はじめに・ご挨拶
はじめまして、藤家溪子(フジイエケイコ)です。長年、クラシック音楽の作曲家として、オーケストラや室内楽、合唱などのために作曲してきました。2019年から、縁あって西アフリカのブルキナファソの音楽家たちと共に、現地でオペラを作るという独創的な本プロジェクトを始めて2年近くになります。プロジェクトが大きく広がり始めた今、皆様にプロジェクトのチームメンバーに加わっていただけたらと願っております。これまでの経緯と想いを綴りましたので、少し長いですが、どうぞ最後までお読みいただき、共感いただけましたらぜひ、サポーター/オブザーバーとしてプロジェクトにご参加いただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
以下順に、1. このプロジェクトで実現したいこと、2. やろうと思った理由、3. これまでの活動、4. 主なメンバーの紹介、5. 実施スケジュール、6. 集まった資金の使い道、7. 皆様へのリターンについて記述させていただきます。
1. このプロジェクトで実現したいこと
アフリカは日本にとってはまだまだ遠い地で、旅行で訪れる人も決して多いとは言えません。特にサヘルと呼ばれる、サハラ砂漠南縁部に広がる半乾燥地域、西アフリカ諸国については未知の部分が大きいのではないでしょうか。貧困、疫病、テロリズムなどの暗いニュースは伝わってきますが、そこに息づく豊かな文化、私たち日本人も大切にしてきた共同体や家族の結びつき、厳しい自然環境や貧困を生き抜いていく力など、素晴らしい部分をもご紹介し、共有させていただきたいのです。
ブルキナファソは世界最貧国の一つに数えられています。物価は日本のざっと5分の1以下です。来たばかりの頃は、人々の貧しい暮らしぶりにかなり驚きました。 縁あって、ここでオペラ制作に取り組むことになりましたが、この国ではオペラというものはまだ知られていません。ですが私は、この国の人たちに西洋の伝統的なオペラを紹介したり、それを普及させたいと思っているのではありません。アフリカ人が書いたアフリカの物語に基づく、演劇と音楽の一体となった作品、つまりアフリカ独自のオペラの制作のために現地の人々と協働し、その誕生に立ち会いたいのです。
オペラは総合芸術で、たくさんのスタッフ – 台本、作曲、演出、舞台美術と、出演者 – 歌手、楽器演奏者、作品によっては役者やダンサーも必要ですので、いかに物価の安い国といえども、経費はそれなりに掛かります。
グリオと呼ばれる人たちは、サハラ砂漠以南のいわゆるブラックアフリカと呼ばれる広大な地域、とりわけ西アフリカに存在し、先祖代々口承で豊かな音楽・芸能を継承してきました。ジャズやラップなどのルーツもここにあります。複雑かつ華麗で、しかも魂に直接響いてくるようなポリリズムのビートはブラックアフリカの音楽のよく知られた特徴ですが、コーラのような弦楽器の優雅で繊細な表現も、昨今広く知られるようになってきました。このような多種多様な音楽表現が、アフリカの苦難の多い歴史の中で、楽譜などに記述されることなく連綿と受け継がれてきたことは奇跡的であるともいえます。グリオは自分の楽器を自分で作ります。修理も自分でします。しかし、楽器を作るための材料すら買えない人も多く、その場合、演奏する時は持っている人から借りるしかありません。(プロの音楽家であるにもかかわらず、自前の楽器がないのです!) また、学校へ行っていないため読み書きのできないグリオも多く、そうなると著作権協会のメンバー登録や、旅行の際の書類申請など、すべて困難です。近代化、時代の流れに取り残され、貴重な能力や技術を持つ人々が時代の波に埋もれてしまうのは何とも残念です。先進諸国から様々の援助が行われていることも事実ですが、それが隅々まで行き渡るなどということは、夢のまた夢で、現実は厳しいです。私も微力ながら、何とか彼らの素晴らしい音楽文化の継承と発展に一役買いたいと切実に思います。オペラ制作のような、比較的大きな規模の長期にわたるプロジェクトを行い、出演者たちに対価をきちんと支払っていくことにより、経済的にもグリオを支えることができます。それは何も人助けということではなく、人類の一員として、価値あるものを大切に守り育てていくという義務だと思っています。
私たちのオペラの題名は、フランス語で「LÀ-BAS OU ICI...」といいます。直訳すると「あちら、またはこちら... 」となり、意味がよく分からない感じになってしまいますが、LÀ-BASは、いろいろな意味での壁や障壁、あるいは海などで隔てられた「あちら側の世界」を意味し、それに対して「こちら」は自分のいる場所ということになります。アフリカでは、欧米や日本などの先進国社会を指して「あちら側の世界」ということもよくあります。原作者で政治難民のモイ・ムボランゴンは、祖国・コンゴ共和国を逃れて4年以上ブルキナファソに住んでいます。彼にとっては、大切なお母さんを残してきた、帰ることの許されない祖国がLÀ-BASです。
ブルキナファソの音楽界では、アフリカの音楽の新たな可能性を拓くプロジェクトとして大きな関心が寄せられており、ブルキナの歌姫、マイ・リンガ二や、ブルキナの素晴らしい合唱団ヴォックス・クリスティ(Vox Christi)も今後、本オペラプロジェクトに参加することを熱望しています。
既にプロジェクトの最初の一歩、全四幕の内、第一幕を首都ワガドゥーグーで2021年4月に初演しました。その模様をオンラインで公開しております。(https://youtu.be/MZPtLy9LOh8)
また、BBCによってこのオペラプロジェクトが紹介され、ブルキナファソのみならず、世界的にも注目を集めています。(https://www.bbc.com/news/world-africa-57145383)
