福島ファイヤーボンズの「BONDS UP」を陰で支えるスタッフの想いを聞くメンバーインタビュー企画。第一弾は、代表取締役宮田英治です。福島ファイヤーボンズの始まりである2011年当時の想いに迫りました。
Q1福島ファイヤーボンズの始まったきっかけを教えてください。
始まりは、やはり2011年の3.11がきっかけで、当時は私もFSGカレッジリーグで働いていましたので、FSGカレッジリーグとしても、当時から少子化、子どもたちは少なくなっていく中で、その専門学校運営っていうのをどういう風にしていくかっていうのは、課題ではあったんですけども、福島県の子どもたちの肥満率が全国1位になった当時はその最初何をやるかっていうところで、その健康増進をするためにスクールを展開したらいいんじゃないかと。
専門学校グループとして、30年間もやってきた経験がありますので、教えるっていうノウハウはありますよと。その中で当時考えたのが、サッカーとか野球とか外でやるものはもうNGだろうと。室内で出来る、なにか身体を動かすっていうところで、バレーボールとバスケットボールっていうのが2つの代表のスポーツであったんですが、色々調べていくと、バスケットボールが男女比が5割5割なんですね。あとは今でもそうなんですけども福島県のバスケットボールの競技人口っていうのが、東北ナンバーワンなんですね。
バスケットっていうのを1つキーにしてスクールを展開しようとっていうのを最初考えてつくったのが、「福島スポーツアカデミー」という団体を作ったというのが最初つくった経緯です。そこを作る時には、基本的にはプロチームをつくるっていうのは毛頭なかったです
Q2福島の子どもたちについて、当時の思いは?
当時やっぱり子どもたちも含めて、福島県からの人口流出っていうのがすごく加速的になって、一時期200万人を切ったっていう話を聞いて、なにか楽しみがあれば子どもたちも福島県で育ってくれるのかなと思いました。だからその中に、そういう「バスケットをする」「スポーツをする」というのを本当に感じてもらえるものをつくれればいいなっていうのが原点です。
Q3ボンズの歴史の中で印象に残ったシーンは?
まず一番最初は2年目ですかね、2015-16シーズンの東北カップで優勝ができた時ですね。チーム編成も含めて自信になりましたし、これでお客さんにチームで勝つ姿を見せられるのかなてっていうのが実感できました。
Q4クラウドファンディングに向けた意気込みをお願いします。
これまで本当に福島ファイヤーボンズを応援していただいたブースター、または、株主、パートナーの皆様には本当に感謝を申し上げたいと思います。ボンズがまたもう一つ階段を上がるために、また皆様と一緒にB1という新しいステージに向けて進みたいと思いますので、本当に今後もご支援のほう頂きたいと思いますし、また会場に足を運んでいた頂ければなという風に思っております。