2023/11/20 00:55
この数ヵ月、オペラの完成版公演の準備の間に、あまりにもいろいろな困難が立て続けに起こり、毎日これが現実とは信じられないような思いで、なぜこうも苦難が連続するのかと、考えたところで答えなど見つからないし、一つ一つ問題に対処するのが精一杯でした。結局私は、フランス語の会話の通訳からバイクの運転まで、多くをマブドゥに頼らざるを得ないのです。様々の用事で各省庁を訪ねたり、ポスターや招待状を刷ったり、テーラーに行ってコスチュームを縫わせたり、足りない機材を知り合いのスタジオに借りに行くのすら、他のチームメンバーにはほとんど何ひとつ任せられないという状況が、マブドゥと私の二人を精根尽き果てるまでヘトヘトにさせた一因です。ですが、字がちゃんと読めない・書けない、公用語で込み入った会話ができない、そもそも大臣のような人々に会うこと自体に怯んでしまう、というような仲間に何かを任せることはとても難しいのです。ブルキナファソは多言語社会で、母語が異なる相手と話す機会が多いこともありますが、基本的にほとんど誰しも、相手の話を半分しか聞いていない印象で、早とちりがとても多く(これは喫茶店での注文などでも同じですが、間違いは頻繁に起こります)、コスチュームにしても、様々の不具合が生じて、何度やり直させたかわかりません。時間や期日も全然尊重されませんから、心配や気苦労は尽きることがありません。
読み書きが不自由な場合は、やるべきことをリストにして一つ一つ確実に済ませていく - というような、先進国社会ではごく当たり前の方法もとれませんので、複雑で長い行程を全部頭に入れてもらうのは至難の技です。また、物事の全体像を見渡す力、それはオペラのストーリーや構成の全体像でもあり、またプロジェクトの全体像でもありますが、これを理解しようと努め、また実際に理解できる人がほとんどいないのです。
それは意思の問題であると同時に、やはり経験と能力の問題でもあります。人生で、与えられた仕事をこなす、ということしかしてこなかった人々は、全体像を見ようとする気もないし、それを把握する能力が育っていないのでしょう。
立て続けに起こる難題- 例えばバラフォニストのブレイマがデング出血熱にかかってしまい重症に陥ったこと(彼以外にも多くの人がこの期間、デング熱で倒れました)、教育省からの重大な手紙が、どこでどう間違ったのか、二週間以上も手元に届かなかったために、子どものための公演に児童たちを招待するのが直前になってしまったこと、ドイツから来てくれる音響技術者たちのために借りようとしていた家が、彼らの到着二日前に漏電火事を起こしかけたことがわかり、急遽他を探さなくてはならなくなったこと、4つ借りることになっていたマイクロポートが直前になって3つしか借りられなくなったこと(12台あったはすが、あとはすべて壊れていることが判明)、本番前日に合唱団員のお母さんが亡くなり、急遽お葬式があり(こちらでは人が亡くなると即日お葬式をするのが常です)、合唱団全体がほんの少しの時間しかゲネプロに来られなかったこと - なとなど様々ですが、それらの事態への反応や考え方が日本の常識とはまるで違うところが、私にとってはさらに状況を難しくします。
いかに手作りオペラとはいっても、裏方をやってくれる人々の存在なしに、すべてをマブドゥと私で仕切るのは、かなり無理があったということです。彼は主役を歌っているのだし、私たちは作曲もし、私は演出もしているのですから。この事がわかっていなかったわけではないのですが、オペラとはどんなものなのか?という青写真を知る人がこの国のどこにもいないので、チームのなかにも外にも、裏方を任せられる人材が見つからなかったのです。
ただ、あまりにもいろいろな苦難が立て続けに起こると、誰かに呪われていると考えるのが、こちらの人々の常です。そうなると、お祓いや生け贄を捧げての祈祷などが、忙しい最中に必須事項となりますから(マブドゥはいちいちそれを私には話しませんが)尚更忙しくなります。そして、曲がりなりにもすべての困難を乗り切って、公演が成就したとなると、やはりそのお陰だという話になります。念願叶った折りには、あらかじめ約束してあった捧げ物をしなければならないそうですから、それはまたそれで大変です。
