(またもや小林さん登場です。花が歌っているようでは?)
今日は本当はしめやかな日にしなくちゃいけないのに、クラウドファンディングを開いたら、またまたご支援があり、つい、キャッホー!になってしましました(;^_^
私の本音は、実は誰かがこの世を去ることがあっても、それはその人が現世でしなくてはならない修行を終えて、その人の神様が「もう、あなたはゆっくり休んでよいのですよ」と言ってくださっていると思うから・・こんなこと言うと「あら!この人なんかの宗教にはまっているのでは!」と引かれてしまうかもしれませんが、私は現状どんな宗教団体にも属していませんよ(^^
母方の祖父は奄美の出身でキリスト教に属していたのか、何度か日曜礼拝に連れられて行ったこともあります。
でも、私の中に根付いている神仏の存在や、割と仏教的な考えってどこから来ているのか不思議でした。と、言うのも私の育った家には(新宅だったので)仏壇がなかったので、仏教に触れることもほとんどなかったから。
もう忘れてしまいましたが昔、宮沢賢治の本を読んでいた時にやはり自分の中には仏教がいるかも、日本人として育つとちゃんといつの間にか身につくのかも、と、気づいたことがあります(^^)
ま、いい加減な宗教感であまり大きな声では言えないのですが、転生輪廻もあると思うし、現世は修行の場としか思えないし、お葬式は別に悲しいことじゃないと思う(この考え、誰かテレビに出てくる太ったおじさんの占い師と一緒で驚いたことがあるのですが・・)のです。
あれれ?話がどんどん横にそれたような・・・纏めますと、要するに、人は誰でも生まれてきてそしてこの世から去る、だから生きてる間にどんな風に考え、どんな風に行動するかを自分で選んでいかないと!
私は、絶対くよくよ悩まないことにしました(^^)/どんな壮絶な経験をしても必ず生きていれば立ち上がれるし、もしその時、生が終わるなら、それは今の苦労から解き放たれることだからおめでたいと考える。地球が生まれて4億5千万年、人類が生まれて200万年、そのうちの人生が100年とすれば、その人生なんて、宇宙の中では一瞬の火花のようんものではありませんか?
一瞬の火花の間俯いて悩んでいたら時間がもったいない。時計の秒針を見ていたら解るはず、秒単位で100年の寿命が減っていってるんですよね。
あらら、長々と持論を述べてしまった(;^_^と言うことで、皆さん「今」を、大切に元気で前向きに生きて行きましょ、一緒にね♡
今日はまたたくさんのご支援を頂きました。これって私の今の元気の元ですね(^O^)/
ありがとうございました<m(__)m>