森山です。前回に引き続き応援メッセージを頂きましたのでご紹介させていただきます。
今回は、小高の復興にヨソモノとして初期から取り組んだ仲間である、東京大学生産技術研究所の窪田先生からメッセージを頂きました。
東京大学生産技術研究所
リノベーションする前の状態で、青葉寿司さんの建物の中に入れていただいたので、ここをパン屋カフェ*コワーキングの場にしようと構想する森山貴士さんの「小高を大切に思う情熱」*「失敗も含めて場数を踏んできた胆力」*「頭キレキレの冷静な判断力」に圧倒されました。
いつも楽しいことを探しながら、ご自分が一番楽しんでいる様子にも惹きつけられています。 森山さんに初めてお会いしたのは2014年だったと思います。
当時、まだ避難指示が解除される前で、私は学生さんたちと一緒にしばしば小高に伺っていました。そこで住民の方々と何をすれば良いのか、話し合いを始めていました。そのような場に、あのキラキラした瞳で現れて、論理的に熱く語っていく20代の若者、それが森山さんでした。
森山さんが双葉屋旅館さんの大広間で主催したハッカソンでは、ご自分も若いのにもっと若い世代を念頭に動いている姿が印象に強く残っています。
その頃、森山さんは手探りで、自分は何をしたいのか、何ができるのか、小高というまちで自分はどうあるのか、真剣に考えて、あちこちにぶつかりながら動いたり立ち止まったりしていたのだと思います。今もそうなのかもしれません。 だから、迷っている人やうまくいかない人にも、森山さんは共振できるのかもしれません。 私は森山さんを心から応援していますが、私も森山さんに応援されているような気がしています。
今回、クラウドファンディングという手法をとってくれたおかげで、青葉寿司リノベPJへの関わりができて、とても嬉しいです。 この文章を読んでくださり、ありがとうございます。
小高で、オムスビカフェで、パン屋カフェ*コワーキングで、お会いできるのを楽しみにしています。この嬉しさを分かち合いましょう!
*オムスビカフェの珈琲は絶品(私はカフェオレが大好きで、いつもカフェオレにあった豆で淹れていただいてます)!もしまだの方は是非!
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窪田先生との出会い
窪田先生とは、小高が避難指示解除に向けて動き出し始めていた2014年頃、私とほぼ同時期から小高に関わっています。
窪田先生は、当時は小高に「復興拠点施設」を整備しようという計画の中での、市民を交えたワークショップのコーディネーターという形で参加されていました。
土地取得の問題もありこの復興拠点の計画は二転三転してしまうことになるのですが、そうした中でもなんとか地域の人達の思いを汲み取りながらまとめあげていこうという姿勢を感じていました。
その後は、小高復興デザインセンター を当時の先生のゼミの学生さんたちと行政と一緒に立ち上げ、主にボトムアップの地域の活動に積極的に関わってくれています。
やりがいと景観維持をかねた「まちなか菜園」
特に、窪田先生たちのチームで目立っていた取り組みは「まちなか菜園事業」だと思っています。農業ができなくなり、役割ややりがいを失ってしまった住民のやりがいやコミュニティづくりと、建物が壊され空き地だらけになってしまった街中の景観維持を兼ねて「空き地にプランターなどをおいて菜園活動をしてもらう」という活動です。
「アイデアというのは複数の問題をいっぺんに解決することだ」という任天堂のゲームプロデューサーである宮本茂さんの言葉が僕は好きなのですが、まさにそういうやつじゃん!!と思いました。
この活動には僕たちも一緒に参加させてもらったりしています。
これ以外にも、まちなか以外の山側や海側の行政区の人たちの意見を少しずつ紐解いて地域全体としての合意形成していくために何年も通い続けている姿をみてきました。
あんまり人をラベリングするのは好きではないですが、いわゆる最高学府の学生たちがこれだけ謙虚に泥臭く地域の人達の意見を聞き回って状況を進めていこうと動いていくのは本当にすごいことだなといつも思っていました。
影響を受けた「地と図」の考え方
窪田先生と何度か意見交換をする中で、大きく影響を受けた考え方がありました。それは地と図の話、という感じで話していただいたのですが
「目に見えている文化やランドマークになるようなものというのはいわゆる図だ。その背景には人の営み、自然村集落としての成り立ち、そこの地理条件などの環境 - 地(コンテキスト)がある。この地の話なくして図の話をすることはできないはずだ」といったようなことを話してくれました。
どのように地域に定着し、そこに住む人が豊かになるのか
「復興」の大義の元行政の大きなお金が動く中で、わかりやすい文化や目新しいものをつくろうという取り組みが多くなりますが、「それがどのように地域に定着し、そこに住む人が豊かになるのか」ということは、少しおいてけぼりになっているなと感じることもあります。
今回の青葉寿司もまさに「どのように地域に定着し、そこに住む人が豊かになるのか」に核としての考えがあると思っています。行政はしくみ上どうしても、世の中の人が納得できるものの最大公約数を考えて「わかりやすい見えているものを拠り所にする」のは仕方ないところがあるからです。
それに文句をいうよりも、民間側でそうした行政がやってきていることに「歩み寄り、お互い補完していく」部分も必要だと考えています。そのための取り組みが、青葉寿司のプロジェクトであると考えています。
今回、パン屋を作ろと決めたこと、EVバイクを置こうと決めたことにはこうした7年間お互いに刺激を受け、議論させていただいた経験があってのことなのだなと思っています。
これからもよろしくお願いいたします!!