Original story
<ここではプロジェクトのストーリーで伝えきれなかった原文を公開しています>
かなりの長文で文章のみにはなりますが、当プロジェクトにご興味をお持ちいただいた方でお時間のある方は、ぜひご一読いただけると幸いです。
私たちが作っているもの
最初に、自己紹介と私たちが作っている焼き菓子について説明します。『水曜屋』店主の中井恵(なかいめぐみ)です。岩手県北上市在住、クッキーを焼き始めて30年程になります。その多くを口コミで広げていただいたクッキーは、ご近所さんから始まり、今では全国各地にお届けできるまでに成長し、ただただ感謝です。
2011年3月11日に発生した東日本大震災以降、原発事故に起因した食の安全に対する人々の意識の変化に伴い、お客様から原材料についての問い合わせがずいぶん増えました。そのことが、これまであまりこだわらず使っていた材料を見直し、できるだけシンプルで明確な材料を使う商品作りを心掛けるきっかけとなりました。具体的には、マーガリンからバター・生絞胡麻油、バニラ香料からバニラビーンズに変え、膨張剤の使用をやめたことです。パンには主にバターとこめ油、きび砂糖を使っています。それによって原材料にかかるコストが大幅に増えたため、規格変更を余儀なくされました。当初は商品が『高くなった』『ずいぶん小さくなった』などのご意見もありましたが、時間をかけてご理解を頂いてまいりました。今では、それが店と商品に対する信頼を得ていると実感しております。
水曜屋の始まりはチョコチップクッキーです。ボリュームのあるチョコとクルミのクッキーは当時から人気がありました。まもなく『すごくシンプルなクッキーが食べたい』の声から生まれたのが、バニラクッキーです。これが、今や『水曜屋といえばバニラクッキー』と言われるほどの人気商品となっています。現在、通年商品としてクッキーが約20種類の他に季節商品がありますが、その中にはお客様の声から生まれた商品も少なくありません。チョコチップクッキーを代表するカントリークッキーや、軽いくちどけが人気のバニラクッキーをはじめとしたさくさくタイプのクッキーなど、食感やテイストをお好みでお選びいただける豊富なラインナップとなっています。
クッキーとの出会い
そんなクッキーは、私にとって最も親しみのある特別なお菓子です。おやつを野山で探す子供時代の私にとって、アメリカ人の隣人が焼いて下さるクッキーが本当に美味しくて、それはまさに至福のおやつでした。9歳の頃、田舎の山暮らしだった私は、生まれて初めてお店で売っているクッキーを目にしました。それは隣町のパン屋さんで、きれいに焼けた美味しそうなパンが所狭しと並ぶ中、私が目を奪われたのは、ショーケースの一番端で、硬いプラスチックケースに収まった、ふたを金のテープでぐるりと留めてある絞り出しのクッキーでした。店内で焼かれたクッキーだとわかると「食べてみたい‼」という衝動を抑えきれず、「パンはいらないから」と親に頼んでなんとか買ってもらいました。ふくらむ期待でフタを開けて、きれいに絞り出されたクッキーを口にした時に「あれ⁉」と思いました。戸棚の奥のような匂いがして、食べているうちに悲しいような寂しいような何とも言えない気持になった事を覚えています。そして、なぜそのクッキーがショーケースの端に置かれているのか、子供ながら分かった気がしたものです。そのクッキーとの出会いから「本当に美味しいクッキーを知ってもらいたい!」そして徐々に「自分で美味しいクッキーを焼けるようになりたい!」という思いに変わりました。やがて進路について考える頃になると、やはり食に関わる職以外は考えられず、高校卒業後は大阪の調理師専門学校に進み、その後調理の仕事に就くことになります。
スタート地点
思い返すと、多くの出会いと幾度もの転機を経て現在に至ったわけですが、最初の転機は平成が始まったばかり、結婚後すぐのことでした。その頃はまだ趣味の範囲でクッキーを焼いては知人に配ることを繰り返していましたが、ある日、「お金払うから売ってくれない?知り合いも買いたいって言ってるんだけど」と知人に頼まれたのです。クッキーは焼けるものの販売に関して何の知識もない私は「いいよ」と簡単に答えましたが、同時に「お金を頂くという事は『売る』事になるから許可が必要らしい」と知りました。その頃住んでいた湯田町(現在の西和賀町)の借家には物置があり、家主の許可を得て小さな工房を作り「週に一度まとめて焼こう!」と水曜日だけの小さな店をはじめました。カントリータイプのチョコチップクッキーをメインに2~3種類の焼き菓子を玄関先に並べただけの小さな小さなお店、これが<水曜屋>の始まりです。
