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皆さん、今晩は。
さて、私は、だいたいにおいて、現代中国の真実と言うか、負の面を取り上げていますが、決して中国人を軽く見ているわけではなく、寧ろ、彼等は非常に優秀で、勝手な思い込みなどしてはならない存在である、と思っています。
これからお話しするのは、中国の大学生の話です。大学は全寮制で、彼等は授業が終わっても、図書館や食堂や教室に残って、普通に一日10時間以上勉強をしていました。努力をするのは、自分の為、家の為、国の為です(但し、これは寝そべり主義が流行する前の話です)。
〇学生の矜持
私は九十年代の初めに、三年ほど中国に留学していました。地方の名門校で、『二十五史』校点事業で有名な、顧頡剛(こけつごう)も在籍した事のある大学です。
在学中、日本語科の授業を見学する機会に恵まれました。ちょうど、二〇〇〇年に開催される五輪を北京に誘致しようと、中国全土で運動していた頃の事です。
天皇皇后両陛下が北京を訪問され、中国全土が親日的な雰囲気に包まれていたこともあり、学生から、日本語で五輪誘致の弁論会を開くので聞きに来ませんか、と誘われたのです。
会場は、百人は入れそうな、小さめの講堂でした。
ドアを開けるとほぼ満席で、壇上では日本語科の教授が開会の辞を述べていました。私は邪魔にならぬよう腰をかがめて後ろの方に行き、通路側の空いている席を見つけて、おとなしく座っていました。日本からの留学生が、まだめずらしかった頃の事です。誘ってくれた学生を探したものの見つからなかったので、誰とも話をせずに、発表に集中していましたが、誰かの発表が終わる度に、私の所に、面識のない学生が挨拶にきました。
彼等は、自分の名の日本語音を綺麗に発音して、例えば、
「初めまして、私は劉(仮名)と申します。」
と挨拶をしました。
「どうして日本人と分かったんです。」
と聞くと、笑いながら、
「中国人は、腰をかがめて入ってきたりしません。」、と。
外国語の学習を始めると、必ず自己紹介を学びます。日本人が中国語の学習を始める時にも、中国人が日本語の学習を始める時にも、自分の姓名の漢字を、相手の国の音に直して発音をする所から学びます。その行為には、これから学習する国に対する礼儀があります。
結局、この時、中国は五輪の誘致に失敗しました。中央電視台から「シドニー」の名が流れると、中国人の学生寮は落胆の声に包まれました。
発表の翌日、日本語科の学生達は私の顔を見るなり、「米国の圧力です。」、と不満を口にしました。憤慨のあまり泣き出した学生もいたそうです。落選の理由には、北京の環境問題や人権問題などもあったと思いますが、私は、彼等の顔を見ながら、日本の学生は同じ状況で、これほど悲嘆にくれるだろうか、と思いました。
全人口の0.3%程度しか進学しないと言われた頃の話です。彼等は日本に憧れを懐きながらも、愛国心に溢れていました。日本は裕福だけれども、日本は日本、中国はこれから発展する、と。自己紹介の時の美しい日本語は、重点大学(日本の旧国立一期校にあたります)の学生としての矜持の表れであろうと思いました。
その後、中国は五輪の招致に成功し、2008年8月8日から17日間、北京で競技大会が開かれ、北京五輪以降、中国は急速に発展します。それを支えたのは、あの学生達の愛国心であったろう、と思うのです。
今夜はこのへんで失礼します。
明日が皆様にとって、好い一日でありますように。