はじめに
こんにちは。ヤンゴン日本人学校の渡部一樹と申します。
ヤンゴンかるたプロジェクト代表の野中優那さんが中学3年時、学級担任でした。この年は、新型コロナウィルス感染症の影響を受け、学校は4月からオンライン授業を開始。感染症の状況を注視しつつ、学校再開を願いましたが、2月には政変が起こり、結局一度も教室で授業を受けることができずに卒業式を迎えました。優那さんは受験生。全国の受験生にとって大変な年でしたが、ヤンゴン在住で日本への航空便が不安定な状況で迎えた受験期は特別不安だったことでしょう。そんな中でヤンゴンかるたは生まれました。
ヤンゴンかるたのはじまり
一昨年の5月、「(コロナ禍で)日本に帰って来てからミャンマーかるたを作りました。先生にお送りして見ていただきたいと思っているのですが、住所を教えてください。」とメールが届き、自宅に小包が届きました。
中には手作りで丁寧にラミネートされたヤンゴンかるたが入っていました。
「かるたは、今年の夏休みの自由研究にしようと思いついていました。
写真は、家族と一緒に休日や平日に撮りに行っていました。
五十音全てを考えるのは思っていたより大変でした。
私はまだミャンマーに来たばかりです。
まだまだ行きたい場所も残っています。
早くミャンマーに戻れるといいと思っています。 野中優那」
と添えられていました。このカルタの始まりは、政変が起こる前の外出自粛期間。今まで目にしたミャンマーの美しい風景・人々の営みをまとめたアイディア作品として生まれました。
思いを大切にしたい
2月にヤンゴンで経験した政変と帰国後に感じた違和感をきっかけとして始まったというこのプロジェクト。高校生のまっすぐな思いとそれに共感する様々な方々によってここまで育まれてきたと思います。
多くの素晴らしい出会いがあって、このように多くのご支援をいただいていることを自分のことのように嬉しく思います。今後の進展も楽しみです。
そして、今後このプロジェクトがどのような進展を見せようとも、最初にこのプロジェクトが始まったときの「まっすぐな思い」を大切にして、協力し、育てる一員でありたいと思います。
かるたの教材性
ヤンゴンかるたは教材として大きな可能性をもっています。
・ヤンゴンに暮らす日本人の現地理解の教材として
・日本で学ぶ子どもたちの国際理解の教材として
・かるたの札から疑問や課題を発見して探求する「学び方を学ぶ」ための教材として
・日緬双方の語学学習の教材として
・ミャンマーの子どもたちの教材にも? etc…
先日、ヤンゴン日本人学校では、野中優那さんを講師として職員研修を行いました。教え子を講師として招いた研修。それだけでもとっても嬉しかったのですけれど、ヤンゴンかるたに込められた思いや活用方法について思いのこもった話を聴き、共感とともに多くの気づきをいただきました。ミャンマーの人々を応援したい気持ちは、皆、強くもっています。“各々ができる形で応援していく”という話に勇気づけられ、自分たちが携わる教育の現場でのこのカルタの活用、さらなる可能性の模索を続けていきたいと思いました。
政変後も変わらず美しいミャンマー
私は3年前にヤンゴンに赴任し、現在もヤンゴンで生活しています。政変直後のすさまじい状況と比べるとヤンゴンの街は、少し落ちついたようにみえます。しかし、3年前とは様子が大きく変わってしまいました。閑散としたボジョーアウンサンマーケット、飲むのが憚られるビール、気軽には足を運べなくなったシュエダゴンパゴダ…。
でも変わっていないものも確かにあります。ミャンマーの人々の温かさや笑顔、自然の風景や仏教建築。今も変わることなく美しいです。最近撮ったミャンマー各地の様子を一部紹介します♪
・11月 シャン州 ニャウンシュエの五日市でトマトを売る人
・11月 エーヤワディー地方域 ゾウの健康診断
・ 7月 モン州 チャイティーヨー
・12月 ラカイン州 タンドウェの夕暮れ
・11月 シャン州の畑
・11月 シャン州タウンジーの鉢僧
・11月 シャン州 インレー湖と山々
・12月 ラカイン州 タンドウェの海と夕暮れ
・12月 マンダレー地方域 アマラプラの手仕事(モリンガの織り子さんの家にて)
むすびに
現在ミャンマーは大きな問題に直面しています。大好きなミャンマーの人々のためにできることは何かと、いつも考えているけれど、私たち1人1人の力では、パッ!とこの問題を打開することは難しいです。「どうしたらよいのだろう…。」このプロジェクトは、そんな思いをもつ私たちに示唆を与えてくれました。
このプロジェクトを応援すると私たち1人1人が、今その場所で、できる形で、自分の得意なことを生かして、ミャンマーのことを想い、考え続けましょう。
いつもミャンマーの方々の温かさと笑顔に寄り添って。
ヤンゴン日本人学校 教諭 渡部一樹