このたびのクラウドファンディングも、明日が最終日となりました。
皆様の御支援のおかげで、目標達成を達成できました。
改めてお礼申し上げます。
引き続き、大日本弓馬会の流鏑馬に対する皆様からの応援をよろしくお願いいたします。
鎌倉教場の「今」をお伝えします。今回は「海外遠征」についてです。
大日本弓馬会では、数年に一度、海外で流鏑馬を披露してきました。
ここ30年間では、1991年にパリ(フランス)、1992年にボン(ドイツ)、1995年にサンパウロ(ブラジル)、1997年にパリ・ニース(フランス)、1998年にウランバートル(モンゴル)、2002年にマナーナ(バハレーン)、2006年にマスカット(オマーン)、2018年にイスタンブール(トルコ)に遠征しています。
2006年から2018年まで12年間も海外遠征がありませんでしたが、2014年にはオバマ元米国大統領が国賓として訪日した折に、明治神宮で流鏑馬を披露しているので、国際親善への貢献は欠かしておりません。
とはいえ、ここのところ、海外遠征が少なくなっていることは確かです。
実のところ、2020年にアーヘン(ドイツ)に遠征する予定があり、同年2月に現地下見・現地打合せ・馬の下乗りのために大日本弓馬会から3名がドイツ入りしたのですが、折からのコロナ禍のため延期され、翌2021年には他の行事との兼ね合いから遠征することができず、参加を断念したという経緯があります。
次の海外遠征がいつになるか、待ち遠しい気持ちもありますが、それはそれは準備が大変なので、筆者のように裏方として事務面に精を出している者からすると、恐ろしい未来でもあったりします。
直近の海外遠征であったトルコでの流鏑馬について、2018年の大日本弓馬会の会報誌「蹄の音」に掲載したことがあるのですが、今回の活動報告では、その内容を簡単に紹介いたします。
2018年5月9日から13日まで、トルコ共和国イスタンブール市のイェニカプ広場において、Ethno Sport Culture Festival(伝統国技・文化祭典。以下「本祭典」という。)が開催されました。
本祭典は、世界各国から伝統文化の保存・実践をしている団体を招待し、会場で披露するもので、トルコ共和国が国を挙げて実施している国家的行事です。
2018年には、日本から流鏑馬の保存・実践団体として大日本弓馬会が招待されました。
本祭典において日本からの招待は初めてのことです。
大日本弓馬会が招待された経緯は、日本とトルコ共和国が友好国であること、多くの御縁に恵まれたこと、トルコ共和国にも騎射文化が保存されていること、などが挙げられます。
それだけに大日本弓馬会に対する主催者からの期待は並々ならぬものがあり、9日の開会式直後から12日までの間に6回も流鏑馬を実施することを求められ、そこまで求められたのならひと肌脱がないわけにはいかず、それに全て応えることになり、大変な大イベントになりました。
流鏑馬の維持保存には、実践が欠かせません。
机上の理論だけでは決して伝えられない技や極意などがあり、これを実践により習得し、伝承することが必要不可欠です。
そのためには、有意義な実践の機会が何よりも重要です。
この点からすると、外国での流鏑馬は大変厳しいものですから、この実践は流鏑馬の保存に大きく資することとなります。
不慣れな環境、不慣れな道具類、現地で調達した不慣れな馬など、厳しい要素は枚挙にいとまがありません。
中でも最も厳しいのは、ごく短時日で現地の馬を乗りこなさなければならないことです。
特に、大日本弓馬会が支援する武田流の流鏑馬は「難しい馬」「速い馬」を乗りこなすことを身上としていることから、外国で馬を借りる際も、「速い馬を借りたい」と要求していますので、より厳しさが増すこととなります。
本祭典で用いた馬も、暴れ馬、止まらない馬、速すぎて狙えない馬ばかりでした。
これら本祭典のために準備された馬たちは、過剰な前進気勢を抑えるため、普段は「大勒銜(たいろくはみ)」という手綱を引くと馬の口に強い作用をもたらす轡を装着していました。