作品完成の折には、まずブルキナファソ各地で公演、そしてアフリカの他の国々へ、そして欧米、日本へも公演ツアーをするのが夢で、そのための準備を少しずつ進めています。
在ブルキナファソ日本大使館のTwitter記事でも紹介されています。 https://twitter.com/AMJBurkinaFaso?s=03 (@AMJBurkinaFaso)
2. プロジェクトをやろうと思った理由
2015年頃から、私はオペラの新しい可能性を探求するため、ヨーロッパを何度も訪れ、ネットワークを広げ、様々な人々と出会ってきました。そんな中、あるときベルリンで、建築家の展覧会のオープニングパーティーに行き、フランシス・ケレという、ブルキナファソ出身で世界的に知られた建築家と出会い、彼が将来、祖国にオペラハウスを作る可能性のある事を知りました。この出会いがきっかけで、それまで名前も知らなかったブルキナファソという国へ行くことになりました。
ブルキナファソはもともと観光で訪れる人は僅かでしたが、コロナの影響で、ブルキナファソ人が近隣諸国へ行って演奏する機会も次々とキャンセルされました。2020年前半のロックダウンの時には冠婚葬祭も禁止され、グリオたちは危うく餓える寸前でした。グリオは、先述しましたように、伝統の音楽・芸能を受け継ぐ家系の人たちで、日本の楽家や家元と似ています。ブルキナファソは多民族・多言語から成る国家で、各部族のグリオはもともと部族の族長に奉仕する形で、様々の儀式などの際に演奏していました。しかし、イスラム教やキリスト教が普及し、族長達の多くもそれらの宗教に改宗してしまい、演奏機会は急激に失われていきました。現在は、市民の冠婚葬祭や、新年や祝日などの門付けの演奏で細々と食い繋ぐ状況です。そうなると、以前はなかったことですが、彼らも子弟を学校へ行かせ、他の、もっと安定した職につかせようとします。当然の経緯と言えますが、そうなると次世代の音楽・芸能のレベルはどうしても下がって来ます。 一方でレゲエなどの音楽が流行り、グリオ以外の人々、そしてグリオの中にも、ギターやベース、キーボードといった外来の楽器を演奏する人が増えて来ました。音楽ジャンルもそういったモダン、従来のトラディショナル(伝統)、そしてそれらが混交したトラディモダンに分かれ、トラディモダンは伝統が形を変化させながら生き残っていく道として推奨され、期待され、注目されています。私たちの制作しているオペラは、まさしくこのトラディモダンに相当します。私は、彼らの伝統音楽をできる限り深く学び、そこへ私自身の身に付いた音楽(幼少時から学んだ西洋音楽や、その後に学んだ雅楽など)の要素を慎重に織り交ぜていく方針です。アフリカの伝統の価値を尊重したうえで、それをアーカイブ的に保存するのではなく、伝統自体が現代社会の、国際的な影響を受け、それなりに変化することこそ、伝統が活き活きと生き残っていく道であると信じるからです。
3. これまでの活動
私は、東京芸術大学在学中から作曲活動をはじめ、1995年に尾高賞という、NHK交響楽団の主催する、優れたオーケストラ 作品に与えられる賞を女性作曲家として初めて受賞しました。2000年には同賞を再受賞。2004年頃から約10年間、家族で結成した山下和仁ファミリークインテット(ギター五重奏団)のための作曲と公演を中心に活動しました。その後、作曲の中心は9歳の時からの夢だったオペラに移行しました。既に30歳の頃、二つのオペラを京都と東京で初演していましたが、2015年以降はオペラの新しい可能性を探求するため、ヨーロッパでネットワークを広げ、多くの指揮者、歌手、演出家たちに出会いました。そして2020年、ついにポーランドで、自分で脚本と作曲の両方を手掛けたオペラを初演しました。
2018年1月にベルリンで、フランシス・ケレに出会い、同年7月、まず三週間の現地調査のためブルキナファソを訪れ、主に彼の故郷・ガンドで人々と交流しました。翌2019年11月、プロジェクト開始のため再びブルキナファソへ向かい、2020年8月までの9ヶ月間、首都ワガドゥーグーに滞在。さらに同年10月から2021年6月までの8ヶ月間をワガドゥーグーで過ごし、以下の活動をしました。
2021年1月:オペラの中の5曲の歌をCDアルバムに録音して発売。その記念のコンサートをゲーテ・インスティテュート(ワガドゥーグー )で行う。
2021年4月:オペラ LÀ-BAS OU ICI... 第一幕をフランス文化研究所・ガーデンステージ(ワガドゥーグー)にて初演。
4. 主なメンバー紹介
マブドゥー・サヌー
ベンドレ、ジンベ、コーラ、ゴニ、タマニ、フルートなど数多くの楽器、そして歌と、なんでもこなす、われらがメインボーカル。37歳にして一家の家長として、母、多くの弟妹、親類縁者の面倒を見る、責任感の強い人。メンバーの中ではもっともフランス語の読み書きにすぐれ、ブルキナファソ人としては珍しく英語も話せます。作曲、編曲にも優れた才能があり、このオペラにも曲を提供しています。
イブラヒム・ババ ・デンベレ
メンバー最年少、29歳。 マブドゥーの甥っ子。アフリカのバイオリン、ドゥードゥガを弾く人は多くないので、希少価値で引っ張りだこ。お茶目でちゃっかりもの。自分のミスを笑い飛ばすのが得意の、憎めないキャラクター。両親と暮らしている家では、百羽ほどのハトを飼育しています。
ブレイマ・サヌー
マブドゥーのいとこで同い年。練習の鬼。一度も学校というものに通ったことはなく、読み書きは全然出来ません。メンバーの中でヨーロッパへ演奏に行った経験があるのは彼一人。とても優しい人ですが、頑固で保守的な一面もあります。どんなに暑い日にプールに誘っても、決して水に入ろうとはせず、プールサイドで見ています。彼のバラフォンの華麗なソロには、皆うっとりします。
エルベ・アンベール
