社会一般の大多数の方は、
VRにしても、3Dデータにしても、
すごく興味があるわけじゃないのです。(もちろん、こういった技術はとても素晴らしいものです)
どちらかといえば、
「モノとして残せるのなら(健全な財政支出で、将来的に回収を見込めるなら)
残したほうがいいんじゃないかな…」
という方のほうが多いと思います。
これらから、最先端技術による3Dデータ化や、VR化だけでは、
市民に有益なサービスとして成り立たないと考えるようになりました。
では、なぜ、
多くの方は、「データ」より、「モノ」を残したいのでしょうか。
これはとても基本的な疑問ですが、
ここまで考えてくると、どうも単純な話ではないように思えるのです。
「モノ」として体験したいというのは当然のことです。
ですが、「モノ」を体験するだけでは彫刻作品と変わりません。
建築物は、人に使われてこそ建築物として成り立ちます。
つまり、建築物は、人に使われるための何かしらの『役割』が付与されているわけです。
『街のシンボルとしての役割』であったり、
『歴史を後世に伝える役割』、
『地域の産業を守る役割』、
『地域の文化を担ってきた役割』など、
"モノ"に付随する『建築物の役割』は、社会を良い方向に導こうとする希望や願いのように思っています。
建築物の保存に取り組まれている方々、
および、残してほしいとわずかでも希望されている方々は、
「モノとしての保存」に加えて、
社会に向けられた希望と願いを未来に繋いでいきたい
という思いがあるのではないでしょうか。
「モノとしての保存」は、私ごときでは到底困難です。
「最先端技術によるデータ化保存」も、同様に困難です。
ですが、「建築物の役割に着目して保存する」というのは、
金も権力もない学生でも実現ができるかもしれません。
ひいては、全国の解体を免れ得ない建築物それぞれに応用できるかもしれません。
また、建築物の3Dデータ化や、VR化を、
有益な市民サービスとして補完する方法になり得るかもしれません。
これが、本プロジェクトの本旨である
『建築物の役割に着目したデジタル化保存』を、
発案した経緯でございます。
(4)に続く…