一坪の夢の実現
玄関先での水曜屋をはじめて2年たった頃、家庭の事情から居を移す必要があり、店を閉じて北上市に家を持つことになりました。一坪ほどの小さな店舗スペースを増築し、1996年5月10日<水曜屋>の新たな始まり、私の夢だった「クッキーが主役」のお店です。表通りから一本入った静かな住宅地で、子育てをしながら一人きりで週にたった数日の営業。宣伝らしい宣伝もできず、今のようにナビやSNSも未発達の時代でしたが、まさに口コミだけで多くのお客様が足を運んで下さいました。子供も仕事も増え一人で仕事を回しきれなくなった頃、初めてスタッフを一人迎えましたが、お互い同じ年頃の子育てをしながらでしたので、飲ませたり寝かせたりおんぶしたりしながら営業を続けました。バタバタで大変だったはずの当時が懐かしく、数々のエピソードを思い出すと、今でも思わず笑みがこぼれます。
苦難の移転
営業を始めて13年ほど経った頃には徐々に注文も増え始め、作業場も手狭になり増築を考え始めた頃、今度は家を手放さなければならない事態が起きます。長男が高校三年、末の五男が小学一年、5人の子育ての最中でした。8人家族が暮らせて尚且つ店が続けられる所などあるだろうかと途方にくれましたが、同じ町内で住まい兼店舗を貸していただけることになりました。「子供たちを育て上げるまでは何としてもここで頑張らねば」という漠然とした焦燥感と、「果たして本当に店を再開できるだろうか、、、」という不安が交錯する中、思いがけず厨房機器を格安で揃えることができ、「運んでやるから」と車を出してもらうなど様々な協力を得られ、あれよあれよと店の準備が進んでいきます。ありがたいことに、引っ越し当日もたくさんの助っ人が駆けつけてくれました。山積みの荷物の間に布団を敷いて日付を跨いだ頃やっと眠りにつき、3時間ほど経ったあたりに闘病中の義父の急変を知らせる電話が鳴りました。一週間後にオープンを控えた中での義父との別れは崩れ落ちそうな痛みでした。そんな窮地の日々を「水曜屋はみんなの店だからね」と言って、常に誰かが来て支えてくれました。その言葉はこだまのように私の中で響き続けています。義父を見送った翌日2009年8月19日、現スタッフと三人「来てくださった方が笑顔で帰れる店にしていこう」とこれまでの場所での営業が始まります。
つながり
新たなチャレンジのきっかけはいつもお客様が運んで来てくれました。ある時は「アーティストのファン交流にオリジナルの商品を作ってほしい」、また「このスポーツを表現した商品を作ってほしい」、「受験をする生徒への応援クッキーを焼いてほしい」など様々。贈る方の思いをどこまで表現できるか考えるのは、大変でもありますが楽しい作業です。「北上から遠く離れたところで結婚式を挙げるから、ぜひ水曜屋さんのお菓子をゲストに配りたい」という依頼を頂いたときは、その披露宴会場のクオリティの高さに腰が引けてしまい、その想いに答えられるだろうか、、、と不安になりました。けれども人生の大きな節目にふさわしいものにしようと心を込めて用意させていただきました。これまで個人・企業問わず多くの方が私たちの商品の販売ルートを拡げ、宣伝してくださり、私たちの知らない新しい情報を提供して下さる方、勧めて下さる方もいらして、中でも2015年からふるさと納税事業に加えていただいたのは大きな変化です。それまでは日々の仕事、目の前の事しかありませんでしたが、北上市の税収に関わることを通して返礼の心構えや、全国の寄付者の方々へ商品を無事にお届けするための工夫などについての意識に大きく刺激を受けました。私たちは子育ての最中で遠くへ出かける機会がなかなかない中、返礼品は南の端から北の果てまで本当に全国各地への発送です。「これは沖縄だね」「今度は北海道」「滋賀ってどの辺りだっけ」と、まるで自分たちがそこに足を運ぶかのようなワクワクした思いで、ひとつひとつ心を込めて発送作業をしています。
新天地へ