フランス人。もともとは、自らの手でブロンズ像などを制作するのが本領のアーティスト。15年間ベルリンでアートの仕事をしてきました。近年映像への興味が増大し、ビデオ作品を制作しています。レジデンス・アーティストとしてブルキナファソに招かれていた期間に藤家と出会い、オペラプロジェクトに身を投じました。大の日本好きで、彼の「鴨川ソング」という作品は最近、京都の映画館で上映されました。ブルキナファソにもただならぬ愛着を覚え、最近土地を購入し、プル族風の家も建てました。オペラの舞台美術を担当、大スクリーンに映し出される映像は、すべて彼がブルキナファソで撮りためたものです。
5.今後の実施スケジュール
2021年9月後半 : リハーサル開始
2021年11月8日 : クラウドファンディング終了
2021年12月 :第二幕初演 フランス文化研究所 エキシビションホール / ワガドゥーグー
2022年1月 : 第二幕ストリーミング
2022年2月4日‣5日 :第三幕初演 Les Bambous(ル・バンブー)/ ボボ・ディウラッソ(ブルキナファソ 第二の文化都市)
2022年2月 : 第三幕ストリーミング、オンライン意見交換会、リターンの織物製作
2022年6月 : 第四幕初演 フランス文化研究所 大ホール / ワガドゥーグー
2023年1月 : 全幕完成版初演 会場未定
6.集まった資金の使い道
今回サポートいただいた資金は、上記の「5. 今後の実施スケジュール」のうちの2022年2月4日‣5日 に実施予定の第三幕初演 於 Les Bambous(ル・バンブー)/ ボボ・ディウラッソ にかかる経費として使わせていただく予定です。Les Bambousは、ブルキナファソで首都ワガドゥーグーに次ぐ文化都市・ボボ・ディウラッソの芸術活動の拠点として、尊敬され、愛されているスペースです。一度は閉鎖に追い込まれましたが、2018年に現地の人の渾身の努力で再開され、一切の援助を受けられないままに自力で運営されています。ここで公演することは、アフリカ独自のオペラを目指す私たちにとって大きな意義があります。Les Bambousは上記のような状況から、出演料として、いかなるグループに対しても25000CFA(約5000円)しか支払うことができません。そこで、この公演に関して皆様のご支援をお願いしたいのです。
① 2022年2月の第三幕初演にかかる経費とその内訳
1.制作費(脚本料、作曲料、舞台美術費など):15万円
2.人件費(出演料、音響スタッフなど):25万円
3.その他経費* **(宣伝費、出演者移動費、宿泊費、音響機材レンタル費など):20万円
*CAMPFIRE手数料12%+別途決済手数料5%(+ 税)を集まった支援総額から支払う必要があるため、その金額を含む。
** 会場費は、公演先(Les Bambous)が提供してくれるので含まれない。
② 一般的に、オペラにかかる経費とその内訳
条件や規模によってさまざまなので一概にはいえません。が、どんなに小規模の、出演者の数の少ない室内オペラでも、日本でしたら数百万円はかかります。純然たる制作費(演出家の演出料、舞台美術費、衣装費、出演料など) に加え、会場費や宣伝費、出演者の移動費はもちろんのこと、長いリハーサル期間中の諸経費もかかるからです。新しい作品の場合、本来ならば脚本料、作曲料を支払う必要があります。出演料の高い歌手や、指揮者、また豪華な衣装やセット、大勢のコーラスが出演する場合などは数千万円か、それ以上という場合も珍しくはないでしょう。
③ご支援の総額が目標額を上回った場合は、古くなった太鼓の皮の張替え、新しく楽器を製作する費用などに充てさせていただきます。
7.リターンについて
シンプルにご支援くださる場合、1000円以上のおいくらでも結構ですので(例えば 1200円、2800円、10500円等々)どうぞよろしくお願いします。差し支えなければ、ストリーミングの際のクレジット画面に「Special Thanks to ~」の形でお名前を掲載させていただきます。
複数項目へのご支援は、もちろん大歓迎です。
3000円のご支援 : 各月末に計5回 プロジェクト進捗、および結果のご報告レター (2021年10、11、12月、2022年1、2月)を送らせていただきます。
5000円のご支援 : プロジェクトメンバーとのオンライン意見交換会参加券 日本語・英語・フランス語 各限定5名様*
*インスタグラム(https://www.instagram.com/labas_ouici) で、ブルキナファソの庶民生活を、私の同居家族の日常を中心に紹介しております。また、HP (http://www.labasouici.net) にもオペラ制作の裏話などを書いています。よろしければ、それらに記載しているような、オペラや音楽だけでなく、脱成長であるとか、持続可能な社会、人生観や教育観、西洋主義や近代化について、アフリカのメンバーやフランス人メンバーと共にディスカッション 、試行錯誤、自問自答を繰り返しながら制作しているプロセスを共有していただき、広いテーマについて語り合える場を作ろうと計画しています。
7000円のご支援 : グリオが芸能の傍ら家業としている機織りによって製作された織物 A - ストールを、製作者の写真とお礼の手紙付きでお送りいたします。 164cm×23cm ブルキナファソ産の綿100% ボアバ族の伝統柄。
15000円のご支援 : プロジェクトの核となっているバンド、SABABOU KADI KEIKOの初CDアルバムをバンドメンバー全員のサイン入りで差し上げます。録音、マスタリング、カバーデザインなどすべて、MADE in BURKINA FASOにこだわったアルバムです! 収録曲はオペラの中から、祖国に残してきた、今は会えないお母さんへの手紙を歌詞にした5曲。主な歌詞はフランス語ですが、現地語であるボアモ語、デュラ語、そして何と日本語で歌われるところもあります!
