2021/08/19 12:00

宇野です。ついにこのクラファンも、残り36時間になりました。昨日、怒涛のように支援をいただいて、400%のネクストゴールを迎えることができました。いま、累計の支援者は860人。初版5千部の雑誌が800部予約注文されるのは、結構すごいことだと思います。そして、本当に助かります。

「Amazonにも大手チェーン店にも(できるだけ)置かない」という方針で立ち上げたのはいいのですが(そのほうが、読者と良い関係が結べると考えました)販売戦略としては頭を抱えるところです。いつも在庫の山と一緒に絶望している自分を想像しています。でも、こうやってしっかり読んでくれることがある程度保証されている読者のみなさんに下支えしてもらっていると思うと、安心して冒険できます。不安になったり、疲れたりするとこのページの支援のコメントを読んで、「あとは限界までクオリティを上げるだけだ」と自分に言い聞かせて仕事に戻っています。


さて、今日は鞍田崇『生きる意味への応答―民藝と「ムジナの庭」をめぐって』について紹介したいと思います。鞍田さんは哲学研究者の立場から「民藝」について扱っている人で、僕とは、何年か前に明治大学のシンポジウムで同席して知り合いました。その後、個人的に何冊か本を読ませていただいて、去年ロングインタビューをさせてもらいました。そして、このとき僕は自分の次の雑誌には絶対に書いてもらおう、と決めていました。

インタビューでもおっしゃっていますが、鞍田さんは100年前に「民藝」運動が無名の職人たちの仕事に見出していたものを、いまはーーこの「モノ」ではなく「コト」が価値を帯び、シェアされる時代においてはーー別のかたち(モノではなくコト)にあらわれていると考えている。そしてタイトルにもある「ムジナの庭」は、鞍田さんのパートナーである鞍田愛希子さんの主宰する福祉施設です。この「ムジナの庭」の構造に、意匠に、佇まいに、もっと言ってしまえば空間とそこに集まった人たちとの関係に、鞍田さんはかつて柳宗悦が民藝に見出したものの現在形を発見します。鞍田さんの人柄の出た、優しい文体のテキストですが、その展開はスリリングです。

そして、雑誌を読み通すとこの鞍田さんの論考が柳宗悦とアレグザンダーとを結びつけて、現代の情報社会の混迷の突破口を模索した井庭崇さんの論考と通じていることに気がつくと思います。僕は鞍田さん、井庭さんとまったく別のルートでそれぞれ知り合っていて、二人の交流に気がついたのはだいぶあとでした。今回の依頼もばらばらに行ったのだけれど、ふたりとも、それぞれの切り口で同じ問題を攻めている。こうした奇妙なシンクロニシティを生む「場」こそが、実は鞍田さんが「ムジナの庭」に見出している可能性でもあります。そしてこの『モノノメ』も、そういう「場」であればいいなと思っています。

紙の雑誌『モノノメ』創刊に向けたクラファンは8月20日(金)24時までです。支援はこちらから。