(展覽會を報じる新聞記事。明治44年10月19日付山形日々新聞より)
(株)文化財マネージメントの宮本です。
プロジェクト本文にも書いたとおり、今回修復を目指す高橋源吉《最上川(本合海)》は、山寺村の村長であった伊澤栄次が観光推進のために企画した「山寺油絵展覽会」に出展されたものです。
そして、その展示会場はなんと立石寺の根本中堂でした。
ここでは「山寺油絵展覧会」とはどのようなものだったか、当時の新聞記事から詳しくみてきたいと思います。
まず展覧会場について。
山形新聞の記事です。
「根本中堂の前に立つと特別保護建築と筆太に書いたのが目につく、一方には油繪展覽會と之れ亦筆太に書いたのが目に這入つた」
(明治44年10月20日 山形新聞「山寺に遊ぶの記」より抜粋)
会場となった根本中堂の入り口には、展覧会の看板が掲げられていたようです。
(現在の根本中堂入口。墨書きの板看板が掲げられていたのでしょうか)
さらに、山形新報の記事です。
「會場は根本中堂佛殿の左右れう廓にして出陳點數約五十餘」
(明治44年10月19日 山形新報「山寺の油繪展覽會 根中主堂の威觀」より抜粋)
作品は根本中堂入ってすぐの外陣に展示され、全部で50点余りあったようです。
かなりの展示数です。
展示された源吉の風景画についてはどうでしょうか。
山形日々新聞につぎのように書かれています。
「高橋氏が作品たる天狗岩、山寺全景、面白山瀑布、最上川等は何れも運筆の自由と配色、光線の宜しきを得眞に迫りたる佳作なり」
(明治44年10月19日 山形日々新聞「山寺油繪展覽會 參考品頗る移し」より抜粋)
太字の作品は今でも残っているものです。
「天狗岩」が《天華岩》、「山寺全景」が《山寺全景》に、そして「最上川」が今回修復を目指す《最上川(本合海)》にあたります。
(高橋源吉《天華岩》山寺芭蕉記念館所蔵・伊澤家旧蔵)
(高橋源吉《山寺全景》将棋むら天童タワー所蔵)