30000円のご支援 : 2022年中のあなたのお誕生日に、グリオたちがお祝いの歌を演奏して、その録画をオンラインでお届けします。歌詞にはあなたのお名前を入れて歌わせていただきます!
50000円のご支援 : グリオが芸能の傍ら家業としている機織りによって製作された織物 B - 壁掛け、あるいはソファカバー用を、製作者の写真とお礼の手紙付きでお送りいたします。約185cm×234cm ブルキナファソ産の綿100%
70000円のご支援 : グリオが芸能の傍ら家業としている機織りによって製作された織物 C - 壁掛け、あるいはソファカバー用を、製作者の写真とお礼の手紙付きでお送りいたします。約185cm×234cm ブルキナファソ産の綿100% 柄を織り込んだ、よりいっそう手間のかかった品物です。
最後に
最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。拙い文章でどこまでお伝え出来たか不安ですが、もし、このプロジェクトにご興味を持っていただけたら、本当に嬉しいです。専用ホームページ (http://www.labasouici.net) やインスタグラム(https://www.instagram.com/labas_ouici) などでも、詳しい内容や、日々の生活ぶりをご紹介しております。どうぞご覧ください。
ブルキナファソの人々にとって、日本は遠い遠い憧れの国。敗戦から立ち直り、驚異のテクノロジーを発展させた国というイメージで、とても尊敬されています。そして、先祖を敬う習慣や、太鼓が好きなこと、個人主義的でなく和を尊ぶことなどに、彼らは心底共感を覚えます。
どうぞ私たちのオペラプロジェクトチームの一員となって、アフリカ独自のオペラの誕生へのプロセスに立ち会い、プロジェクトの経済面を支援していただき、オペラ完成まで歩みを共にしてくださいませんか?
いつか必ず、日本での公演を実現させたいというのがメンバー全員の夢です。
応援メッセージ
アフリカの物語がブルキナファソの人々と日本、そしてヨーロッパ諸国との協働でアフリカ独自のオペラになると聞いた時、期待でドキドキしました。西アフリカの吟遊詩人とも言えるグリオールの人達の紡ぎだす素朴で美しい音とリズム、新しいオペラの誕生です。今年5月に公開された第一幕を聴いて何故か涙がこぼれました。世界がコロナ・パンデミックと戦う中で、こんな素晴らしい音楽を実現させる藤家溪子さんの類まれな才能と情熱にエールを送ります。
日本とブルキナファソの音楽の実験 - それは夢のような冒険です! そしてそれこそが藤家溪子さんが彼女の作品で表現しているものなのです。 彼女のオペラプロジェクトは、異文化の壁を超える、素晴らしい旅路です。 その音楽は、典型的なアフリカの吟遊詩人たちのように、日本、ブルキナファソ、そしてその他のアフリカの音楽の伝統の要素を併せ持ち、提示しています。
2021年4月23日にワガドゥグーのフランス文化研究所で行われたオペラ第一幕初演は、素晴らしいイベントでした。 私は、彼女とバンドのメンバーを21年3月12日に私の企画した美術展に招待して演奏してもらったことを、あらためて光栄に思いました。彼女らのおかげで、その夜はとても特別なものになったのです。
最後になりましたが、藤家溪子さんは素晴らしいピアニストです。 私たちは21年6月18日のイベントで彼女と一緒にバッハのバイオリン協奏曲を演奏しました。ブルキナファソの伝統を汲む音楽と、ヨーロッパのクラシック音楽との出会いを構成したイベントでした。
皆様、どうぞこのオペラプロジェクトに、今後たくさんのご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンを実施いたします。
最新の活動報告
もっと見る新しいアルバムがオンラインでご購入いただけます
2024/11/27 11:31デジタルアルバム LÀ-BAS OU ICI...8月24日に私たちの新しいアルバムがリリースされました。オペラ LÀ-BAS OU ICI... の中からMaboudou Sanouの作曲した4曲を収録しています。ブルキナファソはいまだテロとの厳しい 戦いを強いられています。ですが、真の独立を求めてトラオレ大統領の下に団結し、よりよい未来のために頑張っています。世界の他の地域でも戦火の絶えない今、平和を切望する歌声を世界中に届けたいのです。どうぞ皆様がアルバムをダウンロードしてお聞きくださいますよう、メンバー一同、心からお願いします。上記のタイトルをクリックしていただきますと購入サイトに飛べます。 もっと見る
完成版公演を終えて 追記
2023/12/17 21:07この文章は、完成版公演のご報告の追記です。フランシス・ケレとの出会いのきっかけは、ベルリン在住の女性建築家フロレンティン・サックに誘われてあるエキシビションのオープニングパーティーに行ったことでした。彼女の交遊関係にはやはり建築家が多いのですが、彼女の話に出てくる人物のなかに、どうしても会ってみたい人がいました。その人は、とある映画(Der vermessene Mensch、 英語タイトル The Measures of Men)の撮影のために5ヶ月ナミビアに行っていました。ドイツがナミビアを植民地支配していた時代に行ったジェノサイドのシーンを撮影するために、当時さながらの村を建造して、破壊するという話でした。撮影とはいえ、現地の人々の憎しみが新たに甦って大変な目に遭ったりしないのだろうか?なかなか大変な仕事だろうと想像していました。2022年9月にベルリンからブルキナファソへ戻る直前に、ふとその人-ゼバスティアン・スクプに会うチャンスが訪れました。