました。
NPO代表を降りた私は、組織づくりではなく、元の事業づくりからやりたいと思い、空き家再生事業に取り組みます。千葉県内にエリアを限定し、一つ一つに手間をかけて再生していくこの取り組みは、NPOでどうしても諦めざるをえなかった部分が詰まっています。
外から見ると大して違いはないように思うかもしれませんが、今までの経験と勝ちパターンを活かしつつ、自分のやりたい事を少しずつですが形にしていきます。結局、どこの空き家も本に関わる施設になっていますし、数を増やしているので、本質は変わらないなと自覚はしているのですが、それでもひとつ一つに今までよりも時間をかけられるようになったのは、僕にとってはとても嬉しいことです。
そして針鼠書房
情報ステーションで図書館を作り、本をきっかけに人が集まる取り組みを進めました。地域力研究所では空き家を再生し、建物を生まれ変わらせることで空間資源を社会で共有する取り組みを進めています。
今回、個人で取り組む針鼠書房は、いままでの本や空間の経験を凝縮したうえで、人に軸を移した拠点を目指したいと思っています。
皆さん普段図書館に行きますか?本屋さんに行きますか?これはきっと本屋さんの方が多いでしょう。だから今回、僕は本屋さんを作るのです。もっと皆さんが行きやすくするために。
本を買って読むときに、人を感じますか?その本は誰かが書いています。その本は誰かがデザインしています。その本は誰かから買ったはずです。その人たちの顔が浮かびますか?色々な人が携わってその本はいま貴方の手に渡りました。それをもっと感じて欲しい。
本屋さんなので本売りますが、別に買わなくても良いんです。図書館も兼ねるので無料でお貸しします。でもちゃんと返しに来てください。返さないと針鼠に刺されます。
ここも僕が色々な場所で取り組んできた社会づくりの一環です。むしろ本拠地といってもいいかもしれません。でもここで多世代交流しなくても良いんです。色々なことがつながればそれで充分です。
地域社会と多世代交流
世の中は色々な人で構成されています。社会とはそういうものです。全体としてはそうなんですが、細かく見てくと小さなコミュニティがたくさんあって、社会とはその集合体です。このコミュニティ、放っておくと同質化して排他的になっていきます。仕組みや意志の力でそうならないようにすることもできますが、本質的にはそういうものです。
現代の経済はそれをさらに加速させます。例えばフィットネス、女性専用だったり、ハードな物だったり、年配の方がゆっくり過ごす場だったり、ターゲットを絞り、そこに向けたサービスに手中することで収益性を上げていきます。
つまり、世の中は自然に分断されていくのです。その一つ一つの中にいる分には、そこそこ居心地も良いでしょう。しかし、全体では色々な人で構成されているので、あまり内向きになってしまうと自分の枠から出れなくなってしまいます。
だからこそ、色々な人と接する機会を持ち、適切なコミュニケーションを持てる能力を持たなければ、現代社会はとても生きづらいでしょう。
さて、子供が生まれて保育園に預けるのが当たり前になった現代、小中高と誰もが進学し、大学も全入といわれる中、今この国に生まれる子どもたちは生まれてからの約20年間を、同い年の友人らと教室の中で過ごします。
兄弟のいない子も多いでしょう、おじいちゃんやおばあちゃんと同居している子も少ないでしょう、家には両親しかいません。部活動や習い事でもせいぜい一つ二つしか歳の違わない同世代だけでしょうし、どこに行っても先生の保護下です。
そんな環境で20年にわたり育った子どもたちが、就職を機に、先生も同級生もおらず、あらゆる世代、様々なバックグラウンドを持った人たちに囲まれた社会に放り出されるわけです。
かつては家の前の道路で遊んでいれば、近所の色んな人が声をかけてくれたかもしれません。でも今はマンション内で挨拶禁止なんて貼り紙がされる時代です。失われたものを嘆いても元には戻らないので、必要ならば新たな環境を作っていくしかありません。
いまの僕には、本に関わる活動しかできませんが、この針鼠書房を拠点に、少しでも様々な人が自由に集えるオープンな場を増やしていけたらと思っています。
岡直樹