パクチー柄のTシャツを着初めてから、知人との遭遇確率が飛躍的に上がった。たしかによく目立つ。しかも、僕は数年前から、都内の移動は基本的に走っているので、他の大多数の人と動き方が違い、目に止まるのだろう。思いがけない場所で知人に会うのは、奇跡のようなものだと思っていた。プノンペンで一緒に飲んだ人と、バラナシのガンジス川のほとりで再会したことがある。バチカンの郵便局で突然名前を呼ばれて振り向くと、昔富士山を一緒に登ったことのある仲間だった。そんなことがしょっちゅう起こるようになった。その場で再会を喜び話し込むこともあれば、さっき◯◯で走ってたよねと連絡をもらいSNSで連絡を取り合うこともある。そして、再会は、思いがけない何かを産む。鋸南エアルポルトを立ち上げ、看板をつくった。緑地のコンパネに「エ」「ア」「ル」「ポ」「ル」「ト」と大書した。「エアルポルト」のことを「エアポルト」とか「ポルト」とか「エアボルト」とか呼ぶ人がいる。つまり、この新語はちょっと覚えにくい。でも、薄っすら記憶に残すのが、SNSのいいところでもある。長狭街道の出口に鋸南エアルポルトはある。道の駅保田小学校を訪れ有名な食堂ばんやへ向かう時、鋸山を保田側から登る時、鴨川から内房方面へ向かう時、高確率で通ることになる場所に位置している。薄っすらとした記憶が、緑地のコンパネで目を覚ます。「ここだったんだ!」。鋸南に僕を訪ねてくれる人もいるが、思いがけず発見し、立ち寄ってくれた人も多い。今回、クラウドファンディングを実行していろいろな方から連絡をもらっており、数名から「旅行で行った時に見かけたよ」というコメントがあった。つまり、パクチーTシャツとノイズの少ない鋸南町の大きな看板は、僕と誰かの「再会」を生むメディアとなっている。僕に会うつもりでなく、鋸南エアルポルトにたどり着いた2つの事例を記そう。1例目は友人たちと鋸山にトレランの練習に来たキャシー。ある日、ゲストを見送った直後、後ろから走ってくる足音が聞こえた。「ここだったんだー」と聞こえ振り向くと、彼女がいた。彼女は友人たちと鋸山に行き、下山した後、ばんやで合流して一緒にご飯を食べた。彼女とはメドックマラソン(フランス)やコムラッズマラソン(南アフリカ)をともに走ったこともあるランニング仲間。ツワモノのトレラン仲間が、鋸山って低いわりにけっこうきつかったというので、何度か金谷港からエアルポルトまで鋸山で縦走して「通っている」という話をしたら、「鋸山を通勤」という言葉が刺さったらしい。僕はキャシーの仲間たちに「あれが通勤路っていうのは本当にすごい」と繰り返し唱えられ、いつもそのルートで通うべきだと思い込まされた。キャシーはエアルポルトのサポーターとして、その後、テレワークなどをしに頻繁に来てくれるようになった。そして、GREEN NUMBERの名で自らが製造・販売するアフリカ布の商品(スカート・パンツ・小物など)を、エアルポルトで販売するようになりました。元々ファッション館フナトという洋品店だった場所なので、そこに服が並ぶのは、ちょっと嬉しい出来事でした。それを見て、大家さんも喜んでくれました。2例目は、東向島珈琲店の井奈波さん。再会するまで全然知らなかったのですが、コーヒーポーターを鋸南ビールと一緒に開発したため、時々息抜きがてら友人を連れて南房総地域に日帰り旅行に来ているとのことでした。井奈波さんを紹介してくれたのは、パクチーハウス東京を立ち上げた直後ぐらいに店にいたお客さんです。初対面で「まちづくり」の話で盛り上がり、東(墨田区)と西(世田谷区)から一緒に東京を盛り上げましょうよ、と言ってもらったのが嬉しくて、しばらくして墨田区を訪問した際に連絡しました。その時に、墨田を盛り上げるキーパーソンとして紹介してもらったうちの1人が、井奈波さんでした。その後、全然別ルートの友人が墨田でシェアハウスを始めたり、墨田シャルソンが興ったりして、しかしその度に、やっぱり井奈波さんの名前を聞くことになりました。「エアルポルトの文字が突然飛び込んで来たから寄ってみました」と言って突然入ってきてくれたときは、最後に会ってから5年ぐらい経っていたでしょうか。以前から知っている方が、鋸南でビールを作っているなんてなんという奇遇だと嬉しくなりました。井奈波さんが来られたのは、エアルポルトを作った翌月だったので、僕がたまたま巡り合った鋸南には大いなる可能性があると確信しました。今回、パクチー銀行の機能としてカフェを作ろうと思った時、ぜひとも彼が作っているビールを仕入れたいと思い、先日、久しぶりに東向島珈琲店に行ってきました。これまでのこと、これからのこと、コーヒーのこと、いろいろ語って仕入れさせてもらうことにしました。次の醸造が2022年1月の予定とのことで、その時から、東向島珈琲店オリジナルのコーヒーポーター「 iles 」を鋸南でも飲めるようになります。
鋸南エアルポルト の付いた活動報告
ここでの報告が遅れましたが・・・。『房日新聞』2021年10月16日の紙面にて、「パクチー銀行」の実店舗ができることを掲載してもらいました。共同運営をする株式会社グリッドフレームの名前と「SOTOCHIKU」のコンセプトもバッチリ紹介されました。館山信用金庫の跡地が片付けしている→パクチー銀行をつくりたいこれは僕の脊髄反射的な反応でした。パクチー銀行を一種のアートとして存在させること、そして、それが無理なく運営できること。それが、「金融機関の跡地にパクチー銀行をつくる」と言い切るための条件でした。そこにグリッドフレームとの再会や同社の新しい動きと、鋸山が与えてくれたインスピレーションにより、パクチー銀行という「ありえないプロジェクト」は実行へと舵を切ったのです。鋸南町の中から、SOTOCHIKU素材が少しずつ集まってきて、じゃあこれをあそこに使おうというアイデアが湧き出し始めたところ。記事はそんなタイミングでした。普通の店舗物件と違うところは、入手できた素材によって内装が変わるということ。つまり、関係者の誰もが、完成形を知らないまま、物事が進んでいるということです。イノベーションが起こるときの「なんかよく分からないけど、いい感じ」という状態を維持しながら、日々変化していくことでしょう。これは開店前だけでなく開店後も同じです。「そういうのって面白いけど、すごく書きにくい」とおっしゃっていた房日新聞の記者の方、内容てんこ盛りでまとめていただきありがとうございました。ちなみに、『房日新聞』は安房地域+αのローカル紙ですが、今年の8月から電子版を強化して、読みごたえのある記事を増やしています。電子版のみの購読もできますので、安房地域のことを知りたい方、これから興味を持ちたい方はどうぞお読みください。https://bonichi.com/koudoku/