フロレンティンと韓国料理屋で夕食を摂っているときに電話があり、これから二人とも自分のアパートに来ないかと誘われたのです。その夜、ナミビアでの仕事はヒンバ族の魅力的な女性たちがこぞって手伝ってくれたという話を聞きながら、ゼバスティアンの日本人の友人ヒロキさんが次々と手際よく出してくれる日本風の酒の肴に舌鼓を打つ、贅沢な時間を過ごしました。ゼバスティアンがその夜の記念にくれた大判の写真に映るヒンバ族の女性たちの美しさは際立っていて、彼女らは一生水浴をせず、火を炊いて煙で身体を浄めるという話に、これぞ文化の多様性だと心打たれました。ブルキナファソへ戻った私に、しばらくしてゼバスティアンからメールが届き、その年の暮れに日本へ旅行する際に一級の茶室を見たいんだけれど、どうしたら見られるかと相談がありました(彼は茶道を嗜むのです)。そこで、その時期に特別公開されている茶室の情報を提供しました。2度目に彼に会ったのは2023年1月の半ば、ベルリンのシュタイナーハウスで私の室内オペラ「A Vermilion Calm」を上演したときでした。私はブルキナファソから三週間の予定で戻ってきていましたが、敗血症で入院してしまい、病院の外出許可を取って観に行きました。ゼバスティアンも日本で骨折してしまい、旅行を早めに切り上げて帰って来たそうで、車椅子生活だったにも関わらず公演を観に来てくれて、感激でした。5月に再び二週間ほどベルリンを訪れたとき、ある夕方数人のゲストと共にディナーに招いてくれました。その時に私はブルキナファソでのオペラ公演の話をしたのだと思いますが、9月に入って、彼から思いがけないメールを受けとりました。なんと、ヒロキさんと共に私のオペラ公演を観るために、わざわざワガドゥグへ来るというのです!ブルキナファソはテロが多発しており、渡航は推奨されておらず、ベルリンからの距離も決して近いとはいえません。しかも私のオペラは演出も舞台美術もほとんど私が手掛けている、極めて低予算の、手作りプロダクションですので、ケルン大学で舞台美術を教えているゼバスティアンのような人がわざわざ飛行機代を払ってまで観に来ると聞いて、嬉しい反面、正直にいうと、かなりたじろぎました。彼らのビザ取得のための招聘状や宿泊場所の確保などを手伝いながら、彼らは単にオペラを見に来るのではなく、公演の最終準備を手伝ってくれようとしているのだと理解しました。ところが、いよいよ彼らがベルリンを出発する一週間前になって、エアフランスが欠航を決めたという連絡が転送されてきました。これには全く驚きました。エアフランスは8月の前半からワガドゥグへの運行を中止しており(それはニジェールで7月26日に起こったクーデターの影響で、ブルキナファソの現政権がはっきりと、クーデターを起こした側を支持すると表明し、マクロン政権にNo!を突きつけたからです)、再開の前兆は何もなかったのにも関わらず、この区間の航空券を売り続けていたとは!ゼバスティアンたちはきっと旅行を取り止めるだろうと想像しましたが、さにあらず。即座にトルコ航空のフライトを予約して、公演の4日前にワガドゥグに到着しました。それより一日早く到着していた、私がベルリンから招いたトーンマイスター(音響技師と録音プロデューサーを兼ねた職責です)の二人は、泊まる予定だった家が直前に漏電火事になりかけて修理も怪しかったので、急遽、ゼバスティアンたちの借りた家に同居させてもらうことになりました。同じベルリンから来たとはいえ、面識のなかった二人組同士がワガドゥグで突如一週間のシェアハウス状態になったわけです。公演2日前から会場での総合リハーサルが始まりました。音響機器の配置、背景のビデオ映像をスクリーンに映し出し照明を合わせていく作業などのすべてが完了してようやくオペラ全体を通して演奏してみることができるわけですが、たった二日間の総合リハーサルですから、できる限り有効に時間を使い、不安材料をひとつでも多く解消していきたいのが私の心情です。初日の総合リハーサルは様々な準備とチェックのため、演奏家たちにとっては待ち時間が多いものです。とはいえ、その間に自分自身の楽器、衣装のチェック、初めての本舞台での動きの感覚のチェック、歌詞や台詞の練習など、いくらでもやることはあるはずなのですが、とりとめのない冗談話をしたり、オペラとは無関係の音楽を遊び半分に演奏したり、延々とそうやって時間を潰すバンドメンバーの姿に私はイライラしました。が、自分にはありとあらゆる仕事が引き続いてあるので、それを注意しに行く余裕すらありませんでした。いざ、通しが始まってみると、必要な小道具が手元に揃っていなかったり、衣装の替えにてこずったり、小道具の置場所を間違えたり、ミスの続出で私は爆発寸前になりました。一方、ホールのスタッフも「明日やれることを今日するな」という悪い冗談のような言い草を地で行く、ブルキナファソ人にありがちな対応で、それを制するにはこちらも強い態度が必要でした。そんなこんなでやり残したことはたくさんあるままに、21時過ぎに初日のリハーサルを終了せざるを得ませんでしたが、バンドのイブラヒムが「明日は何時集合?」とあっけらかんと聞いてきた瞬間に堪忍袋の緒が切れました。と同時に、ゼバスティアンたちはおろか、トーンマイスターたちと顔を合わせる勇気もないくらい、私は打ちのめされていました。4年をかけて取り組んできたプロジェクトの出来がこんなにもお粗末なもので、それをわざわざベルリンから手伝いに来てくれた人々の目に晒したことが、なんとも申し訳なく、恥ずかしく、悔しく、やるせない思いで押し潰されんばかりだったのです。しかしこの時、マブドゥの関心は全く別のところにありました。