なぜ、お寺でサウナをやっているのですか?と、よく聞かれます。
実は日本人の入浴習慣は、禅寺の蒸し風呂が発祥という説があります。実際、京都の禅寺には多くの蒸し風呂を備えた浴室が、残されています。写真は、相国寺の浴室です。大泰寺の本山である妙心寺には、明智風呂という明智光秀の菩提を弔うために、建てられた浴室があります。
もともとは、穢れを落とす修行の一環として入浴が行われていたそうです。
そうした禅寺とサウナの古い関係に加えて、私は座禅の指導のためにもサウナを皆様に勧めています。
よく座禅を教えていると、「無になれません。」や「無の状態というのは、どのような感じですか?」など、「無」というものについて聞かれます。これは言葉で表わすことが難しいですし、実際に体験しないと理解できないものだと思います。
私の個人的な意見ですが、座禅を続ける中で体験する「無」というのは、サウナの「整い」に似ています。自分がからっぽになって、そこに鳥の声やそよ風の肌触り、陽のぬくもりが心地よく入ってくるような感覚です。
サウナの後、「整っている」人達の顔は、まさに仏顔。優しい微笑みがお顔に浮かんできます。イライラもモヤモヤも一切ありません。
サウナのいいところは誰でもすぐに「整い」に到達できること。でも、テントがないとダメですし、川もないとダメ。天気が悪い時もできません。座禅のいいところは、いつでもどこでも気軽にできることです。ですから、サウナと座禅を両輪にして、いつでもどこでも自分で自分の心をコントロールしてもらえたら、もっと多くの人が幸せになれるだろうと考えています。
不立文字。文字では伝わりません。ぜひ一度体験しに来て下さい。