鎌倉教場の「今」をお伝えします。
今回は「場の空気を一変させるような射」についてです。
流鏑馬は神事です。
世界の平和と人々の幸せを祈り、的を射ます。
単なる武芸ではなく、自分のためではなく、人のための「射」であることが最大の特徴といえます。
何よりも射手の心の持ちようが大切なのです。
もっとも、流鏑馬における「射」は、全力で走る馬上から矢を射る行為ですから、形式的には武芸です。
しかも、手綱から両手を放して、大きな所作で弓を構え、馬場末(ゴール地点)で急激に停止する、という一連の流れは、技量が伴わなければ危険です。
そのため、一定の技量が認められなければ射手の認可を受けることはできません。
やはり、射手の技も大切なのです。
また、流鏑馬に使う馬は、「走る速さ」「反動の大きさ」「停止のしやすさ」など千差万別で、それによって乗りこなすための難易度が異なります。
まずは簡単な馬に乗り、技量が認められれば、徐々に難しい馬に乗るという流れになります。
中でも、スピードが速く、且つ全速力のまま馬場末に突っ込むような特に難しい馬に乗るには、一定以上の技量がなければ危険であることから、技量十分と認められないことには、挑戦することすら許されません。
さらに、安全に乗れることを大前提として、射手には、馬上で上下動しない完ぺきな立ち透かし、美しい射形、鋭い矢勢が求められます。
難しい馬に乗るほど、射形が崩れやすいため、難易度の高い馬に乗り、且つこれらを全て満たすことができる射手が一流と評されるのです。
かくいう筆者は、狙い過ぎたり、速い馬に乗ったときに射形が崩れるので、恥ずかしながら、一流のレベルには到底及びもつきません。
その上で、これらに加えて、溢れんばかりの気迫により「場の空気を一変させるような射」ができることが目指すべき超一流の姿とされています。
単に気合を込めれば良いというものではなく、速い馬、完璧な立ち透かし、美しい射形、鋭い矢勢、気迫のいずれも十分であって初めて実現できるものです。
これらを備えた射手が馬場を駆け抜けると、観客の誰もが息の飲み、会場の空気が一変するといわれています。
現在の師範も含め、かつて、こうした射を行える射手が数名いましたが、最近は、大日本弓馬会の流鏑馬で、そのような射を披露できていないと評されています。
そのため、今年7月のオリパラ流鏑馬をはじめ、様々な事業を行い、国内外に流鏑馬の魅力を伝える努力をしてはいますが、本当の意味での流鏑馬の魅力を伝え切れていないのではないか…と自問自答する日々です。
射手の技量を高めるには、良い指導者、素直な心、飽くなき向上心、そして、恵まれた稽古環境が欠かせません。
そのうちの「稽古環境」は、馬場と馬に委ねられます。
この点、馬場については我らが「鎌倉教場」は最高の環境です。
これだけの馬場で稽古を積める機会に恵まれている以上、上達しない言い訳にはできません。
大日本弓馬会といたしましては、更なる技量向上を図るべく、稽古に邁進してまいります。
そのためにも、この馬場を更に有効に機能させるための更衣室と水と馬の日除けは欠かせません。
皆様の温かい御支援をよろしくお願い申し上げます。