彼はゼバスティアンたちが宿に戻るための車が検問になるべくかからない道を指示しようと躍起になっていて、それにも関わらず、すでに出発していた車の行方を見失ってしまっていたのです。私はバンドを臨時召集して、重大な話があるから、とあるレストランで私とマブドゥを待つようにと言い、そのミーティングで何をどう話すべきかだけを考えていました。この夜の苦しさは忘れることができません。突然降って湧いた苦しみではなく、何ヵ月もの間懸念していたことが、ついに恐ろしい現実となって目の前に現れた感じでした。「このままでは公演を中止、または延期するしかない」と私は彼らに告げました。中止や延期のあらゆるリスクを考えても、無様な公演を敢行するよりはましである、と。マブドゥと私の、数ヵ月にわたる雑用にまみれた日々。それをほとんど手伝うことも、理解することも、知ろうとすることすらなかった他のバンドメンバーに対して、抑えていた怒りが込み上げました。マブドゥがなんでも自分(と私)で背負い込もうとする性格だというためもあったのでしょうが、それにしても、今日の半日だけを見ても、あまりにも受け身で、自覚に欠け、プロフェッショナル意識の欠片もないと、私はモレ語、フランス語、英語のまぜこぜで彼らの態度を非難しました。内容がどれ程正確に伝わったかは定かではありません。ただ、私が限りなく落胆していること、本当に公演を延期しかねないということは全員がはっきりと感じたはずです。明朝9時にホールに集合して、問題箇所を逐一チェックしていくというブレイマの提案で、その夜は解散しましたが、心はとても重く、もし公演を延期したり中止したりしたら、どうなるだろうかという想像がぼんやりと頭をよぎっていました。翌日9時前にバンドメンバー全員がホールに来ており、緊張感溢れるダメ出しが行われました。夕方からゲネプロに加わった合唱団は、理解不足、練習不足で予想を上回る混乱を引き起こしましたが、バンドはそれをしっかりフォローしてあまりある仕上がりを見せてくれたので、救われました。「雨降って地固まる」と言われるように、前夜のミーティングの結果、気が引き締まって底力を見せてくれたようです。賛助出演してくれていた私の次男(彼は4月からブルキナファソに滞在し、狙撃手の役でオペラに出ていました) に後から聞いた話では、初日のゲネプロの後も、ヒロキさんはオペラ全体に対してとても好印象を持ってくれていたようで、彼らを落胆させたと思ったのは私の杞憂だったのかもしれません。ヒロキさんはブルキナファソに来る前に、ナミビアからドイツに来ていたオペラのプロダクションをベルリンで観たそうで、それが、ただひたすらにヨーロッパのオペラの形式を踏襲しただけのものだったと、少し不満だったようです。その意味で彼は、私たちのオペラの、西アフリカの伝統的要素をたっぷり含んだ型破りな挑戦を評価してくれたのかもしれません。ゼバスティアンとヒロキさんはゲネプロから本番に至る様子を撮影し、各出演者にインタビューを行いました。彼らの目で見たこれらの状況を、もしかしたら後にドキュメンタリーに仕上げてくれるかもしれません。本番当日の、子どものための公演と一般公演の間の3時間に、黙々とステージを掃除するゼバスティアンの姿がありました。それは彼が日本の精神として学び、実践した行動なのです。一般公演終了直後、ゼバスティアンは出演者全員に小綺麗に包んだ小さな贈り物を手渡して、みんなの苦労をねぎらいました。中身はそれぞれに異なっていましたが、全て日本で買ってきた美しい品物で、小さな扇子、お茶、キーホールダーなどでした。ブルキナファソ/日本のプロジェクトで思いがけなくもドイツ人が見せてくれた「和の心・もてなし」は、3日間のドタバタ劇の葛藤と興奮を、清涼な息吹で鎮めてくれました。ありがとう、ゼバスティアンとヒロキさん! もっと見る
完成版公演を終えて
2023/11/19 15:55この数ヵ月、オペラの完成版公演の準備の間に、あまりにもいろいろな困難が立て続けに起こり、毎日これが現実とは信じられないような思いで、なぜこうも苦難が連続するのかと、考えたところで答えなど見つからないし、一つ一つ問題に対処するのが精一杯でした。結局私は、フランス語の会話の通訳からバイクの運転まで、多くをマブドゥに頼らざるを得ないのです。様々の用事で各省庁を訪ねたり、ポスターや招待状を刷ったり、テーラーに行ってコスチュームを縫わせたり、足りない機材を知り合いのスタジオに借りに行くのすら、他のチームメンバーにはほとんど何ひとつ任せられないという状況が、マブドゥと私の二人を精根尽き果てるまでヘトヘトにさせた一因です。ですが、字がちゃんと読めない・書けない、公用語で込み入った会話ができない、そもそも大臣のような人々に会うこと自体に怯んでしまう、というような仲間に何かを任せることはとても難しいのです。ブルキナファソは多言語社会で、母語が異なる相手と話す機会が多いこともありますが、基本的にほとんど誰しも、相手の話を半分しか聞いていない印象で、早とちりがとても多く(これは喫茶店での注文などでも同じですが、間違いは頻繁に起こります)、コスチュームにしても、様々の不具合が生じて、何度やり直させたかわかりません。時間や期日も全然尊重されませんから、心配や気苦労は尽きることがありません。読み書きが不自由な場合は、やるべきことをリストにして一つ一つ確実に済ませていく - というような、先進国社会ではごく当たり前の方法もとれませんので、複雑で長い行程を全部頭に入れてもらうのは至難の技です。また、物事の全体像を見渡す力、それはオペラのストーリーや構成の全体像でもあり、またプロジェクトの全体像でもありますが、これを理解しようと努め、また実際に理解できる人がほとんどいないのです。