大泰寺の現在の薬師如来ですが、これは2代目だと思われます。お寺の縁起によりますと、那智勝浦町の太田地区には、昔大蛇がいたそうです。そこに天皇の命令で、新しい都にふさわしい場所を探して、全国行脚をしていた伝教大師 最澄が通りかかり、大蛇を封じるために柳の木から薬師如来を彫り出したそうです。そして、それをお祀りしたのが大泰寺の始まりとされています。
それが、788年のことで、今のお薬師さまは1156年の作ですから、350年ほど隔たりがあります。おそらくは、戦や自然災害、あるいは盗難で初代の薬師如来が失われ、この仏像が2代目として祀られるようになったのだと思います。
内側の墨書きを見ますと、もともとは阿弥陀如来として造像されたようです。一説には、那智山の六角堂にあったものとも言われています。
平安時代らしい定朝様の優美なお姿に、当時最新の技法であった金泥塗りで彩色が施されています。金泥塗りは、鎌倉時代には一般化しますが、平安時代には作例が、ほとんどないようです。そんな特別な技術をもって、この仏像を作らせたのですから、仏像の製作を命じた願主は、きっと高貴な人であったに違いありません。
そして、850年もの間、人々の病気を治し、信仰を集めてきたそのご利益は疑いようもなく素晴らしいものです。一心に祈願すれば、きっとあなたの病気を払ってくださるはずです。サウナを楽しまれる皆様も、サウナの前にぜひ一度お参りください。