先日、熊野古道の清水峠と浦神峠を歩いてきました。大泰寺から南の方へ歩くと、浦神峠があり、その先に清水峠がつながっています。京の都から、那智大社を目指して歩いてきた巡礼者の道ですが、長らく地元の生活の中で農林業の作業道や農産品と海産物を交換するための物流の道としても利用されてきました。荘厳な石畳で有名な大門坂とは違う雰囲気がありますね。ところどころ石段も残っています。清水峠は、日本のエアーズロックとして有名な一枚岩と同じ地層群に属し、最初の写真にあるような巨石が点在しダイナミックな自然景観と、畑や猪垣などの生活の跡が調和した独特の雰囲気です。さて、ではこの熊野古道を歩くのは、いつがいいのでしょうか?私は12月~1月の期間をおすすめします。蚊などの虫がいなくて、歩くとぽかぽかちょうどいいです。都会の人の中には、冬は雪が積もったり、路面が凍結したり、冬は熊野古道が歩けないと思っている方も多いと聞きました。でも、全くそんなことはありません。ぜひ一度歩いてみてください。少しの疲労感は、サウナを楽しむ大事なスパイスです。きれいな空気を吸って、汗をかけば、サウナの爽快感は倍増します。熊野古道×サウナ。おすすめです!
自然 の付いた活動報告
大泰寺のテントサウナは自然を感じることに重きを置いています。自然は、諸行無常で、常に変化をしています。季節ごとに、様々な表情を見せてくれます。大泰寺のテントサウナは一回やって終わりではなく、ぜひ季節を変えて、何度も体験して欲しいと感じます。今だったら紅葉ですね。冬は雨が少ないため、水が澄み、水面が真っ平らで、モミジの赤がとても映えます。今後は季節に合わせて場所をかえて、サウナを提供することも考えています。サウナ通のあなただったら絶対に12ヶ月全てを体験するべきです。そうした時に初めて熊野リバーサイドサウナの魅力をあますことなく語れるはずです。冬を越え、次のハイシーズンは3月半ばから4月初旬でしょう。100年ぶりに発見された桜の新種「クマノザクラ」を眺めながらのテントサウナは、熊野地方だけの特別なサウナです。桜咲き誇る2週間程度の期間を過ぎれば、この体験はまた再び1年先になってしまいます。今からスケジュールを空けて、ぜひ準備を始めてくださいね。
サウナーがサウナを体験する上で最も重要視するのが水かもしれない。サウナーの聖地である静岡県の「サウナしきじ」や熊本県の「ゆらっくす」が人気なのも水風呂の水質に理由がある。大泰寺の横を流れる太田川も水質では負けていない。何せ、日本一の那智の滝と同じ那智の原生林に、その源を発し、流域には紀伊半島南部で唯一の大規模な田園地帯を形成してきた「恵みの川」なのである。透明度が高く、また那智の滝から流れる那智川と違い、ゆるやかな傾斜で流れるためしぶきがたたず、その水面が鏡のような美しさである。そして、太田川のすごいところは、米を育み、人々がそこに定住し、文化・歴史を育んできたところである。太田川の河口近くには、下里古墳と呼ばれる紀伊半島唯一の前方後円墳があり、またその対岸には八咫の鏡を作った場所と伝わる八咫烏神社まである。古代から太田川の恵みで育った米を経済的な基盤として文化が育ってきた証拠である。言い換えれば、太田川がこの地に高度な文化をもたらしたのである。勢いの強い川でカヌーで遊んだり、釣りをしたりするのは楽しいだろう。ただ、こうした荒々しい川と対峙する時、人の心はどちらかと言えば高揚する。穏やかな太田川だからこそ、全てを忘れ、心地よい整いを体験することができるのである。現在、過疎化の影響で太田川周辺でも休耕田が目立つようになってしまった。しかし、現在、那智勝浦町と隣の太地町の水道は太田川の水が供給されていて、恵みの川であることに変わりはない。
大泰寺がある那智勝浦町は紀伊半島の南部に位置しています。紀伊半島の南部は、熊野地方と呼ばれ、時に聖地と言われることがあります。熊野とは、「奥まった地」という意味だそうです。実際に、都会からサウナを体験来た人の中には、「遠かった」という人もいますし、予想以上の遠さから遅刻してくる人もいらっしゃいます。しかし、こうして奥まった場所だったからこそ、手つかずの自然が残り、山や川も原始の形を色濃く残しているのだと思います。そして、1000年以上前の巡礼者達も、こうした原始的でダイナミックな自然の姿に神の姿を感じ、それを見ようと今の私たちの何倍もの時間をかけ、労力をかけ、この地を目指したのだと思います。見上げるような巨石や、生命力溢れる大木、荘厳な滝の姿、雨上がりにまるで呼吸するように霧を吐く山々に人々は神の姿を見ました。何も説明はいりません。それを見て、感じるだけで、命の尊さや普段の悩みのちっぽけさ、そうしたものに気づき、人生が変わる体験をしたのでしょう。それを巡礼者達は、「蘇り」といい、その体験を都に帰って広めました。そして、熊野を目指す人が増える中で、次第に熊野は「聖地」となっていきました。こうした巡礼者が見ていた景色は、今もそんなに変わらない気がします。それは、熊野が都会から遠く離れているからです。「遠い」は悪いことではありません。遠いからこそ、味わえる人生を変えるような景色がここにはあります。おそらく日本各地を回るサウナ巡礼の最終目的地は、熊野でしょう。サウナをすることで、この神々が宿る大自然と一体になる大泰寺のリバーサイドサウナは、ここでしかできない本当に特別な体験です。
私たち禅僧は、常に自然に学んでいます。蜜を求めて花々を飛び回る蝶の姿、池の底に映った月の光、山奥の鳥の声や険しい岩山に根を下ろす松の姿。そうしたものに、仏教の教えの答えを見ています。私たち、臨済宗の修行は坐禅と作務が両輪です。作務とは、自然の中で掃除をしたり、木々の手入れをしたり、野菜を育てたりする作業のことです。作務を通して自然に触れることで、ただ坐っていても気づかない真理が見えてくることがあります。また、自然の中で無我夢中で働いていると気づかないけど、その後静かに坐っていると、ふと気づくこともあります。どちらが欠けても、悟りに至る道は険しくなります。テントサウナを川原ですることは、実は大変な苦労を伴います。河川法のため川原にテントを張ったままにすることができません。2日続けて体験の予約が入っていたとしても毎日テントを畳まなければいけません。そして天候に左右されやすく、雨が強い場合、風が強い場合、晴れていても川が増水している場合は体験を行うことはできません。しかし、禅の思想をベースにした体験ですから、やはり自然を全身で感じることが、体験の一番重要なことですから、大変だからと言って、このスタイルを変える気はありません。日々変わる川の水温や流れ、鳥の声や雲の流れ、川を泳ぐ魚の姿に癒やされて欲しいですし、日々の生活の中で気づくことの出来なかった大切なことに気づいて欲しいです。キャンプで大泰寺に遊びに来た子ども達は、川にいる魚を見て「あ、魚がいる!」と歓声を上げます。なんと単純なことで喜んでくれるのかと、うれしくなります。その童心、私たちも持っていたはずです。大事なこと思い出しましょう。