それは意思の問題であると同時に、やはり経験と能力の問題でもあります。人生で、与えられた仕事をこなす、ということしかしてこなかった人々は、全体像を見ようとする気もないし、それを把握する能力が育っていないのでしょう。立て続けに起こる難題- 例えばバラフォニストのブレイマがデング出血熱にかかってしまい重症に陥ったこと(彼以外にも多くの人がこの期間、デング熱で倒れました)、教育省からの重大な手紙が、どこでどう間違ったのか、二週間以上も手元に届かなかったために、子どものための公演に児童たちを招待するのが直前になってしまったこと、ドイツから来てくれる音響技術者たちのために借りようとしていた家が、彼らの到着二日前に漏電火事を起こしかけたことがわかり、急遽他を探さなくてはならなくなったこと、4つ借りることになっていたマイクロポートが直前になって3つしか借りられなくなったこと(12台あったはすが、あとはすべて壊れていることが判明)、本番前日に合唱団員のお母さんが亡くなり、急遽お葬式があり(こちらでは人が亡くなると即日お葬式をするのが常です)、合唱団全体がほんの少しの時間しかゲネプロに来られなかったこと - なとなど様々ですが、それらの事態への反応や考え方が日本の常識とはまるで違うところが、私にとってはさらに状況を難しくします。いかに手作りオペラとはいっても、裏方をやってくれる人々の存在なしに、すべてをマブドゥと私で仕切るのは、かなり無理があったということです。彼は主役を歌っているのだし、私たちは作曲もし、私は演出もしているのですから。この事がわかっていなかったわけではないのですが、オペラとはどんなものなのか?という青写真を知る人がこの国のどこにもいないので、チームのなかにも外にも、裏方を任せられる人材が見つからなかったのです。ただ、あまりにもいろいろな苦難が立て続けに起こると、誰かに呪われていると考えるのが、こちらの人々の常です。そうなると、お祓いや生け贄を捧げての祈祷などが、忙しい最中に必須事項となりますから(マブドゥはいちいちそれを私には話しませんが)尚更忙しくなります。そして、曲がりなりにもすべての困難を乗り切って、公演が成就したとなると、やはりそのお陰だという話になります。念願叶った折りには、あらかじめ約束してあった捧げ物をしなければならないそうですから、それはまたそれで大変です。以前、あるアメリカ人が日本社会の特徴を「出る杭は打たれる」と表現していましたが、それはなにも日本に限ったことではないらしく、ブルキナファソでも、オペラプロジェクトが少しずつでも発展しているせいで、いろいろな方面から嫉妬され、身に覚えのない恨みを買っていることは大いにあるらしく、マブドゥが時々おうかがいをたてに行くフェティッシュからも、大勢の敵がいるだの、仲間から裏切りが出るだのと忠告を受けているそうです。それらの人々がやはりフェティッシュの力を借りて私たちにかけている呪いに打ち克つために、こちらもフェティッシュに頼らざるを得ないというわけです。もともと、物事をきちんと考え詰めて、前もって十分な用意をするという習慣が極めて根付いていないここの文化圏で、更に、いかなる場合も(冠婚)葬祭があらゆることに優先されてしまうというリスクを抱えつつ公演を成就させるには、確かに神仏や霊の力を借りる必要もありそうです。「○○人は~」などという言い方で、出自や人種で安易に人々を評価するような態度は極力避けたいのですが、正直なところ、やはり、公演の4~5日前にベルリンから駆けつけてくれた友人たち(ドイツ人と日本人)、現地に5年住んでいる日本のダンサー・吉田さんらには安心してそれぞれの持ち場を任せられました。それは彼らが本番から逆算して、どの時点でどれだけのことが必要かという計算をすることに慣れていて、彼らは彼らでそれぞれに予想外の困難に見舞われていはするのだけれども、それらをクリアしつつ一定の結果を出す能力が備わっているからです。(例えば、ベルリンから来てくれた二人のトーンマイスターは、ワガドゥグで一番設備の整っているはずの今回の会場で、故障しているケーブルの修理に3日の間、毎日数時間ずつ費やしました。それでも尚、公演の途中でケーブルの不具合から効かなくなってしまったマイクもあったのです。)実際に彼らは皆それぞれに、こちらの期待以上の仕事をしてくれて、そのお陰で実際面のみならず、精神面でもとても助けられたという気がします。(不意打ちの困難に見舞われ続ける中で)良い意味の驚きは、プロジェクト内部に素晴らしい高揚感をもたらしてくれるからです。結果に対する強い責任感とビジョンを持って行動するのは、社会のなかで培われていく能力です。ところが、そのような考え方がほとんど存在せず、責任という感覚も異なる地平に存在している文化圏においては、仕事をする上で相手をどこまで信用して良いのやらわからなくなってしまうことがままあります。何事も神の御意志で起こるのであって、なにかがうまくいかなかった場合、それは神がそう望まなかったか、あるいは誰かに呪いをかけられたせいであると考え勝ちな精神性と、失敗の原因をあくまでも自己、あるいは他の誰かの行動のなかに追求し、それを反省し、次回の改善に備えようとする精神性には大きなギャップがあります。余談ですが、「改善」という日本語がブルキナファソのエリートたちの間でもかなり流行っていて、最初にこれを聞いたときに私は、そんな当たり前の考え方の何に彼らが感動しているのか、さっぱりわかりませんでした。今は、それが当たり前の考え方として根付いていないからだということが、はっきりわかります。