(この写真は小林さんにお借りしました)
私とすぐ下の弟は二つ違い。温和で優しい性格なので、両親はよく「あ~あ、上のが男で下が女だったら良かったのに・・」と慨嘆していました(;^_^
家のすぐ近くに観音様があり、子供の頃の私は弟や友達とその境内でよく遊んだものです。お転婆の私は高いところから飛び降りて下駄(当時の子供の履物は下駄❣)を真っ二つに割って親に怒られたりしたけど、弟は高所恐怖症だったからそんな失敗は皆無。
でも、そんな弟が38歳で不治の病に罹ってしまい、従弟が勤めていた埼玉医科大学で療養することになり、私と嫁さんが看病のため交互に3時間かけて毛呂山に通うことになりました・・
ある日、私が病室に行くと弟は珍しく笑顔で、「夕べ、夜遅くに、凄~く綺麗な観音様がお供を2人連れて、そこの窓からはいって来たんだよ♡」と仰る。
病院の窓は個室で大きな窓だったから。3人並んで入っては来れるけど病室は6階。幻覚でも見たのかなと思ったけど弟には「ふーん、あ、そう!」みたいな返事・・
交代して龍ヶ崎に帰る道々、弟の話が気になって観音様に寄ってみることに・・
その時見た額に、あ、そうか・・だから観音様が来てくださったのか~と、納得した言葉が書いてあったのだけど、もう30年以上も前の話、言葉はすっかり忘失してしまった。
でもこの話が書きたくて、夕方急いで観音様に出かけ、賽銭箱の上に架かっている額を見を確認しに行きました。
けれど残念!当時の額はもう無かった(;^_^
境内に子供の頃一緒に遊んだ住職さんがいらした。幼馴染だから嬉しい。弟の肇のことを話すと「ああハジちゃん!(肇の愛称)覚えてるよ!三歳年上ですごく優しい先輩だったなあ・・」
病室に入ってきた観音様の話をすると、「確かに、観音様は二人お供を連れていますよ。観音様のお言葉は『抜苦与楽』と言うんですよ」教えていただいた。
『抜苦与楽』(ばっくよらく・・苦しみを取り除いて楽を与えてくださる)そうだ!あの額にそう書いてあった!
だから意味を調べて解ったときとき、すごく嬉しかったのだと納得しました。弟はその後39歳で夭逝してしまったけれど、優しい観音様の元できっと幸せに暮らしているに違いない。
今も私はそう信じています(^^)/
今日は長々と身内の話をしました。明日は何を話そうかな・・
今日もご支援、ありがとうございました<m(__)m>同級生のオミちゃんも苦労して支援してくれました。私の後ろにも観音様がいるかも・・幸せだなあ(*‘∀‘)