ここは現在改築を進めているよろず屋の一キロ圏内です。かつて教員住宅として使われ、子どもが減少、店のない不便さで教員も片道三十キロの通勤を選択したため利用される事がなくなり、台風のたびに壊れていった「家」です。
現在は学校自体が廃校となり、子供たちはスクールバスで数キロ先の小中学校に通っています。
遠慮なく言わせてもらえばこの町は、平成合併の中で消えようとしており、公営住宅ですらこの状況です。多くの生活が草の中に沈み消えています。
国防のことを考えると、これは恐ろしいことです。私たち日本人は奈良時代以前からの史実がしっかりと残っている国土を失ってしまうかもしれないのです。
ここはかつてバルチック艦隊の動向を探っていた信濃丸の「敵艦ミユ」の電信を受信した地です。日露戦争の日本海海戦での勝敗はこの電信によって大きく影響したのはいうまでもありません。当地が国の先進国への旗振りとなったともいえるのですが。
ここに町を残すことは、日本人であることのアイデンティティを残すことにも繋がるのではないかなと私個人は思います。