これに対して、日本の古式馬術で用いる轡は「水勒銜(すいろくはみ)」という緩やかな作用の馬具で、武田流の射手たちは、この水勒銜を現地の馬につけ、流鏑馬に挑むこととなりました。
そのため、現地の馬の管理者から「危険すぎる。君らの安全は保障しない」と告げられる始末でした。
しかし、だからといって、武田流の射手たちは、日本の伝統文化の担い手であるとの自覚を持っているため、郷に入っても郷に従ってばかりはいられません。
決死の覚悟で、普段日本で用いているとおりの流儀で流鏑馬に臨み、大変な試練を味わうこととなりました。
その苦労はまさに筆舌に尽くしがたいのですが、結果として、これらを乗りこなし、見事に流鏑馬を披露した射手たちの技量は、本祭典をとおして相当に磨かれたことは間違いありません。
その意味では、大変な苦労が伴いましたが、これを苦労と呼ぶのではなく、この試練を経験できたことは、射手冥利に尽きる幸福であったといわなければならないでしょう。
まさに、今後の流鏑馬の保存には欠かせない経験であったと考えます。
また、流鏑馬を催行するには、道具類の準備も欠かせません。
和鞍や和鐙などの馬具や、射手の装束類は日本から持ち込みましたが、的周りの資材や陣幕を張るための支柱などは、サイズが大きく輸送が困難であることから、現地で調達するしかありません。
そのため、本祭典の数か月前から、会場候補地を視察し、必要な道具や資材などを図面化して現地関係者に調達を依頼するなど、綿密に調整しながら準備を行ってまいりました。
また、5月に現地入りしてからも、現地の職人さんがこちらの要望に対して迅速に対応してくれたり、大量の道具類を持ち込む大日本弓馬会のために、専用の控え室を3つも用意してくれるなど、主催者側から大変な尽力を得ることができました。
結果として、5月9日に1回、10日に2回、11日に2回、12日に1回の合計6回の流鏑馬を無事に成功させることができました。
この間のエピソードは紙面に収まるものではなく、機会があれば別稿にて申し上げたいところです。
当日現地で観覧した多くの方々からお褒めの言葉を賜ったばかりでなく、日本のニュースや新聞各紙にも取り上げられ、大変な反響がありました。
また、それに輪をかけてトルコ国内での報道がすさまじく、全局で取り上げられたとのこと。
外国において、これほどまで大きく流鏑馬が取り扱われることはそうあることではありません。
この点は、大日本弓馬会の成果としてだけでなく、日本の伝統文化たる「流鏑馬」の紹介・普及、流鏑馬を契機とする国際親善という点で、極めて大きな成果であったと考えます。
本祭典に参加して、技量の向上・経験の蓄積・広報の拡大など多くの成果を上げることができました。
ただ、これで満足していてはいけません。
このような活動を継続していくことが、流鏑馬の、ひいては日本のために必要であると改めて認識する良い機会でもありました。
大日本弓馬会の一員として果たすべき責務の重さに、一同身が引き締まる思いがいたします。
このように海外での流鏑馬演武は、流鏑馬の広報周知、普及発展に絶大な効果をもたらします。
過酷な事業となること確実ですが、それを補って余りあるといえます。
しかしながら、そのためには海外の人たちに一目で「神事としての流鏑馬」「武芸としての騎射」を理解してもらい、感動を与えられなければなりません。
やはり、日頃の稽古に裏付けられた実力こそが物を言うのです。
私たちは、鎌倉教場という最高の稽古環境を与えられています。
国内での神事のために稽古に励み、準備を整えておくことは当然として、今後の海外遠征にも備え、引き続き猛稽古を積んでまいりたいと思います。
皆様の温かい御支援をよろしくお願いいたします。
ちなみに、トルコに1週間以上滞在していましたが、観光できたのは45分間のみでした。
バザールで家族と職場にお土産を買うだけでタイムオーバーです。
ひたすら流鏑馬づけの1週間であったことを申し添えます。
2021年12月15日(水)まで
伝統の技、流鏑馬の馬場に散水用設備、更衣室と日除けを!安心して稽古を続けるために