以前、あるアメリカ人が日本社会の特徴を「出る杭は打たれる」と表現していましたが、それはなにも日本に限ったことではないらしく、ブルキナファソでも、オペラプロジェクトが少しずつでも発展しているせいで、いろいろな方面から嫉妬され、身に覚えのない恨みを買っていることは大いにあるらしく、マブドゥが時々おうかがいをたてに行くフェティッシュからも、大勢の敵がいるだの、仲間から裏切りが出るだのと忠告を受けているそうです。それらの人々がやはりフェティッシュの力を借りて私たちにかけている呪いに打ち克つために、こちらもフェティッシュに頼らざるを得ないというわけです。
もともと、物事をきちんと考え詰めて、前もって十分な用意をするという習慣が極めて根付いていないここの文化圏で、更に、いかなる場合も(冠婚)葬祭があらゆることに優先されてしまうというリスクを抱えつつ公演を成就させるには、確かに神仏や霊の力を借りる必要もありそうです。
「○○人は~」などという言い方で、出自や人種で安易に人々を評価するような態度は極力避けたいのですが、正直なところ、やはり、公演の4~5日前にベルリンから駆けつけてくれた友人たち(ドイツ人と日本人)、現地に5年住んでいる日本のダンサー・吉田さんらには安心してそれぞれの持ち場を任せられました。それは彼らが本番から逆算して、どの時点でどれだけのことが必要かという計算をすることに慣れていて、彼らは彼らでそれぞれに予想外の困難に見舞われていはするのだけれども、それらをクリアしつつ一定の結果を出す能力が備わっているからです。(例えば、ベルリンから来てくれた二人のトーンマイスターは、ワガドゥグで一番設備の整っているはずの今回の会場で、故障しているケーブルの修理に3日の間、毎日数時間ずつ費やしました。それでも尚、公演の途中でケーブルの不具合から効かなくなってしまったマイクもあったのです。)実際に彼らは皆それぞれに、こちらの期待以上の仕事をしてくれて、そのお陰で実際面のみならず、精神面でもとても助けられたという気がします。(不意打ちの困難に見舞われ続ける中で)良い意味の驚きは、プロジェクト内部に素晴らしい高揚感をもたらしてくれるからです。
結果に対する強い責任感とビジョンを持って行動するのは、社会のなかで培われていく能力です。ところが、そのような考え方がほとんど存在せず、責任という感覚も異なる地平に存在している文化圏においては、仕事をする上で相手をどこまで信用して良いのやらわからなくなってしまうことがままあります。何事も神の御意志で起こるのであって、なにかがうまくいかなかった場合、それは神がそう望まなかったか、あるいは誰かに呪いをかけられたせいであると考え勝ちな精神性と、失敗の原因をあくまでも自己、あるいは他の誰かの行動のなかに追求し、それを反省し、次回の改善に備えようとする精神性には大きなギャップがあります。余談ですが、「改善」という日本語がブルキナファソのエリートたちの間でもかなり流行っていて、最初にこれを聞いたときに私は、そんな当たり前の考え方の何に彼らが感動しているのか、さっぱりわかりませんでした。今は、それが当たり前の考え方として根付いていないからだということが、はっきりわかります。
文化の多様性を認め、互いを尊重しながら協働していくことの難しさは、まさにここにあると思います。
しかしながら、崖っぷちギリギリまで追い詰められた人間の底力、危ない橋を渡らざるを得ない一か八かの悲惨な覚悟というものも、思いがけない成果を発揮させることもあります。実際に今回何が起こったかということは、いわゆる裏話の類いですので割愛しますが、そんないろいろな力が混ざりあって出来上がったのが、よくも悪くも公演という結果なのです。
ここまでの文章で、私は彼らの文化圏の良さにについてほとんど言及していないことに気付かれているかもしれません。全くその通りなのです。それはきっと、この怒濤のような苦難の日々に、私はいつしかそれを見失ってしまっているからだと思われます。マブドゥはマブドゥでまた、彼らにとって特に大切ではない細部が、私にとって大変重要であることがなかなか理解しがたいということを漏らしていました。彼と私は、互いの文化圏のエッジに立っていて、例えば彼はこちらでは大変珍しいことに時間厳守であるし、私は私でかなりブルキナファソ的な振る舞いに慣れてきてはいるのだけれど、それでもやはり、互いに川の両岸から手を差し伸べ合って、プロジェクトが崩壊せずに発展を遂げるよう協力しているような感覚があります。