文化の多様性を認め、互いを尊重しながら協働していくことの難しさは、まさにここにあると思います。しかしながら、崖っぷちギリギリまで追い詰められた人間の底力、危ない橋を渡らざるを得ない一か八かの悲惨な覚悟というものも、思いがけない成果を発揮させることもあります。実際に今回何が起こったかということは、いわゆる裏話の類いですので割愛しますが、そんないろいろな力が混ざりあって出来上がったのが、よくも悪くも公演という結果なのです。ここまでの文章で、私は彼らの文化圏の良さにについてほとんど言及していないことに気付かれているかもしれません。全くその通りなのです。それはきっと、この怒濤のような苦難の日々に、私はいつしかそれを見失ってしまっているからだと思われます。マブドゥはマブドゥでまた、彼らにとって特に大切ではない細部が、私にとって大変重要であることがなかなか理解しがたいということを漏らしていました。彼と私は、互いの文化圏のエッジに立っていて、例えば彼はこちらでは大変珍しいことに時間厳守であるし、私は私でかなりブルキナファソ的な振る舞いに慣れてきてはいるのだけれど、それでもやはり、互いに川の両岸から手を差し伸べ合って、プロジェクトが崩壊せずに発展を遂げるよう協力しているような感覚があります。数多いといわれる"敵"の狙いもまさにそこだそうで、マブドゥと私が決裂するようにと、様々に呪いをかけていると言います。実際にそういう危機は何度も訪れたのであり、それを乗り切ってここまでたどり着いたのは、互いの我慢と、共に見た夢に賭ける熱意だけではなく、奥底にある人間同士としての信頼だったと今になってわかります。彼はもともと批判を受けたり、激しい口論などによる衝撃に弱く、これまではそういうことが起こる度に演奏には悪い影響しか出ませんでした。しかし、今回はそれを克服して、直前までの様々の葛藤、それに加えて出番の直前まで席の暖まる暇もないくらい雑事に駆け回っていたにも関わらず、見事に、ほぼミスなく、主演の大役を果たしました。彼が自分自身を乗り越えたこの公演の成果は、何よりも私を感動させました。暫定軍事政権のもと、現在の政権に対する二度にわたるクーデター未遂があり、夜8時以降は交通規制と厳重な警戒態勢が敷かれ、今回の会場CENASAの回りも夜は人通りが極めて少なくなります。外交団はその地域への夜間立ち入りがほぼ禁止されているそうです。午後4時からの子どものための公演が満席だったのに引き換え、夜の公演は人数がまばらだったことの一因はそれだと思います。公演から5日後には、地方の村でテロのために百人近い人々が虐殺されるという痛ましい事件が発生しました。また、原因はわかりませんが、今年はデング熱が大変な勢いで蔓延しており、病院はどこも一杯の状況です。そんな中、二つの公演を無事に終えられたことはすでにそれ自体、幸運なのだと思います。最後になりましたが、オペラの主役を歌いながら4つの楽器を弾きこなし、私のアシスタントとしてあらゆる面で大活躍し、このプロジェクトを支えてきたマブドゥとはいったいどんな人物なのか、彼のプロフイールを紹介したいと思います。彼は来年40歳を迎える、なかなか優れた作曲家・歌手・楽器奏者ですが、他のミュージシャンたちがフランスやベルギー、あるいは中国などに演奏旅行に行く機会を得ていくのを横目にしながら、不思議といまだにそのチャンスに恵まれたことがありません。外国といったら隣国のガーナとベナンにしか行ったことがなく、飛行機に乗ることが長年の夢で、今回ドイツから来た友人たちが残していった機内用スリッパと歯ブラシ・耳栓のセットをもらって子どものように喜ぶマブドゥ。そんな無邪気で素朴な面を残しながらも、彼は一族の実質的な長の役割を果たしていて、親類縁者のあらゆる揉め事・厄介事は彼のところへ持ち込まれます。それを解決したり助けたりすることは、真から性に合っているようでもありますが、やはり疲れはててしまうこともありますし、慢性的な不眠症に悩まされてもいます。リセ(高等学校)を中退したそうですが、バンドのなかではもっとも高学歴で、彼がリセで習った英語をメインに、私の下手なモレ語とそれより更に下手なフランス語を混ぜてやり取りし(マブドゥはこれらの言語はかなり得意ですし、それに加えて母語であるジュラ語とボアモ語を話します)、これで4年間のプロジェクトを支えてきたのですから、誤解がちょくちょくあったのも驚くには値しないわけです。この文章を書き終えようとして、マブドゥこそが孤独なのかもしれないと、あらためて思い当たります。ドイツから駆けつけてくれた友人たちを私が安心して頼れるのは、文化的背景だけではなく、彼らが友人であるからという理由が大きいのかもしれません。だとしたら、いつでも他人を助けるために奔走しているマブドゥに、彼にとっても晴れの舞台であるこの公演に際して、オーバーワークの彼に(普段彼から助けられている人々から)助けの手が差し伸べられないのは、何故なんでしょう?それもある種の嫉妬なのか、気後れなのか、単に彼が人に頼ることが下手なのか、私にはよくわかりません。私が昨夜、ブルキナファソを離れて南アフリカへの1ヶ月の旅に発つのを、空港までバイクで送ってくれながら、軽やかにオペラの曲を口ずさんでいたマブドゥ。オペラの曲はマブドゥと私で半分ずつ作曲していますが、それは私の曲でした。マブドゥ、遠からずして、あなたが飛行機に乗る番が来ると思うよ。それが現実的な夢になったとあなた自身思えるからからこそ、そんなに軽やかに口ずさんでいるんだよね?(追記を数日後に投稿します。写真はSophie Garciaの撮影したものです。) もっと見る
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