2021/08/20 12:01

宇野です。クラファン終了まであと12時間を切りました。繰り返しますがこのクラファンは事実上の先行販売予約を兼ねていて、最速かつ確実、そして特典付きで入手できます。迷っている人は、早めに支援をお願いします。今、971人なので、支援者1000人が見えてきました。本当に、本当に助かります……。この期待のぶん、一切妥協せず最後までクオリティを追求しますし、そして次号以降もしっかりやります。一瞬の打ち上げ花火で終わらせずに、粘り強く継続していくので、お付き合いよろしくお願いします。


さて、この進捗報告はクラファンが終了しても続けるつもりなのですが、今日が一つの節目なので改めてこの雑誌を通して僕がやろうとしていることについて書きます。


この雑誌『モノノメ』のコンセプトは「検索では出てこない」です。インターネットの記事ではなく紙の本だからそりゃあそうだろう、と思う人もいるかもしれませんが、問題はそこまで単純ではありません。前の10年(2010年代)はとにかくインターネット、特にSNSを通じて人間が実空間に「動員」されていた時代です。政治的なデモからアイドルの握手会、インバウンドから「インスタ映え」まで、スマートフォンの普及を背景に実空間が無限にタグ付けされていって、あらゆる場所がサイバースペースの延長になっていきました。そして、その空間では予め欲望し、そしてその欲望が自覚されたものとの予定調和のものとしか出会えなくなっていったのだと思います。SNSに動員された人は目的のものしか目に入らなくなるように、そして観光客が名所旧跡の前でウィキペディアを引き、絵葉書と同じアングルでセルフィーを撮って満足して帰るように。


SNSはインターネットを昭和の飲み会のようにしてしまったと僕は考えています。誰もが空気と潮目を読んで、誰かに「受ける」ために投稿している。しかし、そういう空間で人は何ものにも出会えません。この10年間、人々はサイバースペースのから都市に回帰しようとしていたのだけど、そこに罠があったのだと思います。つまりこの10年間は実空間がどんどんタグ付けされ、まるで「飲み会化したインターネット」=SNSのように何ものにも出会えなくなっていった時代だったわけです。たとえば一部の意欲的な書店員さんの自主的な努力が行われているお店以外、書店の棚はAmazonのランキングを見て配置が決められるようになっていった。これがこの10年に起きたことです。


そういった現実に、どう抵抗するか。僕なりに考えた結果の一つが、ちょっと変わったアプローチで紙の雑誌を創ることです。雑誌には、交通事故のような出会いがあります。目当ての記事「ではない」ものが偶然に目に入る。これが「レコメンド」なんて発想に囚われている今のインターネットではまだできないことです。そして、この雑誌は僕のこうした問題意識を共有してくれるに人にまず読んでもらい、次に「SNSやプラットフォーム(Amazonなど)に汚染されれいない場所」でそれをしっかり届ける。そして読んでもらった人を放置しないで、意欲のある人にはどんどんコミットしていく。まだ具体的には読書会くらいしか決めていないのだけれど、一緒に考え続ける場を用意して、継続的に一緒に価値を作っていく。そんな運動のような雑誌にする、というのが僕が考えていることです。


大喜利的に「世間(僕が一番嫌いな言葉です)」の提供する話題に「うまい」「共感できる」コメントをして座布団を稼ぐような言論ポルノが、いまのインターネットを支配しています。しかし、本来のインターネットはそうじゃなかったはずです。そこで、僕はまずインターネットを「遅く」使うこと、そして次に滅ぼうとしている雑誌、それも「総合誌」をこの「本来の」インターネット力で再生することを考えました。クラファンは終わりますけれど、これははじまりの終わりです。粘りづよくやるので、今後もよろしくお願いします。