アンニョンハシンミカ。
私は「学校沿革室」の沿革展示エリアの「写真」を担当している50期卒業生の盧琴順(ロ クムスン 로금순)です。
朝鮮新報社の編集局写真部に所属していることから今回声をかけていただき、スタッフとして携わることになりました。
現在、メインである沿革展示エリアに展示される年表に沿った写真と、年代別に展示する学校生活の写真を整理しています。
私が勤務する朝鮮新報の編集局には、写真は1940年代から、フィルムは50年代からのものが保管されていて、その管理も任されています。
またデジタルは2001年から現在までの写真があります。
朝鮮新報に保管されている写真、また学校に保管されている写真から東京中高の75年の歴史に関連する資料を探す過程でたくさんの出会いがありました。
例えば、60年代に入ると学校生活を撮った写真の質(構図や色合いなど)が急激に良くなります。なぜかというと、その時期に東京中高に写真部が創部されたからです。
当時の部員の一人が、かつて私の上司だった文光善さん(17期)なのですが、文さんが在学時代に撮影した学校生活の写真が朝鮮新報の写真資料として保管されていました。
写真部創部の前と後では写真の質が違うというのもまた学校の歴史の一コマです。
それを知った後に保管写真を見るとまた違った面白さがあります。
今では有名になられたあの方や、お世話になっている大先輩であるあの方もアイパー時代があったんだ!
あの人も聖子ちゃんカット!
昔の運動会の集団体操(組体操)は今とけた違いの規模で凄い!
年代ごとに写真をながめると当時の時代背景もわかって楽しさ倍増です。
自分のアボジ、オモニの朝高時代の写真にも出会いました。
両親にも私と同じ朝高3年間の思い出があるんだとしみじみ感じました。
色褪せた写真の中の十条駅、運動会でスローガンを叫ぶ朝高生、組体操で高く組まれた人間ピラミッドやタワー、チマチョゴリで笑い合う姿や教室でふざけ合う姿、祖国の人たちとの交流、教育権利獲得のためのデモ、スポーツ大会で汗を流す姿などなど。髪型や服装、時代背景は違いますが、十条駅の改札を通り、あの校門をくぐって、友達と笑い合い、部活に汗を流す姿は昔も今も変わりません。
ハルモニ、ハラボジ、オモニ、アボジ、私たち、そして今ではその子どもたちがこの中高に通い、青春を過ごしています。
朝高卒業生という連帯感や大切な思い出を共有できることの素晴らしさを伝えられる沿革室を作りたいと思っています。
「おとなは、だれも、はじめは子どもだった(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない)」
私が好きなサン=テグジュペリの言葉です。
沿革室を訪れる卒業生たちが、「みんな昔は朝高生だった」と当時のことや学校で誓い合った友人たちとの約束などを思い出してもらい、また卒業生としての誇りを改めて感じて、今も続く日本政府の差別や弾圧にも屈せず胸を張って母校で学ぶ後輩たちの頼もしい姿を見てもらえるよう取り組んでいきたいと思います。
沿革室が完成したらそこからが新たなスタートです。
今後、アーカイブなどで写真を見せていく企画もあります。
もし自宅に眠っている写真があればご提供ください。
よろしくお願いします。
협력 부탁드립니다.