数多いといわれる"敵"の狙いもまさにそこだそうで、マブドゥと私が決裂するようにと、様々に呪いをかけていると言います。実際にそういう危機は何度も訪れたのであり、それを乗り切ってここまでたどり着いたのは、互いの我慢と、共に見た夢に賭ける熱意だけではなく、奥底にある人間同士としての信頼だったと今になってわかります。彼はもともと批判を受けたり、激しい口論などによる衝撃に弱く、これまではそういうことが起こる度に演奏には悪い影響しか出ませんでした。しかし、今回はそれを克服して、直前までの様々の葛藤、それに加えて出番の直前まで席の暖まる暇もないくらい雑事に駆け回っていたにも関わらず、見事に、ほぼミスなく、主演の大役を果たしました。彼が自分自身を乗り越えたこの公演の成果は、何よりも私を感動させました。
暫定軍事政権のもと、現在の政権に対する二度にわたるクーデター未遂があり、夜8時以降は交通規制と厳重な警戒態勢が敷かれ、今回の会場CENASAの回りも夜は人通りが極めて少なくなります。外交団はその地域への夜間立ち入りがほぼ禁止されているそうです。午後4時からの子どものための公演が満席だったのに引き換え、夜の公演は人数がまばらだったことの一因はそれだと思います。公演から5日後には、地方の村でテロのために百人近い人々が虐殺されるという痛ましい事件が発生しました。また、原因はわかりませんが、今年はデング熱が大変な勢いで蔓延しており、病院はどこも一杯の状況です。そんな中、二つの公演を無事に終えられたことはすでにそれ自体、幸運なのだと思います。
最後になりましたが、オペラの主役を歌いながら4つの楽器を弾きこなし、私のアシスタントとしてあらゆる面で大活躍し、このプロジェクトを支えてきたマブドゥとはいったいどんな人物なのか、彼のプロフイールを紹介したいと思います。彼は来年40歳を迎える、なかなか優れた作曲家・歌手・楽器奏者ですが、他のミュージシャンたちがフランスやベルギー、あるいは中国などに演奏旅行に行く機会を得ていくのを横目にしながら、不思議といまだにそのチャンスに恵まれたことがありません。外国といったら隣国のガーナとベナンにしか行ったことがなく、飛行機に乗ることが長年の夢で、今回ドイツから来た友人たちが残していった機内用スリッパと歯ブラシ・耳栓のセットをもらって子どものように喜ぶマブドゥ。そんな無邪気で素朴な面を残しながらも、彼は一族の実質的な長の役割を果たしていて、親類縁者のあらゆる揉め事・厄介事は彼のところへ持ち込まれます。それを解決したり助けたりすることは、真から性に合っているようでもありますが、やはり疲れはててしまうこともありますし、慢性的な不眠症に悩まされてもいます。リセ(高等学校)を中退したそうですが、バンドのなかではもっとも高学歴で、彼がリセで習った英語をメインに、私の下手なモレ語とそれより更に下手なフランス語を混ぜてやり取りし(マブドゥはこれらの言語はかなり得意ですし、それに加えて母語であるジュラ語とボアモ語を話します)、これで4年間のプロジェクトを支えてきたのですから、誤解がちょくちょくあったのも驚くには値しないわけです。
この文章を書き終えようとして、マブドゥこそが孤独なのかもしれないと、あらためて思い当たります。ドイツから駆けつけてくれた友人たちを私が安心して頼れるのは、文化的背景だけではなく、彼らが友人であるからという理由が大きいのかもしれません。だとしたら、いつでも他人を助けるために奔走しているマブドゥに、彼にとっても晴れの舞台であるこの公演に際して、オーバーワークの彼に(普段彼から助けられている人々から)助けの手が差し伸べられないのは、何故なんでしょう?それもある種の嫉妬なのか、気後れなのか、単に彼が人に頼ることが下手なのか、私にはよくわかりません。
私が昨夜、ブルキナファソを離れて南アフリカへの1ヶ月の旅に発つのを、空港までバイクで送ってくれながら、軽やかにオペラの曲を口ずさんでいたマブドゥ。オペラの曲はマブドゥと私で半分ずつ作曲していますが、それは私の曲でした。
マブドゥ、遠からずして、あなたが飛行機に乗る番が来ると思うよ。それが現実的な夢になったとあなた自身思えるからからこそ、そんなに軽やかに口ずさんでいるんだよね?
(追記を数日後に投稿します。
写真はSophie Garciaの撮影したものです。)