そんな日々も10年が過ぎた昨年末、同居の父が大雪の除雪後に動けなくなりました。検査で歩行に痛みを伴う足の骨の問題があることが発覚します。これまで借りていた建物は構造上2階が生活拠点になります。80歳になる父は今まで毎日階段を何度も上がり下りして生活してきましたが、この問題を抱えてここでの生活は難しいと判断し、移れる物件を探し回りました。店を続けながら生活できるところがあればと思いましたが、やはりそう簡単には見つかりません。スペースがあっても大改修が必要だったり店舗スペースが取れるとしても住居スペースが2階だったり、駐車場がなかったりで、なかなか「ここなら!!」と思えるところが見つかりませんでした。気持ちも折れかけて半ばあきらめかけた時に、やっと一つの物件と出会います。気持ちの良い広々とした敷地に建つ住居は今後の生活に充分でした。直近の問題は生活の拠点でしたので、店の事はひとまず置いてそこに決めました。さて、ここに移るとなると早急に店の事を考えなければなりません。今後について改めて考えた結果、「私たちはこれからも人と人とのつながりと気持ちを伝える商品を、ここ北上で作っていきたい。これまで培ってきた関わり全ての集大成の場となる工房が欲しい‼」という想いに至りました。
私たちの手元に今あるのもは
1)お客さまとのつながり
2)店を通して築き上げてきた関わり
3)オーブンをはじめとする厨房機器一式
4)現在の厨房を作るときに使用したもので再利用できる建材
5)工房を立てられる敷地 です。
その上で、私たちに今後必要なのは店を続けるために営業許可の取れる工房です。
これまでお借りしていた所を出るときには、現店舗を片付けて元に戻す必要があり、手持ちの資金はそれで精一杯です。そこで融資を受けてなお不足の部分についてはクラウドファンディングの力を借り、自分たちに必要な工房を建て今後も水曜屋を続けて行くため、このプロジェクトを立ち上げました。移転先は北上市内の街中ではありませんが、近くにある大きな工業団地は活気があり、周辺には保育園、小・中学校が隣接しのどかな場所です。また敷地には手入れを楽しんでおられたことが容易に想像できる広い庭があり、今後足を運んで下さったお客様の目を楽しませてくれそうです。
これからの目指すかたち
毎日毎日、与えられた環境の中で精一杯、今できることの積み重ねで歩んできた31年間です。立ち止まって具体的な「ビジョン」など描いたことはありませんでした。今描くのは、大通りに面した立派な店舗というより、のんびりした郊外に構える、こぢんまりとした工房や直売所のイメージです。これまでも、お客様から新しいアイディア・ご意見・ご提案等を頂いて様々な商品作りにチャレンジしてきました。その後店頭に並べるまでになった商品や、うまく素材を生かせず商品化できなかったものもあります。今後も地元の産物を活用した商品を試行錯誤しながら作り続けたいと思います。じっくり手間をかけて、フルーツならドライやコンポートなどに加工してクッキーやケーキに、野菜やお肉はカレーやミートソースにして一からパンやピザを焼きたいなど夢は膨らみます。そんな地元に愛され喜ばれる楽しい工房が、私たち水曜屋の次に目指すかたちです。「お金を払うから売って」の声がなければ、そもそも店を始めることはありませんでした。その時のSさんの声をいつでも思い出します。今は亡き母の介護で居を移さなければ次のステップもありませんでした。長沼での開店は母の誕生日の5月10日です。その家を手放さなければならなくなって、これまでの場所に移った時から水曜屋は今の三人体制になりました。三人で一つの商品を作っています。そのうちの誰が欠けても商品として完成しません。そして「みんなの店だからね」と言って応援してくれる友人たちや家族の支え、何よりもわざわざ足を運んで下さるお客様あっての水曜屋です。また、材料を運んで下さる方々、その材料を作って下さる方々、数えたら世界の果てまで沢山の方々あっての水曜屋です。私たちも全力で誰かの喜びとなれるように、覚悟をもって、ぜひこのプロジェクトを成功させ地元に愛され喜ばれる水曜屋を続けていきたいと強く願っています。
このプロジェクトはAll-In方式となり、いただいたご支援金は、同市内移転先の住居前に工房を構え、水曜屋の営業を再開させるための準備資金とさせていただきます。
何卒みなさまのご支援をよろしくお願いいたします。